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中欧4カ国紀行 その13 ウイーン シェーンブルン宮殿

 承前 中欧4カ国紀行 その12 ハンガリー 英雄広場・聖イシュトバーン大聖堂

 日本からウイーンに到着し、今までチェコ、スロバキア、ハンガリーと旅をして来ましたが遂に又、オーストリアのウイーンに戻りました。ウイーンは世界遺産の歴史地区に指定されており、沢山の見所が存在しています。ハプスブルク家は長く欧州の輝ける王家として君臨し文化・文明を育んできました。今回は、長く離宮として存在した、美しい庭園を持つシェーン(美しい)ブルン(泉)宮殿のご案内です。

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 翼長が180メータ、1400室も存在し、劇場まで備えた離宮のシェーンブルン宮殿です。

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 裏庭は広大な庭園になっています。フランス庭園だそうですが、丘の上にプロイセンとの戦勝記念の作りかけのギリシャ風の建物があります。あの高い丘から水を引き庭園の噴水の仕掛けをしていたと思われます。

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 バラのアーケードもありました、バラの最盛期はとても気持ちが良いでしょうね。

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 庭園にはギリシャ・ローマ風の彫像が並んでおり、シンメトリカルで幾何学的な庭園であり、日本の庭園とは異なります。しかし、日本庭園もあるそうです。

 マイフォト 世界遺産 ウイーン歴史地区 写真集

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2010年赤とんぼ秋合宿 八方尾根トレッキング(3)

 承前 2010年赤とんぼ秋合宿 八方尾根トレッキング(2)

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 八ヶ岳連峰の右に富士山が浮かんでいます。手前は霧ヶ峰ですね。今日は実に素晴らしい展望が開けています。今年の夏に天狗岳に登りました。

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 浅間山も雲海に浮かんでいます。

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 志賀高原から白根山の山々も雲上に浮かんでいます。

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 八方池です、この季節は随分と水量が少ないのではないでしょうか。

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 唐松岳に繋がる八方尾根、ケルンが秋の青空に突き刺しています。

 マイフォト 八方尾根トレッキング 写真集

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2010年赤とんぼ秋合宿 八方尾根トレッキング(2)

 承前 2010年赤とんぼ秋合宿 八方尾根トレッキング(1)

 いよいよトレッキングの開始です。標高1850メータの第一ケルンから標高2080メータの第3ケルン、八方池まで約1時間半の登りです。この日は最高の秋晴れ、雨飾山から妙高、戸隠方面の山や浅間山、八ヶ岳連峰、富士山、南アルプスの山々が雲海に浮かんでいました。

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 登り始めた赤とんぼメンバーです。遥か彼方にには蓼科山、八ヶ岳連峰が見えますね。

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 妙高と戸隠山です。

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 実はかっちんは足の指にヒビが入り固定中で、先日からギックリ腰、満身創痍の中のトレッキングです。今日彼は参加しない予定でしたが、ゴンドラ・リフトからの素晴らしい眺望に感動し止めればいいのに、登ってきましたよ。下りが心配です。

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 左は五竜岳、正面の山の向こうは唐松岳があります。

 マイフォト 八方尾根トレッキング 写真集

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2010年赤とんぼ秋合宿 八方尾根トレッキング(1)

 承前 2010年赤とんぼ秋合宿無事終了

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 40数年前の私の学生の頃から白馬東急ホテルと八方尾根ゴンドラは存在していました。

 関西方面のスキー客は八方尾根に当時から多くおられました。先ず6人乗りのゴンドラリフト(Adam)で8分程度で標高1400メータの兎平まで行きます。

其処で、兎平からアルペンリフト(4人乗り)で7分間程度乗り標高1680メータの黒菱平に行き、更にグラートクワッドリフト(4人乗り)に5分程度乗り標高1850メータの第一ケルン駅まで行きます。これ全て往復で2600円の料金です。そして、第一ケルンから1時間少し登山をすれば八方池に到着です。これが、一番簡単な八方尾根トレッキングコースで、徒歩2時間程度の行程です。

 先ずは、八方池までゴンドラとリフトを乗り継いで行きましょう。

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 紅葉真っ盛りです、普段はスキーでしか来られない人が多いと思いますが、秋の八方尾根も素晴らしいです。

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 ゴンドラで兎平に到着です、兎平のリフトが目の前に見えます。確か、昔は初心者用のゲレンデでしたね。

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 黒菱平に行くアルペンリフトです、乗り継ぎますが、紅葉が素晴らしいです。

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 白馬三山(左から鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)が目の前に見え始めました。

 マイフォト 八方尾根トレッキング 写真集

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中欧4カ国紀行 その12 ハンガリー 英雄広場・聖イシュトバーン大聖堂

 承前 中欧4カ国紀行 その11 ハンガリー ブダペスト 王宮の丘(続篇)

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 英雄広場です、中欧の塔に立つのは大天使ガブリエルが二重の十字架と王冠を持っています。西暦千年のクリスマスの日に、ローマ法王の前に聖ガブリエルが現れハンガリーのイシュトバーンをキリスト教国の一つとして認めよと登場した逸話があるそうです。

