牽牛子(けんごし=あさがお)塚古墳で新たな発見
本日、読売新聞朝刊一面に牽牛子塚古墳のすぐ傍で新たな古墳が発見され、越塚御門古墳と命名され、大田皇女の墓ではないかと報道され、牽牛子塚古墳との関係から日本書紀の記録と整合する所からそれぞれ、斉明天皇・間人皇女(はしひとのひめみこ)合葬陵墓と大田皇女の墓である可能性が高まったという事である。
明日、明後日と現地で説明会があります。駅で自転車を借りて、山を登ると便利ですよ。
読売ニュース 日本書紀の記述通り
産経ニュース ダメ押し発掘で大発見
読売ニュース 牽牛子塚古墳は斉明天皇陵か、実証の小古墳発見
毎日ニュース 天智天皇、3女性の埋葬を済ませ遷都
共同ニュース 鬼の俎・雪隠は改葬前の斉明天皇の陵墓か
毎日ニュース 日本書紀通りに隣接して越塚御門古墳
先月、私が発掘現場を訪問した時は見つかっていたんでしょうか。ともかく、偶然に見つかったようです。しかし、墓誌が出ている訳では有りませんので、宮内庁に陵墓指定変更を学会として要求する事は出来ないでしょうね。
しかし、天皇にしか許されない八角形墳である事が判明し、二人の石室が見つかり、近接して立派な石棺が見つかりましたので、状況証拠としてほぼ、斉明天皇・間人皇女合葬陵墓と大田皇女の墓である可能性が高まりました。
車木ケンノウ陵墓はどうなるんでしょうか、宮内庁が発掘して八角形墳である事を確かめないと斉明天皇の陵墓である状況証拠を提示出来ないですね。ともかく、牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の遺跡保護について真剣に考えないと駄目である事は確かだと思います。
今回の発掘で、鬼の俎・雪隠が改葬前の斉明天皇の陵墓であった可能性が議論されているようですが、早く、遺跡の保護をしないと駄目ではないですかね。
しかし、私は犬歳生まれですから鼻が利くんですね、遺跡を訪問すると何故かその遺跡で大きな発掘成果が生まれるのに驚いています。桜井茶臼山古墳もそうでした。
ところで、斉明天皇・間人皇女・大田皇女というと何となく非劇の女性達というイメージがあります。斉明天皇は目の前で息子の天智さんが蘇我入鹿を殺す現場に出会い、朝鮮半島の動乱から飛鳥を守る為に大規模な土木工事をせざるを得ずに、人々から『狂心の渠(たぶれのみぞ)』と言われ、最後は百済再興の援軍を築紫の朝倉宮で送り、その場で急死された。入鹿の鬼が眺めていたとか、不思議な逸話が残っています。
間人皇女(はしひと)は斉明さんの娘ですが、孝徳天皇の皇后になるが、彼女は天智さんについて天皇を難波に残し飛鳥に還ってしまう。何故、旦那を見捨てたのか理由は判らない。そして、孝徳天皇は失意のうちに崩御された。
大田皇女は一番不幸な女性かもしれない、息子の大津皇子と娘の大伯(大来)皇女は非劇でありました。先月の壬申の乱ウォークでも紹介されていたが、大津皇子と大来皇女の悲劇は万葉集の歌となり、人々の心を打ちます。
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