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久留倍(くるべ)遺跡まつり&壬申の乱ウオーク

 承前 充実の古代史紀行から帰還しました

 11月12日(金曜)夜11時に八重洲から高速バスに乗り名古屋を目指し、朝6時に名古屋到着。近鉄電車で桑名経由、富田駅に7時過ぎに到着。食事をして朝の8時には三岐線の大矢知駅に到着した。8時半から壬申の乱ウオークが始まった。

 マイフォト 久留倍(くるべ)遺跡まつり&壬申の乱ウオーク 写真集

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 壬申の乱ウオークは山中章先生が開催されており、もう19回目だそうです。山中さんは長岡京の発掘で有名な先生ですが、宮城研究の第一人者であり、私がハノイに駐在していた時に先生がタンロン皇城遺跡の発掘にも関与されており、何回かメールのやり取りをさせて頂いた。

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 延喜式内社の長倉神社から始まります。伊勢国朝明(あさけ)郡にある格式の高い神社です。この土地には伊賀留我神社もあり、地元の三重大学の山中先生の門下生が研究しているようです。

参考 平安時代伊勢国朝明郡大矢智周辺の状況

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 久留倍(くるべ)遺跡です。国指定史跡になりました。伊勢国朝明郡の郡衙(郡の役所)が存在した場所です。伊勢湾を見下ろす高台にあり八脚門から正殿、脇殿、長大な建物跡が確認されています。

この場所は壬申の乱の時の大海皇子の東国ルートと聖武天皇の東国行幸と関係が深い場所として研究の対象となっています。

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 森浩一さんの講演によれば、740年の藤原弘嗣の乱の折り、東国行幸をされているが、その時の『狭残(さざら)行宮(かりみや)』ではないかと推測されています。聖武天皇は国に一大事が起こると、天武天皇の採られた東国を味方にする戦略を踏襲されたのではないかと推測される。

 実は、天武さんは国際情勢を鑑み真剣に信濃の国に遷都をする計画を練っておられたという。その計画を継いだのが持統天皇だそうです、692年の持統天皇の伊勢行幸、702年の死の直前の三河行幸の目的は信濃国への遷都計画を具体化する行幸であったと考えられているそうだ。

 森先生の話では、信濃の国は日本列島の中央にある山国であるが、北半分は信濃川や姫川により日本海に脱出可能であり、南は天竜川や木曽川で太平洋に出れる。更に南信濃の伊那地方は比較的低平な三河との国境を越えると豊川や矢作川によって三尾勢の内海に出れるのだと述べる。この道筋により、古墳時代後期には信濃の馬が東海や近畿にもたらされた。

 692年の持統天皇の伊勢行幸とは、遠江と三河のどちらが、信濃に入るさいに拠点として相応しいかを実地に検証する為だったと推理する。この結果、非常の際にヤマト→伊賀→伊勢→(海路)→三河→信濃のルートが選択され、道路の整備を開始した。実際、持統天皇は志摩の阿胡(英虞)行宮付近から乗船し三尾勢の内海を通過し、三河に入り、自らも遠江まで出かけたと推理する。

 この計画も持統天皇の死により幻の計画となったそうです。

 

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 天武天皇迹太川(とほがわ)御遥拝所跡です。

 大海皇子は吉野を脱出し桑名を目指した、その終点の直前に朝明郡迹太川のほとりで天照大神を遥拝した。天武天皇は壬申の乱に勝利し、伊勢神宮のおかげであると感謝し、齋王の制度化や伊勢神宮を篤くもてなす事になりました。天武朝から伊勢神宮は格式が高い神社となった訳です。

 何時もながら、森浩一先生の話は面白く九州の伊都国とシマ国の関係が伊勢と志摩と類似するのではないかと推論されており、朝鮮半島との関係について論を展開されていました。近々の出版される本が楽しみです。

 奈文研の馬場基(はじめ)さんは、最近テレビでも有名になりましたね。彼は、志摩で採れるエビが何で『伊勢海老』と呼ぶか、面白い話を展開されていました。彼の論によれば、万葉人のイメージでは鈴鹿山脈を越えると目の前に伊勢湾が拡がる景色から、伊勢は海というイメージが定着していたと推論しています。

 志摩というのは、熊野灘から鳥羽を過ぎ渥美半島に連なる島々のイメージを持っていたという。確かに、伊勢国は農耕の国であり稲作の盛んな国であり海産物は桑名の蛤程度ですよね。伊勢海老と言えば、志摩ですね。

 山中先生のお話は伊勢齋王の悲劇についてのお話でしたが、夜行バスの疲れがでて昼飯を食べた直後だけに、睡魔が襲い、不覚にも寝てしまいました。申し訳ありません。

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