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 塔の下にはこの国にアジア系遊牧民として初めて9世紀末に侵入した7つのアジア系遊牧民マジャール族の族長の騎馬像です。先導するのはリーダーのアルバードです。

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 大天使ガブリエルが二重の十字架と王冠を手にしています。

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 広場にある西洋美術館と現代美術館です。時間が無かったので、残念ながら見学は出来ませんでした。

エルグレコの「受胎告知」、ベラスケスの「マルガリータ王女の肖像」、モネ、ラファエロ等々の有名な画家の絵が収蔵されているそうです。

 マイフォト ハンガリー ブダペスト 英雄広場・聖イシュトバーン大聖堂 写真集

 

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しあわせ村と六甲高山植物園

 承前 神戸から帰還しました(ワンゲル創部50周年記念に参加)

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 (注:同期の17回生 左からポンちゃん、おとうちゃん、jo、ゴローちゃん、道下の旦那)

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 阪神三宮駅からバスで、しあわせ村終点行きに乗れば30分程度で到着します。六甲トンネルを通過して山向こうです。此処で神戸大学体育会ワンダーフォーゲル部創部50周年記念イベントが開催されました。

色んな施設が整い、200名のOB/OGが集い宿泊出来てキャンプファイヤーも出来る優れ物です。

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 こんなに大きな広場もあり、自然に親しみながら集うのには最高の場所ではないでしょうか。

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 レストランもあり200名が一堂に会食出来る場所もあります。

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 芝生には夜中、猪が出没するんでしょうね、至る所で穴ぼこを作っていました。翌日は同期の17回生5名で六甲高山植物園に連れて行って貰いました。

 (六甲高山植物園)

 詳しくはマイフォトを参照下さい。花の名前と花が写るように撮影しました。が、問題はこの季節は咲いている花が極めて少ない事です。(笑)何れ、5月頃に行きアップデートします)

 マイフォト しあわせの村と六甲高山植物園 写真集

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 バスで行かれる人はオルゴール館前で下車し3分程度下れば西入口に到着します。この植物園は1933年に著名な植物学者の牧野富太郎さんの指導で出来たそうです。気候が北海道南部と同じレベルという事で高山植物園が設置されたそうです。

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その7 錦江(白馬江)・皐蘭寺

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その6 百済の歴史(2)

 百済の歴史は3区分されるが、初期はソウルの漢城時代、中期の熊津(公州)時代、末期の泗沘城時代となります。今回は百済滅亡の舞台となった扶蘇山城の落花岩と皐蘭寺を訪れます。数年前に訪問しましたが、百済大典の開催を契機に韓国では大いに観光施設を整備し、百済時代の船まで再現して白馬江を遊覧できました。

 マイフォト 百済 錦江(白馬江)・扶蘇山・皐蘭寺 写真集

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 百済時代の船を再現し、当時の気分で白馬江を遊覧できるようになりました。

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 白馬江の真中にこんな百済時代の建物が出来ていました、背景は浮山城が存在した山です。

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 義慈王の時代、660年に羅唐連合は唐の蘇定方を総司令官に攻撃され、百済は滅亡します。その悲劇の舞台が後方の扶蘇山の落花岩で起こりました。官女3千名は山の上の岩から身を投げたのです。

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2010年 赤とんぼ秋合宿無事終了

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 2010年 赤とんぼ秋合宿は無事に終了しました。快晴に恵まれ、金曜日はフライト、土曜日は八方尾根トレッキングとなりました。

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 八方尾根のゴンドラ、リフトを乗り継ぎ八方池までトレッキングをしました。写真は左端が唐松岳で右の鋸の歯のような山は不帰の嶮です。

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 雪を被ったような白い山は白馬鑓ヶ岳2903メータです。現在位置は2千メータ少しですから未だ遥か高い位置にあります。

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 八方池のケルンです。背景は左から雨飾山、焼山、火打山、妙高、乙妻・高妻山、戸隠山と続いています。こんなに眺望が開けるのは珍しいです。

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 この鋭い恐竜の歯のような山は不帰の嶮です。昔は、帰らずのキレットと呼んでいたような記憶があります。

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中欧4カ国紀行 その11 ハンガリー ブダペスト 王宮の丘(続篇)

 承前 中欧4カ国紀行 その10 ハンガリー ブダペスト 王宮の丘

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 マーチャーシュ教会近くに建つ三位一体像です。18世紀初頭のペスト大流行終息を記念して建立されたという。欧州を旅していると、中世の歴史を持つ地域では必ず、ペスト終焉を祝う記念碑が広場にあります。

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マーチャーシュ教会ですが、修理中です。13世紀に創建されたが、16世紀にオスマン・トルコの占領地となりモスクに変更されたが、その後又、カソリックの教会に戻されたそうです。

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 勿論この教会も世界遺産に登録されています。ドナウ河岸・ブダ城を含むブダペストが世界遺産です。

 マイフォト ハンガリー ブダペスト写真集

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中欧4カ国紀行 その10 ハンガリー ブダペスト王宮の丘

