明日香紀行(4) 飛鳥京を偲ぶの段
承前 明日香紀行(3) 石像物の謎を巡るの段(酒船石遺跡編)
飛鳥京の正確な場所は未だに解明されていません。しかし、橿原考古学研究所は50年の長期に渡り飛鳥京の発掘作業を継続し、ようやく解明されようとしています。舒明天皇の飛鳥岡本宮(630年~)、皇極天皇の飛鳥板蓋宮(643年~)、斉明・天智天皇の後飛鳥岡本宮(656年~)、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(672年~)とが明日香村大字岡から大字飛鳥にかけて存在しています。
飛鳥板蓋宮の時代には、あの有名な入鹿暗殺の事件が起こりました。藤原京に遷都するまでの約百年間ほどこの場所が政治の中心だった訳です。それを、50年もかけて発掘しても今だ解明出来ないのが歴史の面白さではないでしょうか。
昨日、読売新聞社主催の『纏向フォーラム』に出かけましたが、桜井市の教育委員会文化財課係長の橋本輝彦さんは、古墳の発掘と異なり宮跡を発掘するのは、技術的に難しいと語られていました。古墳とか集落跡ならば遺物が出土するが宮跡は柱跡の穴がでるだけで、遺物が少ないという。確かに、聖なる場所ではゴミは捨てませんね。
飛鳥寺が見えますね、此処も昨年から今年にかけて橿考研では発掘が行われました。大きな成果がでたようですよ。
飛鳥京跡第164次発掘調査 外郭北部の調査 (橿考研 資料)
左の写真は伝飛鳥板蓋宮跡から甘樫の丘を眺めていますが、重機とブルーシートが見えますね、165次調査の跡です。右の写真は板蓋宮跡から東方の酒船石遺跡方面を眺めたものです。
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