韓国 安東・百済・ソウル紀行 その7 錦江(白馬江)・皐蘭寺
承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その6 百済の歴史(2)
百済の歴史は3区分されるが、初期はソウルの漢城時代、中期の熊津(公州)時代、末期の泗沘城時代となります。今回は百済滅亡の舞台となった扶蘇山城の落花岩と皐蘭寺を訪れます。数年前に訪問しましたが、百済大典の開催を契機に韓国では大いに観光施設を整備し、百済時代の船まで再現して白馬江を遊覧できました。
マイフォト 百済 錦江(白馬江)・扶蘇山・皐蘭寺 写真集
百済時代の船を再現し、当時の気分で白馬江を遊覧できるようになりました。
白馬江の真中にこんな百済時代の建物が出来ていました、背景は浮山城が存在した山です。
義慈王の時代、660年に羅唐連合は唐の蘇定方を総司令官に攻撃され、百済は滅亡します。その悲劇の舞台が後方の扶蘇山の落花岩で起こりました。官女3千名は山の上の岩から身を投げたのです。
高麗時代に百済の官女の菩提を弔う為に建造された皐蘭寺(コランサ)です。
日本から、帰化人の娘二人が百済に留学僧として渡来 司馬達等の娘 善信尼です。留学僧の最初が女性とは凄いですね。
若返りの泉に生える皐蘭草です。毎朝、百済の王はこの岩窟の泉の若返りの水に皐蘭草を浮かべて飲んでいたそうです。若水の信仰は日本にも存在し、二月堂のお水取りは若狭湾から送られ二月堂の井戸から噴出すると考えられていますね。京都の太秦にも至る所に若水の信仰は存在しています。明日香の斉明天皇の水の祭祀も同じですね。
数年前に訪問した時と船の設備や廻りの環境が整備されました数年前の紀行記は御参考までに、掲載しておきます。
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