 承前 中欧4カ国紀行 その9 ハンガリー ブダペスト ドナウ川夜景

 ドナウ川を見下ろす小高い丘があります、古来、この地域を支配するには最高の立地条件を備えた場所でした。多分、ケルト人の時代からこの場所には砦や王宮が築かれてきたと思います。王宮の丘と呼ばれています。

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 無数の弾痕の跡は第二次大戦でソビエト兵が撃ち込んだ弾痕の跡です。此処は防衛省でした、ブダペストを守るトーチカだったのでしょう。ハンガリーは戦後、1989年の民主化まではソビエトの支配下にありました。長く暗い歴史でした。

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 王宮の傍に佇む鳥は伝説の『トゥルルの像』です。アジア系の遊牧民であるアールバードを頭とする7つの部族を9世紀末に、この鳥がハンガリーの地に導いたと伝説があります。記紀神話で神武天皇を導いた八咫烏(やたがらす 日本サッカー連盟のシンボル)の話と類似していますね。神武さんも遊牧民系統だったのでしょうか。

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 漁夫の砦から眺めるドナウ川と対岸のペスト地区です、ドームの建て物は議事堂だそうです。この王宮の丘、漁夫の砦地区は世界遺産に登録されています。

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 ドナウ川に架かるこの地区では一番古い有名な鎖橋です。

 マイフォト ハンガリー ブダペスト観光写真集

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その6 百済の歴史(2)

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その5 百済の歴史(1)

 百済は高句麗と対抗する為に新羅とも連携を模索していた。493年に婚姻同盟を結んでいたが、新羅は依然として高句麗依存の状態が続いていた。しかし、6世紀に入ると新羅は高句麗従属型の外交を脱し、自立の道を進み始めた。百済は新羅を南朝に紹介する仲介を始めるが同時に南朝に対して百済は伽耶諸国も新羅も百済の附庸国として紹介した。

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 百済のこのような南朝に対する外交を巡り、伽耶諸国も新羅も反発し、伽耶諸国は新羅に接近するようになる。その気運に乗じ新羅は喙己呑(とくことん)・卓淳・南加羅(金官加羅)つまり、洛東江(ナクトンガン)中流域の東部と下流域の一部を併合する事となる。武寧王を継いだ聖王は541年、543年に残る主要な伽耶諸国の首長、及びヤマト王権が安羅に派遣していた吉備臣らを召集して、伽耶の復権の為の会議を主宰したが、百済と伽耶諸国・ヤマト王権との思惑が異なり会議は失敗する。

 (泗沘への遷都)

 聖王は538年に熊津から泗沘に遷都する。理由は拡大成長する新羅との対峙と相変わらず南下を続ける高句麗と戦う為に都を整える為である。グーグルアースの写真に当時の泗沘の羅城を巡らせた百済王都の模様を作成しておきました。元の資料は『韓国の古代遺跡 百済・伽耶編』を参考にしました。

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 551年に百済は新羅と伽耶諸国と連合し高句麗を攻撃し漢城(現在のソウル)を回復したが、翌年に急成長した新羅により奪われてしまった。これに対抗し新羅を討とうと進撃した聖王は554年に管山城(クアンサンソン)=忠北沃川(オクチョン)の戦いで逆に新羅に敗北し殺される。百済は滅亡の危機に直面し、逆に新羅は伽耶諸国を併合してしまった。

 聖王は日本に仏教を伝えた王として有名であり、インドから帰国した沙門権益(クオンイク)に『五分律』を翻訳させ、百済の律宗が始まる。梁からは『涅槃教』を取り寄せ、百済仏教の隆盛期を作り上げた王であった。そして、日本に五経博士を派遣している。

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その5 百済の歴史(1)

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その4 河回別神クッ仮面劇

 今回は百済の歴史について簡単に概観しておきたいと思います。森浩一さん監修、東潮さん、田中俊明さん編著の『韓国の古代遺跡 百済・伽耶編』(中央公論社)を参考にメモを残します。

 朝鮮半島には紀元前2世紀頃から4世紀頃にかけて馬韓・弁韓・辰韓という国が存在した事は周知の事実であります。馬韓は漢江流域、栄山江流域すなわち現在のソウルから半島の南西部にかけて、韓族の50カ国程度の国々が存在しそれを纏めて馬韓と呼ばれた。洛東江流域には弁韓10カ国程度、辰韓10カ国程度存在し、どちらかというと洛東江下流・中流域に住む韓族の国々を弁韓と呼んだ。(書紀では任那の国と呼ぶ)

 同時に中国の漢王朝は朝鮮半島に楽浪郡、帯方郡を設置して植民地経営を行っていた。百済の前身は漢江下流域に存在した馬韓の1国である伯済(ペクチエ)国であり現在のソウルの漢江南岸地域を中心に存在した。(今は高級住宅地で韓流スターのヨン様もお住まいのあたりから東の河南地域)

