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葛城王朝の栄華の址 秋津遺跡発掘(橿考研)

 2010年11月28日、橿原考古学研究所は葛城王朝の栄華の址と浪漫溢れる『秋津遺跡』の発掘調査の現地説明会を開催した。

 発表資料 橿考研発表資料(秋津遺跡 現地説明会)

Photo  新聞各社の報道については

 朝日新聞 4世紀の権力者の祭祀場か

 読売新聞 空白の4世紀を埋める最大級施設群

 葛城の地は朝鮮半島で活躍した葛城襲津彦が一番有名です、航空写真で観れば秋津遺跡の南西方向に全長238メータの前方後円墳がありますが、彼の墓の候補と考えられています。

 遺跡の近くに秋津小学校がありますが、戦前の人ならば日本の事を『秋津島』と呼んでいました。そんな由緒正しい地名を持つ場所です。遺跡は4世紀初頭の頃の大型建物という発表は今年最大の考古学世界での事件ではないでしょうか。

 この頃の日本の状況は中国の資料には存在しない為に古来、謎の4世紀と呼ばれていたのです。葛城氏は雄略天皇の頃に滅ぼされるのですが、それ以前の歴史については、大王家に妃を送り続けたという記紀の記録から大王家と肩を並べる勢力であったと推察されて来た。

 特に、第5代 孝昭天皇(葛城掖上宮)、第6代 孝安天皇(秋津島宮)と天皇の宮が葛城に建設されていました。その後、第7代 孝霊天皇(娘はヤマトトトビモモソヒメ、息子は吉備津彦)、第8代 孝元天皇と奈良時代に命名された天皇の名前に『孝』がつく天皇が連続して4代も続いたのです。

 何れの天皇も欠史八代と呼ばれ伝説の天皇であると現在は考えられているが、私は何らかの伝承が存在していたと考えています。ある研究者は三輪山周辺の纏向地域の王権と葛城地域の王権が並立していたのではないかと言う仮説を述べる人もおられます。

 葛城襲津彦は神功皇后・応神天皇の時代に朝鮮半島で大活躍をした人物として記紀には記録されています。渡来系集団として葛城氏は大陸と交易し最新の技術を持っていたのではないでしょうか。葛城という場所は背後に吉野の材木が持ち込まれる場所であり、膨大な造船の原材料・製鉄の原材料を確保した一族だったと考えます。5世紀末に雄略天皇に滅ぼされ、鴨氏・秦氏・蘇我氏は葛城を去ったと考えています。

 今年は、牽牛子塚古墳の発掘成果も斉明天皇の陵墓ではないかという衝撃的な成果を挙げています、纏向遺跡では桃の実が2千粒も発掘されました、面白い1年でした。

 参考 古代奈良盆地南部

 参考 葛城一言主神社

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Comments

『大本営発表を鵜呑みにしてはいけない』

橿考研は秋津遺跡の方形区画の年代を四世紀前半とします。
ところうが遺物の中には三世紀前半と思われる物が含まれるのです。
私は橿考研に電話を入れて、西暦200年から250年の間の遺物の出土は無いか尋ねました。
電話に出られた担当者は「もっか発掘の最中で出土遺物の整理ができていない。隠すつもりは無いがその質問には答ええかねる」というものでした。
畳み掛けて、私は尋ねた。出土している多孔銅鏃の年代はいつごろですかと。
三世紀から四世紀代の遺物と認識するとの返事であった。

東海の遺物に詳しいA氏に、この多孔銅鏃の写真や、東海系の遺物の写真を見せてお伺いした。
二世紀から三世紀代の遺物が含まれると。

もし貴方が遺物の年代に少しでも見識がおありなら、自分の目で遺物を確認し、年代を推定することをお勧めする。
大本営発表の情報だけに頼っていてはいけない。

詳しくは私のブログを。

Posted by: 曲学の徒 | 2011.07.05 at 09:38 PM

曲学の徒さま コメント有難うございます

 問題にされているのは多孔銅鏃に関してですね。そんな問題があるとは知りませんでした。又、東海の多孔銅鏃に関する知識も恥ずかしながら有りません。

 この遺跡が何世紀の頃から建造され始めたのか、重要ですね。考えてみると、此れだけの遺跡が突然に出現するのは不自然ですから、3世紀の頃か2世紀の頃からも存在していた可能性は有りますね。

 貴重な御指摘有難う御座いました、何れ又、橿考研は本遺跡に関する調査報告をすると思います。
 有難うございました

Posted by: jo | 2011.07.06 at 12:02 AM

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