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明日香紀行(2) 石像物の謎を巡るの段(猿石編)

 承前 明日香紀行(1) 八角形墳を訪ねるの段

 明日香には不思議な石像物が沢山あります、既に解明されたものもありますが、未だに謎の儘残されているものがあります。これが、明日香の魅力の一つではないでしょうか。

 『猿石(吉備姫王墓に存在)』

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 元禄15年(1702年)に現欽明陵の南側、字(あざ)池田と呼ばれる田畑より数体の石像物が掘りだされた。それが、現欽明陵に置かれていたが、明治になり吉備姫王墓に移され現在に至るという。それが4体の猿石である。河上邦彦氏の『飛鳥を掘る』を典拠にご紹介です。

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 先ず『僧(法師)』と呼ばれる石像です。以下、河上邦彦氏の説明を引用します。

 一石丸彫りの、立て膝で座る裸体の男像です。大きな丸坊主頭であるが、短髪らしい表現がある。手足には筋肉の表現が、背には背骨の表現が見える。(我々は見えない場所)下腹部にある二本の線は、褌(ふんどし)と考えられる。底部に径30センチ、長さ13センチのホゾ(臍)が造りだされている。高さ101センチ。河上氏は1998年に宮内庁が石像保存の為に石を掘り起こした時に立会い調査されている貴重な経験をされている。彼の意見は、石像の底部にある突起からこの石像は台座の上に設置されていたと推論する。

 この像は丸坊主で褌をつけた筋肉隆々の男であり、力士であると結論している。

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 『山王権現』と呼ばれる石像です。以下、河上氏の説明です。

 表面は内股で両膝を地面につけ、つま先を立てて座っている。全体に裸で下部に陽物を出している。頭部には頭巾を被る。頭はまるく大きい。目、鼻、口、耳を大きく表現する。腹は大きな太鼓腹であり、ヘソの穴がある。裏面は上半身を表した鬼面のようである。(我々には見えない)鼻はシシ鼻で、一文字に閉じた口からは上向きに牙が出ている。高さ131センチ。所謂、二面石である。

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 『女』と呼ばれる石像物です。以下、河上氏説明引用。

 表面は右膝を立てて座る人物で、長い顔に卵形の目、長い鼻、大きな吊り上がる口を持つ。なで肩で右腕は膝頭に沿わせ、手先を下に向ける。右手は腹部に置く。両腕の間にW状の乳房の表現がある。下部に、陰部の表現と見られるものがあり女性を表している。裏面は顔面が爬虫類のような彫刻で、U字状の大きな口の表現がある。卵形の目とその周囲の縁取り。額には小さな突起。こめかみからは角が出ている。側頭部には、たてがみのような線刻がある。高さ110センチである。

 

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 『男』と呼ばれる石像物です。

 表面は内股で、つま先を立ててしゃがみこんで、陽物を出す裸体の男像である。下膨れの顔で、笑う表情を表現しているようである。裏面は前屈みにうずくまる姿をした人物。顔は肉付きがよく、あごが角張る。高さ86センチである。

 裏面画像はありませんが、飛鳥資料館の前庭に行けば、猿石のレプリカがあり、裏面を観る事が可能です。参考記事 飛鳥の石造物

 『亀田博氏の解釈』のご紹介

 ・『女』の表面は異様な風貌の女、裏面は鳥様の想像上の動物である。『山王権現』の表面は胡人、裏面は滑稽な仕草の男とみる。

 ・伎楽は推古20年に百済人の味摩之(みまし)が伝えた。大きな仮面を被りきらびやかな衣装を着た演者が鼓、鉦盤、笛の囃子によって行道し、パントマイムである種の演劇のようなものをした。その様子は庇持、笛吹、鼓撃、鉦盤、獅子、師子児、治道、呉公、金剛、迦楼羅、崑崙、呉女、力士、婆羅門、太孤児、酔胡王、酔胡従の順で行道し、舞台で演技をした。4体の猿石にこれと共通すると見る事の出来るものが多い。

 ・つまり、伎楽を表した彫像であると考える。

河上氏は概略賛成だが、力士像だけは伎楽ではなく、見世物として開催されていたのではないかと推論する。

 『キタガワ遺跡と猿石の関係』

 1987年に欽明天皇陵の南側。猿石が見つかったという小字池田より道路を越えた場所にキタガワ遺跡が発掘された。発掘担当者の亀田博氏の話では苑池の遺構であるという推論である。参考 キタガワ遺跡関連記事

 河上氏の仮説によれば、飛鳥京を訪問する人々は、飛鳥京の西側(下つ道)を南下し欽明天皇陵の南のキタガワ遺跡に辿り着く。又は、紀路(吉野・紀伊方面から飛鳥に至る幹線道路)を北上しキタガワ遺跡に辿り着く。この場所に迎賓館のようなものが存在し、飛鳥京のアポイントを取り、暫く滞在し許しがでると飛鳥京を訪問したのではないかと推論する。

Photo

Photo_2  グーグルアースでキタガワ遺跡と飛鳥京へのルートを簡単に示しました、御参考にして下さい。今回、私がチャリで走ったルートでもあります。

古来、中国では天子は南面すると言います、宮殿を北から訪問する事はあり得ない話となり、河上氏の説は説得力がありますね。

 先月、韓国の安東を訪問し、仮面劇を観る機会があり伎楽の香りを堪能して来ました。海外諸国や日本の各地から飛鳥京を訪問する人々はキタガワ遺跡あたりに存在したであろう、迎賓館や苑池で色んなおもてなしを受けていたのではないかと思います。その模様が猿石として苑池に飾られていた可能性はあるのではないでしょうか。

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