 4世紀初めの頃から西晋王朝の内部混乱が起こり中国王朝の朝鮮半島への支配力が弱まる点を突き帯方郡を攻撃し、4世紀半ば頃までに周囲の諸国を併合し領域国家として成長した。近肖古(クンチヨゴ)王の頃には百済国として体裁が整っていたようだ。その頃には朝鮮半島北部は高句麗が勃興していた。神話では百済の始祖は温祚(オンソ)王であり高句麗の始祖王である朱蒙(チョモン)王の子であるとしている。それが事実か不明であるが、そうだとすると中国東北地方に栄えた扶餘(プヨ)族の出自となる。

 百済創建時には帯方郡に在留していた漢人や華北の混乱から逃げて来た漢人も百済建国に参画し寄与したと考えられる。同時にヤマト王権とも緊密な関係を結んでいたと想定される。現在、石上神宮に保管されている七支刀(しちしとう)は近肖古王の太子の近仇首(きんきゅうしゅ)がヤマト王権の王に贈ったものだと考えられている。(彼は14代百済王になる)

  参考 『国宝 七支刀 空白の4世紀』記事 

           『七支刀 関連記事』

 注: 七支刀について宮崎市定さんの本も読みましたが、金象がんの文字の解釈については未だ論争が続いているようです。

 百済の最初の危機は高句麗の広開土王(クアンゲト)が396年に自ら大軍を率いて南下してきた時でした、高句麗の侵攻は凄まじく百済は58カ所の城を奪われ阿花(アフア)王=阿莘王とも言う、は降参し「奴客」となる事を誓ったが、直ぐにヤマト王権に助けを求め高句麗の勢力下に入らすに独立した状態を維持出来た。新羅は完全に高句麗の勢力下に入っていた。

 ヤマト王権に対して王子の腆支(てんし)を人質として送り、阿莘王が死ぬと彼はヤマト王権の軍事力を背景に百済第18代王として即位した。新羅はその後も高句麗従属型の政治を続けたが、百済はヤマト王権と連携し独立を続ける事が出来た。百済は一貫して南朝に使節を送り貢献した。(宋、斉、梁)南朝も北朝との対抗上、特に高句麗の動静を牽制する為に百済を優遇した。

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神戸から帰還しました

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 絶滅危惧種に瀕している『ワンゲル部』、現役全員で7名しかいない部の創部50周年記念イベントに参加してきた。集まったOB/OGは約200名、六甲山の山奥の『しあわせの村』に集結した。OB/OG総数は600名程度らしいが、1/3近くが集結した事になる。

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 ワンゲル部らしく全員でキャンプファイヤーが行われ、歌声が六甲の山奥に響き渡った。野生の猪や野犬や猿もきっと驚いたと思います。問題は現役が7名、今年の新人はゼロだという、大学は巨大化し学生数は増加してるのに何故か、絶滅危惧種となってしまった。42年前は新人が100名近く存在していた時代が随分と変化したようだ。

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 そんな窮地のワンゲル部は今年の夏に現役の諸君がクロアチア遠征を挙行したらしい、OB/OG会も支援したと聞く。体育会ワンダーフォーゲル部という存在がもはや時代に取り残された化石みたいなものなのか、それとも再生出来るのか岐路に立っているようだ。何れ、後日、記事を書きたいと思っています。

 (神戸空港と伊丹空港)

 今回は羽田から神戸空港に飛び、帰りは伊丹空港から羽田に帰還するルートを選択した。初めて神戸空港を利用し、久しぶりの伊丹空港の利用でした。

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 六甲山の山の上から神戸空港を遠望した写真です、一番遠方に微かに見えるのが神戸空港です。私の印象は神戸・大阪にはとても便利な空港であり、人様に迷惑のかからない空港だという印象です。それに比較し伊丹空港は住宅地の真中にあり、危険な感じがしました。大阪、神戸の経済圏にとりこれから神戸空港をもっと羽田のように活用すべきではないかと思いました。

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その4 河回別神クッ仮面劇

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その3 安東河回村(2)

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 安東河回村には高麗時代から残されている民族劇としての仮面劇が残っています。河回別神クッ仮面劇が重要無形文化財69号に指定されています。現地で頂いた資料から紹介します。

 河回別神クッとは、河回村で毎年行われている定期的な村祭り以外に、村の守り神の神託により約10年ごとに祭られる別神「クッ」である。別神とは村の守り神である巫女を祭る事であります。「クッ」=巫女神を指しています。旧暦の小正月の河回別神クッの際に村の豊饒と厄払いを願って行われる神を楽しませる娯神行為としての仮面劇で中国から由来したとされる城隍(ソンファン、ソナン)神信仰と朝鮮半島に古くから存在した山神信仰が融合し、独自の習俗として育まれた。

 河回別神クッ仮面で使用される仮面は、高麗中期の頃に作成され、伎楽の面から舞楽の面への変化の過程を示し、「切りあご」の形から日本の能面の起源とも言われている。

 私の感想は、女神信仰(巫女)である事と神を楽しませる祭りである事に、古代の日本の姿を想像しました。アマテラスがスサノオの暴虐に怒り、天の岩戸に隠れた時の祭りの模様です。アメノウズメが裸になり神々の前で卑猥な踊りをし、神々からヤンヤノ喝采を受け、楽しそうな祭りを窺うアマテラスを再度、この世にタヂカラオさんが引っ張り出した祭りの模様です。

