耽羅(済州島)紀行 その4 民俗自然史博物館メモ(2)
司馬遼太郎の『耽羅紀行』で登場した北方騎馬民族である扶余族の痕跡について触れたいと思います。本来は耽羅の人々と北方系遊牧民とは何の関係も無いのですが、彼らは朝鮮半島の国々と交易をしていました、そして、13世紀末にはモンゴルが高麗王朝を倒し攻めて来ました。最後の激戦はこの島で行われた。
その後、モンゴルが中国でも滅亡すると朝鮮半島からも引き上げたのですが、この島は放牧に優れた場所であり馬の生産場所としてモンゴルの一部の人々は残留し、その後も李朝時代も済州島は馬の一大生産場所として残されました。
さて、北方騎馬民族である扶余族の習俗とは、双六で使う『サイコロ』のようなものです。
(写真は 三伏一向 ト 豚 1点の状況)
これ、韓国語でユッと呼ばれるサイコロとして使用されるものです。長さ10㌢太さ2㌢の丸太を縦割りにしてして出来たもの、4個をサイコロとして利用する遊びです。写真のものは短い木片ですが、本来は長さ10㌢程度はある蒲鉾型の棒だそうです。
この4個の木片を同時に投げ、其々の木片の形状(仰向けか伏せてるか)のパターンにより点数が決まるという。司馬さんの話では、
三伏一向 →ト→豚→1点
二伏二向→ケ→犬→2点
一伏三向→コロ、コル→象→3点
四向 →ユッ→牛→4点
四伏 →モ →馬→5点
長さ10㌢程度の木の枝があれば、半分に縦で割れば直ぐにサイコロが出来てしまう。便利なサイコロではないですか。4個の木片を片手で持ち投げる、そして4個の木片が上向きか、うつ伏せか、その状態で数字を決める。占いでも使用出来ますね。
私たちが馴染の正六面体のサイコロですが、これもインダスのハラッパーか中国が起源だそうで、今回の棒状のサイコロと二種類存在したそうです。とにかく、サイコロの起源はアジアにあるそうですよ。
本題に戻りますが、司馬さんが耽羅紀行の途中で、ある港で男たちがこのサイコロ『ユッ』を使用して遊んでいた所を目撃したそうだ。そして、話は日本の万葉集の時代に飛び、日本人もこの『ユッ』を使用して遊んでいた事が万葉集に残されているという話に展開した。
司馬さんの話では、万葉集巻13の3284の歌を採り上げている
菅根之(すがのねの) 根毛一伏三向凝呂尒(ねも ころ ごろ に) 吾念有(わがもへる)
菅の根は枕詞だそうです、ねもころごろ とは懇ろ(ねんごろ)という意味。ねんごろと言えばいいところを、コロを繰り返すことにより強めていると司馬さんは解説しています。
万葉学者が江戸時代からこの一伏三向=朝鮮語でコロ という語呂合わせである事が判らなかったそうです。まさか、駄洒落で朝鮮語を使用するとは考えないし、室町時代でこの『ユッ』は姿を消していたそうなので、江戸時代では判らなかったのでしょうね。韓国の金思○氏の『記紀万葉の朝鮮語』で判ったそうだ。
この事は、万葉時代に日本の人々は『ユッ』を使用して遊んでおり一伏三向のパターンをコロと呼んでいた事を示している。実は、巻10の2988番でも一伏三起という漢字が使用され、巻10の1874番でも三伏一向という漢字が使用されているそうだ。
万葉集や記紀が記録されたのも、百済と高句麗が滅亡し多くのインテリが日本に亡命して来たから記録が残せたのですね。しかし、夫婦の仲の良い風景をエロチックに描いたものだと感心します、人間のような形をした木片が絡まってコロコロ動く様は明らかに文学的才能を持った亡命百済か高句麗の人が洒落で漢字を撰んだのでしょうね。
日本と朝鮮半島との人々との関係は古来、深いものなんですね。
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