古刹を巡る鎌倉散歩(2) 鶴岡八幡宮→源頼朝墓(法華寺跡)→荏柄天神社
頼朝のお墓に向かいます。彼はこの場所に持仏堂を建立していたのですが、死後、彼の持仏堂に埋葬されました。そして、法華寺と呼ばれるお寺になります。写真の左は明治維新後に神仏分離で白旗神社(祭神は頼朝)が境内に別に建立されたそうです。
白旗神社は鶴岡八幡宮の境内にも存在しています。白旗は源氏の旗ですね。
源頼朝のお墓です。江戸時代に島津氏により建立されたそうです。不思議ですよね、何故、鹿児島の殿様が頼朝の墓を整備するのでしょうか。それは、島津氏の祖が頼朝だからです。
島津忠久の墓への案内石碑が頼朝の傍にあります。宝治元年(1247年)三浦一族は北条氏・安達氏が進める政治に反旗を翻し乱を起こします。三浦泰村と北条時頼の戦いです、その時に三浦氏に合力したのが、島津忠久(頼朝が比企義貞の娘に産ませた子)であり、毛利季光(大江広元の4男)でした。彼らは頼朝の菩提寺である法華寺に立て籠もり、500人以上がこの場所で自刃するという悲劇がありました。
頼朝は53歳で落馬が原因で死亡しますが、吾妻鏡ではその頃の記述が欠落しており、謎だそうです。北条氏に殺害された可能性もあるという説があるそうです。
宝治の乱で自刃した三浦泰村たちの墓はこの場所から少し、登った場所にある筈です。
頼朝が公家政権から武家政権に大きな歴史の舵を切った訳ですが、三代で滅ぶ悲しい歴史もここにあります。
荏柄天神社(荏柄山天満宮)です。大宰府天満宮、北野天満宮と並ぶ三大天満宮の一つだそうです。頼朝が鎌倉幕府を開く前から此処に存在する神社だそうです。
何故、鎌倉の鄙な地に天満宮が存在していたのでしょうか、疑問ですね。菅原道真の怨霊を恐怖とする人々が鎌倉以前から此処に拠点を持っていた可能性が高いのではないでしょうか。鎌倉以前のこの地の歴史を調べないと解明できないでしょうね。
荏柄(えがら)天神社の本殿は鎌倉で最古の建造物で重要文化財に指定されているそうです。
この大銀杏も天然記念物だそうで、倒れた鶴岡八幡宮の大銀杏と並んで鎌倉のシンボルだそうですよ。
『絵筆塚』と呼ばれるもので、清水崑さん、横山隆一さんが建立したそうですが、著名な漫画家が150人以上が参加して『かっぱ』の絵を奉納しています。これは、面白いので是非好きな作家の絵を探して下さい。
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