 飢饉や、日食や天変地異が起こると、このような村落共同体の守り神である巫女(女神)を楽しませる祭りが行われていたのではないだろうか。馬韓・弁韓・辰韓時代から残る巫女信仰はその後、仏教や儒教の攻撃により朝鮮半島では姿を消しました。高句麗・百済・新羅の時代には姿を消した可能性があります、しかし、本当は620年に滅亡した伽耶諸国ではこのような巫女信仰が綿々と残っていた可能性があります。

 半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域、釜山・金海(キメ)から500キロ上流の安東地域までは大伽耶(高霊)や金官伽耶の国々が620年まで残っていたのです。この地域と倭人とは深い関係で結ばれていました。対等の立場で関係は続いていたと思います。邪馬台国の卑弥呼女王の原型は巫女信仰と精神基盤を同じにするものと考えています。

 『河回別神クッ仮面劇ストーリ』

 マイフォト 河回別神クッ仮面劇 写真集 を参照にして下さい。

 ① 破戒僧の場面

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  妓生(キーセン)が野外でチマチョゴリの裾を拡げ放尿する衝撃的な場面から劇は始まります。それを、観ていた破戒僧が興奮し、妓生が立ち去った場所に行き説明するのも恥ずかしい行為をします。ここで、観客はおおいに笑い包まれます。そして、破戒僧は妓生を追いかけ必死でアタックするのです、そして最後に二人で踊り始める。

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 それを、観ていた両班(ヤンバン)の使用人のチョレンイが仏に仕える僧の行為に世の末を感じ近寄ろうとすると、破戒僧が妓生を背負い逃げて行きます。

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中欧4カ国紀行 その9 ハンガリー ブダペスト ドナウ川夜景

 承前 中欧4カ国紀行 その8 ブラチスラバ(スロバキア首都)

 ハンガリーの首都、ブダペストです。街の真ん中をドナウ川が流れ川を挟んで西地区がブダ地区、東がペスト地区となります。西地区には王宮の丘が小高く佇んでいます。ハンガリーは欧州では珍しいモンゴル系の人種とされ、蒙古斑点があるようです。(現地案内人の話)

 歴史を振り返ると、ケルト人が居住していたが、1世紀の頃に、ローマ人が侵入しローマの支配を受けていた。そして、ローマが衰退すると5世紀にアジア系のフン族、6世紀に同じくアジア系のアヴァール人などの遊牧民が侵入し定着した。9世紀にはアジア系遊牧民のマジャル人が侵入しアジア系遊牧民の国として、11世紀にはハンガリー王国を建設した。

 つい先日は化学工場が廃液の不始末を起こし、大きな事件として報道されていますね。さて、今回はドナウ川の夜景を紹介します。

 マイフォト ハンガリー ブダペスト・ドナウ川の夜景

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 ブダペスト最古の橋、鎖橋です。

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 私が経験した夜景の船遊びとしては、昨年の誕生日に経験したテームズ川からのロンドンの夜景が良かったです、『威風堂々』の音楽が演奏され、料理も酒も美味しかったです。あとは、横浜港の夜のクルーズ、これも最高です観覧車が七色の光を放ち素晴らしいメルヘンの世界です。そうそう、夜の隅田川の川下りも外人さんを接待するには喜ばれました。

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 国会議事堂がライトアップされています。

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 遥か彼方には鎖橋と王宮の丘が輝いていますね。美しい景色ですね。

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チリ鉱山落盤事故 鉱夫救出される

 昨夜からテレビではチリの鉱山落盤事故で、地下六百数十メータ地下坑道に閉じ込められた鉱夫の人々を救出する作戦が最終段階に入ったという事で熱い報道が続いていた。

 先ほど、最初の鉱夫が救出された。全世界の人々が喜びの拍手を送ったと思います。素晴らしい、全員が救出される事を祈るばかりです。

 今回の救出作戦では、先ず最初にレスキュー部隊の人が先ず救出カプセルに乗り込み地下に降下し、閉じ込められた鉱夫の人々と会い、救出の為の説明や地下の人々の状況を把握していた。そして、最初の救出する人をカプセルに乗せ、地上に送り出した。

 最初に救出される鉱夫は5名だそうで、経験豊富で元気でパニックにならない、ベテランが選出されたという。私はてっきり、病弱な人とか健康を壊している人を最初に救出するのかと考えたが、そうではない。33名全員を無事に救出するには、先ず安全に救出される事を地下の人々に示さねばならない。

 先発隊は重要な役目なのですね、山で遭難しそうな時に脱出ルートを偵察する部隊は精鋭でなければならないのだ。同じなんですね、そして先発の5名の鉱夫が無事脱出出来れば、次は一番衰弱している病気の人々を救出するそうだ。一人目の鉱夫が救出されると、第二のレスキュー部隊の人が救出カプセルに乗り降下して行きました。

