韓国 安東・百済・ソウル紀行 その1 高麗・李 朝鮮時代の両班(ヤンバン)
承前 韓国紀行から帰りました
韓国の中世・近世の時代の歴史を考えるのに、特権階級である両班について基礎的知識が無ければいけないようです。宮嶋博史さんの『両班』李朝社会の特権階級(中公新書)を読み少しメモを残しておきます。
写真はソウルの昌徳宮の朝廷の模様ですが、王は中国に倣い南面し東に文官(東班)、西に武官(西班)が並びます、一番位の高い一品の人が一番王に近い位置に立ち、順番に並びます。これは日本の律令制度の時代も同じでした。この文官、武官が並ぶ列の事を班と呼びます。両班とは文官・武官両方を含めた高級官僚の事を両班と呼んだようです。
両班は同時に身分を表す言葉でもあり、高麗朝から李朝(朝鮮王朝)への歴史の過程で複雑な歴史を辿ったようで、両班の説明は一言では言えない複雑なものだそうです。安東(アンドン)という田舎の郷を訪れましたが、殆どの家が柳という苗字のお家ばかりでした。先日、結婚会見をしたリュ・シウォンさんの実家がある場所です。有名な安東の両班の血筋の一族です。
日本の韓流ファンが押し寄せるお家だそうです。私は、しんきくさい韓流ドラマは興味ないですが、おばちゃん連中が大好きだそうです。
柳一族は文禄・慶長の役の時代に、李朝で国務大臣をした柳成龍を先祖に持つ名門であり両班を代表するような一族ではないでしょうか。
高麗時代には両班とは官僚制度を意味していたが、李朝鮮王朝の時代になり身分制度として実質的に存在するようになったようだ。李朝では良民(両班→中人→常人)と賎民(奴婢→白丁)と5段階に区別されたようです。両班とは科挙試験(文官・武官)を受ける資格のある一族、中人とは科挙試験でも技術職である雑科(医学、陰陽学、翻訳・・)を受ける資格のある人々を指す。常人とは一般的な農民の身分を指す。
儒教(朱子学)による統治ですから、仏教は排斥され僧侶や巫女や妓生は賎民として身分が存在した。百済、高句麗、新羅、統一新羅の時代の仏教は国家経営の敵とされたのでしょうね。そういえば、南朝鮮半島に根強く残っていた馬韓・弁韓・辰韓時代の巫女は激しく儒教により排斥され跡かたも無くなったそうだ。
宮嶋さんの本によれば、高麗時代は奴婢は一割程度しか存在しなかったのに、李朝の16世紀には3割から5割の人口の人々が奴婢の身分であったという。奴婢が増殖した理由の一つは、奴婢の身分の人が良民との間で子供を作ってもその子供は奴婢の身分であった事が大きな原因だそうだ。又、高麗王朝の終末期に北方からの遊牧民に攻められ、南からは倭寇に攻められ社会制度が崩壊した経過もその一つの理由だそうだ。
(写真は河回別神クッ仮面劇で踊る両班役の役者さん)
又、首都に住む両班に対し、地方に根づいた両班(在地両班と呼ぶ)は絶大な権力を持ち中央集権国家としてコントロールが困難であったのが朝鮮半島の歴史のようだ。筆より重いものは持たないという両班は徹底的に労働を嫌った、そして武官の地位も圧倒的に文官の下であるという身分制度が延々と続いたようだ。
司馬遼太郎が儒教を徹底的に嫌った理由が少し判るような気がしますね。日本は河内王朝の末期、5世紀後半頃に中国王朝の朝貢関係から離脱し、独自の外交関係の位置に立った。朝鮮半島では近世迄、中国王朝の朝貢関係国の一つとして存在した歴史背景が存在する。
日本では聖徳太子さんが隋との外交に於いても対等の立場を貫いた事が、その後の日本の国のかたちを決めたと考えられます。そして、司馬さんの歴史観では戦国時代に過去の律令体制と身分制度を崩壊させ、武士階級の勃興が日本の歴史を大きく転換させたと説いていました。民を指導する立場の者は庭で畑を耕せという哲学は随分と筆より重いものを持たない哲学とは異なりますね。
先日、哲ちゃんの母校の年寄りの先生がノーベル賞を貰った、科学技術の分野、実学の分野で強い日本という伝統は案外、戦国時代に武士が台頭した歴史や聖徳太子さんの頃の対等外交にきっかけが存在したのかも知れない。
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Comments
参考になりました。 安東俊幸
Posted by: 安東俊幸 | 2010.10.09 11:41 PM
安東さま
初めまして、韓国の安東とゆかりのある御仁でしょうか。
今回初めて安東(アンドン)を訪問しましたが、背景は宮嶋博史の『両班』を読んで興味が湧いたからです。この地域には、歴史上多くの両班が存在した場所のようですね、安東金氏(アンドン キム)や、安東権氏(アンドン クォン)という著名な両班一族を知りました。
何故、このような、一見、田舎の地に両班が育ったのか不思議です。私は朝鮮半島の古代史には興味があり、洛東江流域の弁韓・辰韓時代の鉄との関わりを調べています。
安東は洛東江の上流にあたり、ソウルのある漢江流域文化とは関係が薄いのではないかと推測しています。これからも、宜しくお願いします。
Posted by: jo | 2010.10.10 10:38 AM