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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その4 河回別神クッ仮面劇

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その3 安東河回村(2)

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 安東河回村には高麗時代から残されている民族劇としての仮面劇が残っています。河回別神クッ仮面劇が重要無形文化財69号に指定されています。現地で頂いた資料から紹介します。

 河回別神クッとは、河回村で毎年行われている定期的な村祭り以外に、村の守り神の神託により約10年ごとに祭られる別神「クッ」である。別神とは村の守り神である巫女を祭る事であります。「クッ」=巫女神を指しています。旧暦の小正月の河回別神クッの際に村の豊饒と厄払いを願って行われる神を楽しませる娯神行為としての仮面劇で中国から由来したとされる城隍(ソンファン、ソナン)神信仰と朝鮮半島に古くから存在した山神信仰が融合し、独自の習俗として育まれた。

 河回別神クッ仮面で使用される仮面は、高麗中期の頃に作成され、伎楽の面から舞楽の面への変化の過程を示し、「切りあご」の形から日本の能面の起源とも言われている。

 私の感想は、女神信仰(巫女)である事と神を楽しませる祭りである事に、古代の日本の姿を想像しました。アマテラスがスサノオの暴虐に怒り、天の岩戸に隠れた時の祭りの模様です。アメノウズメが裸になり神々の前で卑猥な踊りをし、神々からヤンヤノ喝采を受け、楽しそうな祭りを窺うアマテラスを再度、この世にタヂカラオさんが引っ張り出した祭りの模様です。

 飢饉や、日食や天変地異が起こると、このような村落共同体の守り神である巫女(女神)を楽しませる祭りが行われていたのではないだろうか。馬韓・弁韓・辰韓時代から残る巫女信仰はその後、仏教や儒教の攻撃により朝鮮半島では姿を消しました。高句麗・百済・新羅の時代には姿を消した可能性があります、しかし、本当は620年に滅亡した伽耶諸国ではこのような巫女信仰が綿々と残っていた可能性があります。

 半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域、釜山・金海(キメ)から500キロ上流の安東地域までは大伽耶(高霊)や金官伽耶の国々が620年まで残っていたのです。この地域と倭人とは深い関係で結ばれていました。対等の立場で関係は続いていたと思います。邪馬台国の卑弥呼女王の原型は巫女信仰と精神基盤を同じにするものと考えています。

 『河回別神クッ仮面劇ストーリ』

 マイフォト 河回別神クッ仮面劇 写真集 を参照にして下さい。

 ① 破戒僧の場面

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  妓生(キーセン)が野外でチマチョゴリの裾を拡げ放尿する衝撃的な場面から劇は始まります。それを、観ていた破戒僧が興奮し、妓生が立ち去った場所に行き説明するのも恥ずかしい行為をします。ここで、観客はおおいに笑い包まれます。そして、破戒僧は妓生を追いかけ必死でアタックするのです、そして最後に二人で踊り始める。

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 それを、観ていた両班(ヤンバン)の使用人のチョレンイが仏に仕える僧の行為に世の末を感じ近寄ろうとすると、破戒僧が妓生を背負い逃げて行きます。

 ② 両班・学者の場面

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  両班と学者が妓生の巡り三角関係になる場面が登場します。両者は出自の自慢や祖父の官の位の高さを自慢したり教養を自慢し合う場面が続きます。その会話を使用人のチョレンイが軽蔑の言葉でちゃかす場面が続きます。

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 そこに白丁(賎民の牛のふぐりを売る男)が登場し精力に利くという宣伝をします。両班と学者は競って取り合う喧嘩を始めます。それを観ていた老婆が嘆き悲しみます。

 最後は全員で輪になり踊り終わります。

 明らかに、支配階級である両班、儒学者を批判し、僧侶を批判する劇の構成であります。専門家の話では、この劇が育った背景には郷村の官僚がシナリオを書き、広めたのではないかと分析している人もおられるようです。

 以前に李朝時代の身分と階層について説明しましたが、明らかに底辺の人々の叫びが聞こえてくる劇であります。

 仏教や儒教や国の身分制度なんか何なんだ、我々を守ってくれているのは、村の守り神である巫女(女神)だけなんだ、だから何時までもあなたが喜ぶ劇を開催しあなたを、祭りますという声が聞こえてきそうです。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

仮面劇は、庶民ではなく卿吏という地方官僚の文化だったという説を唱える韓国学者もいるみたいですね。
卿吏は両班にライバル意識むき出しの階級で、両班との地位の対等を主張したが叶わず、仮面劇で両班を風刺したらしい。

Posted by: 雲龍 | 2010.12.31 06:37 PM

雲龍さま コメント有難う御座います

 卿吏ですか、有難う御座います。以前に、李朝時代の両班について本を読んだのですが、確かに地方での政治体制というのは、色々と複雑だったようですね。

 確かに、庶民のレベルでは風刺劇が出来る程、豊かではなかったかも知れませんね。私が感じたのは、儒教により、徹底的に攻撃され、立場を失った巫女の立場と仏教の立場を感じました。

 日本では、儒教は江戸時代でも武士階級の学問の世界だけで、一般民衆を律するまでは浸透しなかったのが、幸いだと感じました。

 もう今年も終わりですね、良いお年をお迎え下さい。

Posted by: jo | 2010.12.31 08:13 PM

明けましておめでとうございます。

卿吏については「朝鮮後期の卿吏」から学びました。
非常に考えさせられる本でした。
卿吏という階級は韓国の歴史界では全く無視されてるらしいです。それは、卿吏の存在を前提にすれば、朝鮮王朝時代後期の身分制の崩壊が否定されるからだと著者は主張しています。
著者は韓国人ですが、朝鮮王朝に身分制の崩壊はなかったと通説の間逆を行く内容に圧倒させられました。

興味があれば御一読をお薦めします。それでは。

Posted by: 雲龍 | 2011.01.02 08:30 PM

雲龍さま どうもです

 何か美味しそうな名前にも思いますし、古の空母も思い出すお名前ですね。正月から縁起が良さそうなお名前です。

 私は高麗王朝時代、李朝時代の官僚制度につてあまり詳しくはありません、宮嶋博史さんの『両班』を読んだ程度です。是非、参考にさせて貰います。

 安東での仮面劇は新鮮でした、地方の農村での娯楽劇だったのでしょうね。日本での仮面劇の歴史はどうなんでしょうか。最初は、平城京の時代、東大寺大仏の前で演じられた仮面劇が最初なんでしょうかね。

 安東では、沢山の仮面劇で使用される土産物が売られていました。

Posted by: jo | 2011.01.03 10:18 AM

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