 このようにして5人程度のレスキュー部隊が地下に降下して、最後に彼らが地下から出てくるのでしょうね。地下に長く閉じ込められていた人は精神的に厳しい状況なのでしょう、レスキュー部隊が地下に降下し5名も来てくれるとどんなに心強く思うでしょうか。

 この救出作戦は周到にメンタルな側面を配慮に配慮した作戦であるように思いました。狭い救出カプセルで釣り上げられる時は、極度の閉所でありパニックが起こり易いと思います。報道では、心拍数や身体の状態をモニターし地上にリアルタイムで通信しながら、引き上げている。日本のパナソニックの製品だと思います。貢献しているのですね。

 引き上げるのに15分から20分程度必要ですから、全員を救出するのに二日はかかるそうだ。何とか無事に全員が救出され、レスキュー隊員も全て無事に帰還出来る事を祈るばかりです。

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その3 安東河回村(2)

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その2 安東河回村(1)

 安東河回村訪問記の続編です。

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 現地での資料「重要民族資料第122号」によれば、これは、『三神堂神木』と呼ばれる、樹齢600年の欅(けやき)の大木であり、村の中央に位置し子供を授け、子供の出産と成長を助けると伝承があるそうです。村の神木であり、毎年此処では年最初の満月の日(デボルム)に村の平安を祈願するドンチェ(洞祭:村祭り)が行われているようです。

 欅(ケヤキ)の神と言うと、岸和田のダンジリの歌を思い出しますね。岸和田方面ではポピュラーな歌だそうですが、古代の応神天皇の河内王朝と伽耶諸国(洛東江流域文明)との深い関係を想像してしまいます。

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 土塀が迷路のように続く河回村の路地、侵入者が簡単に攻撃出来ないように工夫された都市計画で出来ていると思いました。防御に工夫がされた村ではないでしょうか。

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 これは何だか判りますか、高貴な女性が外出の時に乗る『輿』だと思います。日本では籠ですが、朝鮮半島では『輿』に乗ります。籠では高貴な人の位置が低すぎるのでしょうね。

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 李朝の文禄慶長の役(壬申倭乱)の時に国務大臣として活躍した柳成龍さんの『忠孝堂』です。著名な儒学者、柳雲龍さんと兄弟で、この村の歴史上誇る人材でした。

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その2 安東河回村(1)

 承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その1 高麗・李朝鮮時代の両班

 ソウルから東南に350キロ、バスで4時間程度の距離にある安東の河回村のご紹介です。数年前に丹陽という漢江上流から峠を越えて新羅の慶州の道を行きましたが、今回はソウルから聞慶で一泊して、洛東江上流に位置する安東河回村に行きました。

 グーグルアース 安東河回村位置情報(予めグーグルアースインストール必要)

「Andon.kmz」をダウンロード

20109kudara_025  河回村はこのように釜山に注ぐ洛東江上流にΩの形で囲まれた村です。今年の春に出かけたチェコの世界遺産であるチェスキークルムロフと同じような地形に驚きました。

 此処に、豊川柳氏が代々600年間暮らしてきた同族の村があるのです。李朝時代に有名な儒学者である柳雲龍氏や文禄慶長の役(壬申倭乱)の時に李朝の首相として活躍した柳成龍という傑出兄弟が生まれ育った村なのです。

 韓流ドラマに詳しい人ならば、数日前に結婚会見をしたリュ・シオン俳優の実家が有る事やヨンさまも彼の実家の近くで宿泊した事でも有名だそうです。私は韓流ドラマは観ませんが、此処が高麗・李氏朝鮮時代の両班、特に李朝鮮時代の両班を研究する上で重要な場所であると聞いていました。

 マイフォト 韓国 安東河回村 両班の故郷 写真集

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 この村をエリザベス女王さんも訪問された事があるのですね。豪華な宮廷料理で饗応されたようです。一度にこんなに出されたら食欲が無くなりますね。

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 村の入口には沢山のトーテムが立ち並んでいます、まるでゲゲゲの鬼太郎の森に迷い込んだみたいですよ。元気な男性のシンボルが丸出しのトーテムがあり、明日香村の猿石群や信州の道祖神を思い出しました。トーテムは北方遊牧民やベーリング海を渡ったアメリカインデイアンの風習ですが、リンガを克明に彫刻するのはインド原産のヒンドゥー教が海のシルクロードを渡り影響したという印象を受けます。確かチェジュ島やバリ島やインドネシア、東南アジア、所謂、海のシルクロードの印象を受ける。

 此処は釜山(金官加羅)の港に注ぐ大河川の洛東江の上流に位置するので、古代に於いて海洋民族が洛東江を遡上して定着した可能性も排除出来ない。

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 田圃では稲穂が実っている。宮嶋搏史氏の『両班』によれば、李朝時代に編纂された農書『農事直説』によれば、稲作も日本とは事情が異なるようだ。稲作の栽培方法には「水耕法」、「乾耕法」、「挿種法」という三種類の栽培方法が述べられているという。

 「挿種法」というのが、日本でポピュラーな苗床を作りある程度苗を育てて、水田に植えかえる方法を指しているが、これは危険なので、李朝時代は推奨していない。理由は、気象条件が日本列島と異なり梅雨前線が日本では水田に苗を植える時に多量の雨と水が存在するが、韓国では梅雨前線が北上するのは7月に入り遅いのだ。

