2010年 大晦日 御挨拶
遂に今日は大晦日、今年も沢山の人々のお世話になりました。改めて御礼申し上げます。
海外旅行で御一緒させて頂き、楽しい旅をさせて頂いた人々に感謝します。その後、御一緒させて頂いた皆さまの今年の旅は如何なもんでしたでしょうか。来年も、何処かで御一緒出来るかも知れませんね。
爺さん4名の山歩きと温泉の旅も今年は4回も開催されました。古河さん、小島さん、大岩さん、お世話になりました。八ヶ岳の天狗岳が一番厳しい山登りでしたね。筑波山、袋田滝、金時山と全て快晴に恵まれ、これまで一度も雨に遭遇していません、実にラッキーでした。会の名前も『G4』(爺さん4人の意味でしょうか)と命名されました。
学生時代のワンゲルの仲間と会う機会が二度もありました。200名のOB/OGの方々と数十年振りにお会い出来ました。これが最後だろうな~と思いながらファイヤーストームを囲んでいました。又、同期の八十川さん、道下さん、吾朗ちゃんと城崎で松葉カニを食べたのも印象が深いです。八十川さんには大変お世話になりました、吾朗ちゃんは運転有難う御座いました。
三重大学の山中先生の『壬申の乱ウオーク』にも参加させて貰いました。名古屋まで夜行バスに乗り頑張って参加しました。天武天皇と伊勢神宮の関係が少し詳しく判りました。そして、真剣に持統天皇が信濃に遷都を考えておられた事も初めて知りました。森浩一先生の元気なお姿も拝見出来て嬉しかったです。
ひょっとすると、もう少し持統天皇が御長命であったなら、藤原京は信濃の国に建設され、日本の歴史はその後違っていたかも知れません。歴史を調べるとまだまだ、面白い事が沢山存在しているのですね。
メデイア関連では、niftyの関係者の方々にもお世話になりました、雑誌『サライ』の関係者の方々にもお世話になりました、飛鳥Ⅱでのイベントや銀座ベルギービールでもお世話になり、美味しいビールを沢山、飲ませて貰いました。
赤とんぼの皆さまとも春・夏・秋と白馬村の山小屋『ちんぐるま』でお世話になりました。高齢化が進む赤とんぼですが、未だ皆さんお元気なのが、何よりと考えています。来年の冬合宿は2月下旬ですね、再会を楽しみにしています。
ともかく、元気で1年間過ごせた事に感謝したいと思います。来年も皆さまに良い年が来るようにお祈り申し上げます。卯年ですね、飛躍の年である事をお祈り申し上げます。
『閑話休題』
魏志倭人伝の話ですが、邪馬台国の南に狗奴国が存在し邪馬台国に属さず、戦争をしていたという記録があります。邪馬台国近畿説と九州説では候補地に違いがありますが、近畿説でも濃尾平野であるという説や毛野国という説があります。もうひとつ、熊野という説も聞いた事がありますね。
私は今まで、崇神天皇と古代最大の内戦と呼ばれた山背・木津川流域の武埴安・阿多媛との戦争を考えています。何故なら、卑弥呼のモデルと考えるヤマトトトビモモソ媛が武埴安の謀判を予測した(占い)記事が記紀に存在するからです。
しかし、魏志倭人伝の記事に対応する記紀の時代がもっと古い時代の事であれば、神武天皇が熊野から宇陀を経由し磐余に突入し在地の長脛彦を破った事件である可能性もあります。熊野はヤマトから見て隈の地ですし、那智大社や熊野川流域の熊野本宮が狗奴国の本拠地になります。彼らは、水軍であり後の熊野水軍であり、志摩の水軍だった可能性もあります。
吉野には古い時代から隼人が移住していた可能性があり、神武さんと同じ高千穂に降臨した隼人と同族であった可能性もある。何故、奈良盆地の南の端に磐余という天皇家が一番大事にする場所があり、且つ、同じく南端の葛城にその後も天皇家に関わる宮や豪族が存在していたか、狗奴国が邪馬台国を滅ぼし、ヤマト王権を成立させたと考える仮説も可能性があるかも知れないと思う。
私は磐余の桜井(外山)茶臼山古墳が気になって仕方ないのです。神武さんは確かこの古墳の尾根の上の鳥見山を祭祀の対象にしたと記紀に記録があるのが気になっています。
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