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済州島(耽羅)から帰国しました

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 済州島(耽羅)から無事帰国しました。帰りは1時間40分で成田に到着します、何と、近い場所ではないですかね。韓国のハワイと聞いていたが、大間違い、毎日雪が降るし、風は強いし、厳しい旅となりました。確かにソウルは氷点下17度ですから、それに比較すれば、ハワイかも知れない。

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 問題は成田に到着後です、私は初めての経験ですが着陸した滑走路が遥か離れた場所にあり、着陸したのは午後8時7分そこから、ゲートまでタキシングで20分も必要とした。どういう飛行場やね?といいたいですね。私も家内も荷物は預けていないので、8時43分の特急電車で日暮里に向かおうとしたが、タッチの差で乗り遅れ、8時47分の快速で日暮里に向かうが何と沢山の駅で停車し、結局、大倉山駅に到着したのは夜の11時半を廻っていた。成田から何でこんなに普通の交通手段で帰るのに時間がかかるのか。

 以前は、成田から100分で横浜に到着する直通バスを利用していたが、一人3700円もかかるので、二人で7千円もかかり、年金暮らしの老夫婦には向かない。ちなみに、羽田であれば、我が家から歩いて数分の新横プリンスホテルから40分800円程度で行けるのだ。もう、成田はコリゴリですね、出来れば羽田だけを利用したい。

 そうそう、耽羅国、良かったです。司馬遼太郎さんの『耽羅紀行 街道をゆく』を再度、読み直していた事と、事前に、記紀での耽羅に関する記事を確認していた事も良かったです。最初の写真はトルハルバンの石像と萱葺きの家です。二枚目の写真は城山日出峰から眺めた耽羅の東海岸です。

 

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 この場所は東門市場(耽羅国の東の門)のある場所です。此処には、珍しく川が流れており海に注いでいます。耽羅は火山で出来た島、降った雨は全て地下に吸い込まれ、海岸で湧きだす構造です。だから、島に水は存在しなかった、だから、海岸近くの水が湧きだす場所でのみ生活出来た。

 川が無いと、木造船は停泊出来ない、海だと虫に食われてしまい、港としての機能が出来ないと言われる。この場所は従い、古来、港として機能した稀有な場所である。徐福伝説もある場所であり、朝天港と呼ばれる、名前は徐福がつけたと伝説がある。

 さて、耽羅紀行は大変面白かったので、数か月に渡り紀行記録を掲載して行こうと考えています。是非、楽しみにして下さい、倭国の海女(あま)と『ラ=国』と呼び合った同じ海洋性民族である加羅(カラ)、新羅(シルラ)、耽羅(タンラ)、末盧(マツラ=松浦 佐賀)の世界を探る旅です。

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