 「挿種法」は雑草の手入れが少なくて済むが、韓国の風土には合わないという。だから「水耕法」という水田に種籾を直播きする方法がポピュラーだったようだ。だから、3回も4回も雑草を駆除する作業が必要であったと記録されている。この話は続けると長くなるので、この辺で止めておきます。

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中欧4カ国紀行 その8 ブラチスラバ(スロバキア首都)

 承前 中央4カ国紀行 その7 プラハ 国立博物館

 プラハから330キロ、バスで5時間半の距離にスロバキア共和国の首都であるブラチスラバがあります。ドナウ川が流れ、スラブ人のモラビア王国から首都として栄えた場所です。その後、オスマントルコがハンガリーの首都のブダを制圧した時にはハンガリー王国の首都として1536年から1830年までハンガリーの首都として機能した。

 ドナウ川を見下ろす丘の上にモラビア王国時代からの城が残っています。歴史的には何回も改築されたが、今もブラチスラバ城として昔の面影を残している。現在の城は城の四隅に塔が建ち、まるでテーブルをひっくり返したような姿に見える事で有名です。

 マイフォト ブラチスラバ(スロバキア首都)写真集

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 ブラチスラバ城です、修理が済んで綺麗な姿が戻りました。

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 眼下にはドナウ川が悠久の流れを見せています。

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 丘の上のブラチスラバ城を見上げた景色です。

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韓国 安東・百済・ソウル紀行 その1 高麗・李 朝鮮時代の両班(ヤンバン)

 承前 韓国紀行から帰りました

 韓国の中世・近世の時代の歴史を考えるのに、特権階級である両班について基礎的知識が無ければいけないようです。宮嶋博史さんの『両班』李朝社会の特権階級(中公新書)を読み少しメモを残しておきます。

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 写真はソウルの昌徳宮の朝廷の模様ですが、王は中国に倣い南面し東に文官(東班)、西に武官(西班)が並びます、一番位の高い一品の人が一番王に近い位置に立ち、順番に並びます。これは日本の律令制度の時代も同じでした。この文官、武官が並ぶ列の事を班と呼びます。両班とは文官・武官両方を含めた高級官僚の事を両班と呼んだようです。

 両班は同時に身分を表す言葉でもあり、高麗朝から李朝(朝鮮王朝)への歴史の過程で複雑な歴史を辿ったようで、両班の説明は一言では言えない複雑なものだそうです。安東(アンドン)という田舎の郷を訪れましたが、殆どの家が柳という苗字のお家ばかりでした。先日、結婚会見をしたリュ・シウォンさんの実家がある場所です。有名な安東の両班の血筋の一族です。

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 日本の韓流ファンが押し寄せるお家だそうです。私は、しんきくさい韓流ドラマは興味ないですが、おばちゃん連中が大好きだそうです。

 柳一族は文禄・慶長の役の時代に、李朝で国務大臣をした柳成龍を先祖に持つ名門であり両班を代表するような一族ではないでしょうか。

 高麗時代には両班とは官僚制度を意味していたが、李朝鮮王朝の時代になり身分制度として実質的に存在するようになったようだ。李朝では良民(両班→中人→常人)と賎民(奴婢→白丁)と5段階に区別されたようです。両班とは科挙試験(文官・武官)を受ける資格のある一族、中人とは科挙試験でも技術職である雑科(医学、陰陽学、翻訳・・)を受ける資格のある人々を指す。常人とは一般的な農民の身分を指す。

 儒教(朱子学)による統治ですから、仏教は排斥され僧侶や巫女や妓生は賎民として身分が存在した。百済、高句麗、新羅、統一新羅の時代の仏教は国家経営の敵とされたのでしょうね。そういえば、南朝鮮半島に根強く残っていた馬韓・弁韓・辰韓時代の巫女は激しく儒教により排斥され跡かたも無くなったそうだ。

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中欧4カ国紀行 その7 プラハ国立博物館

 承前 中欧4カ国紀行 その6 プラハ モルダウ川クルーズ

 プラハの国立博物館はトムクルーズ主演の映画『ミッション・インポシブル』のパーテイ会場として撮影された場所として有名です。建物は19世紀に建造された美しい建物です。

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 プラハの旧市街の丘の上に聳えています。正面からは真っ直ぐにまるで朱雀大路のような幅広い道が続いている。

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 如何にこの建造物が重要な位置にあるか判ります。

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 建物中に入りますと、映画の撮影に使用された風景が広がります。

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 今回はウイーンの国立博物館、美術館とプラハの博物館を見学しました。プラハの国立博物館では私の趣味である考古学・歴史に関するボヘミヤ・モラビア・スロバキア地方の石器時代から、青銅器時代、鉄器時代の歴史展示を堪能しました。

 未だ、写真は整理途中ですが、殆ど写真集としてカバーしましたので、参考になると思います。

 マイフォト プラハ 国立博物館(考古学・歴史編) 写真集

 

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長江・漁労水稲文明関連メモ

 安田喜憲さんが推進されている環境考古学の最近の成果は素晴らしいものがあります。彼の考える文化・文明とは自然環境によって生まれるという説得力ある考えです。現在の世界の常識である4大文明発祥の地は全て牧畜・畑作農耕が創り上げた文化・文明であるが、彼は4大文明よりも古く発祥した漁労・水稲農耕文化・文明が長江中・下流域で発生していたと仮説を投げかけています。

 環境考古学のアプローチは文化・文明は自然環境に大いに影響を受けるという考えです。そして、世界の4大文明発祥の謎を地球の自然環境の変化から説明しようとしています。現在の常識はチグリス・ユーフラテス地域で牧畜・畑作(大麦、小麦)農耕の民が衝突し文明が発祥したと考えていますね、それがナイル河、インダス河流域に伝播し最後に千年遅れて黄河流域に辿り着き黄河文明が牧畜・畑作農耕文明として開化したと説く。

 即ち、黄河文明はチグリス・ユーフラテスで発祥した文明が千年をかけて草原の道を経由し黄河に辿りついたと考える。しかし、安田さんや環境考古学を推進する佐藤洋一郎さんのDNA考古学を推進する人々はチグリス・ユーフラテスで文明が発祥する前に長江中・下流域で漁労・水稲農耕民が衝突し独自の文明を開化させていたと世界の常識を覆す仮説を提示しています。

 彼らが遺跡・遺物を分析する手法は最先端の科学技術を考古学に適用する事です。過去の地球環境を復元する為に花粉分析やプラントオパール分析、炭化米・麦のDNA分析、ミトコンドリアDNA分析、空気中の酸素や窒素の過去の履歴追跡、湖底に堆積した土壌の層化した土の分析、レンガに含まれる炭化植物の遺体分析、絶対年代を追求する放射性炭素14法とAMS、等々、ありとあらゆる科学的手法を道具として使用する事である。

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 上記、図は長江中・下流域の重要な長江文明発祥を証明する遺跡群を表示しています。詳しく場所を特定したい人は、私のグーグルアースを利用し詳細な場所を特定して下さい。一応正確な場所を特定した積りです。

 下流域の河姆渡(かぼと)遺跡、良渚遺跡は有名ですがその他、反山遺跡、瑤山遺跡も分析の対象としているようです。中流域では石家河遺跡、城頭山遺跡が有名です。その他、洞庭湖に注ぐ沅江と湘江の廻りに高廟遺跡、廟岩遺跡、柳州大龍潭遺跡、九疑山遺跡、等々が存在するようです。

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 今年の6月頃に出かけた岷江流域にも重要な龍馬古城宝墩(ほうとん)遺跡があります。勿論、青銅器時代の三星堆遺跡は一番有名です。

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中欧4カ国紀行 その6 プラハ モルダウ川クルーズ

 承前 中欧4カ国紀行 その5 旧市庁舎広場・天文時計

 プラハの街は中心を流れるモルダウ川から眺めるのが一番ではないだろうか。古来、世の東西を問わず都市は大河のほとりに成立する。海と河が物流輸送のハイウエイだったからではないでしょうか。プラハも旧石器時代から人々が住みついた場所だそうです、通商の要だったのでしょうね。

 マイフォト プラハ モルダウ川クルーズ 写真集

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 モルダウ川は此処で大きな段差があります、だから水門がありドックに船を入れ水位を調整します。水門からでた所です、後続の船が水門からでてきます。

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 橋の上をトラムが走ります。

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 船のデッキでビールを飲みながら古都プラハの見学です。

 

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北海道の娘のおうちの猫の『京ちゃん』永眠する

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 今年5月に撮影した『京ちゃん』ですが、私と家内が韓国旅行をしてる時に急に亡くなったそうです。火葬にしたそうです。5月に会った時は確かに、昔のように元気が有りませんでした。

 この猫は娘が横浜時代に獣医してる病院に交通事故で運ばれて来た猫だそうです。その事故で、右前足が不自由となりましたが、娘が可哀そうに思い、病院から引き取ってきた猫でした。誰の猫か不明の為、薬殺される運命にあったのではないでしょうか。

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韓国から帰国しました

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 韓国4日間の紀行から帰国しました。ソウルから安東(あんどん)、扶余(百済)の楽しい旅でした。今回一番面白かったのは安東でした。写真は洛東江の上流のチェコのチェスキークルムロフのような地形に存在する朝鮮王朝時代に多くの知識人を輩出した場所です。

 子供の頃の北河内郡の招堤村の風景を思い出す、心の故郷のような場所でした。

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 ゲゲゲの鬼太郎の故郷のような異様なトーテムと道祖神のようなトーテムが並び、ヒンズーのリンガが朗らかに起立してる面白い邑でした。両班が多く輩出した場所であり、韓流ドラマで有名なリュ・シウォンの実家もありました。文禄・慶長の役で大活躍した国務大臣をしたのが先祖だそうです。

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 まるで、子供の頃育った私の邑と同じ風景ではないですか。

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