韓国 安東・百済・ソウル紀行 その2 安東河回村(1)
承前 韓国 安東・百済・ソウル紀行 その1 高麗・李朝鮮時代の両班
ソウルから東南に350キロ、バスで4時間程度の距離にある安東の河回村のご紹介です。数年前に丹陽という漢江上流から峠を越えて新羅の慶州の道を行きましたが、今回はソウルから聞慶で一泊して、洛東江上流に位置する安東河回村に行きました。
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河回村はこのように釜山に注ぐ洛東江上流にΩの形で囲まれた村です。今年の春に出かけたチェコの世界遺産であるチェスキークルムロフと同じような地形に驚きました。
此処に、豊川柳氏が代々600年間暮らしてきた同族の村があるのです。李朝時代に有名な儒学者である柳雲龍氏や文禄慶長の役(壬申倭乱)の時に李朝の首相として活躍した柳成龍という傑出兄弟が生まれ育った村なのです。
韓流ドラマに詳しい人ならば、数日前に結婚会見をしたリュ・シオン俳優の実家が有る事やヨンさまも彼の実家の近くで宿泊した事でも有名だそうです。私は韓流ドラマは観ませんが、此処が高麗・李氏朝鮮時代の両班、特に李朝鮮時代の両班を研究する上で重要な場所であると聞いていました。
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この村をエリザベス女王さんも訪問された事があるのですね。豪華な宮廷料理で饗応されたようです。一度にこんなに出されたら食欲が無くなりますね。
村の入口には沢山のトーテムが立ち並んでいます、まるでゲゲゲの鬼太郎の森に迷い込んだみたいですよ。元気な男性のシンボルが丸出しのトーテムがあり、明日香村の猿石群や信州の道祖神を思い出しました。トーテムは北方遊牧民やベーリング海を渡ったアメリカインデイアンの風習ですが、リンガを克明に彫刻するのはインド原産のヒンドゥー教が海のシルクロードを渡り影響したという印象を受けます。確かチェジュ島やバリ島やインドネシア、東南アジア、所謂、海のシルクロードの印象を受ける。
此処は釜山(金官加羅)の港に注ぐ大河川の洛東江の上流に位置するので、古代に於いて海洋民族が洛東江を遡上して定着した可能性も排除出来ない。
田圃では稲穂が実っている。宮嶋搏史氏の『両班』によれば、李朝時代に編纂された農書『農事直説』によれば、稲作も日本とは事情が異なるようだ。稲作の栽培方法には「水耕法」、「乾耕法」、「挿種法」という三種類の栽培方法が述べられているという。
「挿種法」というのが、日本でポピュラーな苗床を作りある程度苗を育てて、水田に植えかえる方法を指しているが、これは危険なので、李朝時代は推奨していない。理由は、気象条件が日本列島と異なり梅雨前線が日本では水田に苗を植える時に多量の雨と水が存在するが、韓国では梅雨前線が北上するのは7月に入り遅いのだ。
「挿種法」は雑草の手入れが少なくて済むが、韓国の風土には合わないという。だから「水耕法」という水田に種籾を直播きする方法がポピュラーだったようだ。だから、3回も4回も雑草を駆除する作業が必要であったと記録されている。この話は続けると長くなるので、この辺で止めておきます。
コスモスが一面に咲き誇っています、何とのどかな農村なのでしょうか。
両班の家は屋根が瓦葺きなので直ぐに判ります。この河回村は豊川柳氏一族のみが住んでいる場所でして、表札は柳さんばかりです。勿論、李朝時代は奴婢が30%~50%存在したといいますから、沢山の柳氏の奴婢が藁葺き屋根の下で暮らしていたと思います。
河回村は瓦屋根の両班の家の廻りを藁葺き屋根の粗末な家が取り囲むような都市設計になっています。しかし、こんな風景を観てると、昭和20年代の私が育った故郷の北河内の招堤(しょうだい)村の農村を思い出します。
鶏頭(ケイトウ)の花が道端で咲いています、オンドルの煙突が道路に突き出していますね。子供の頃の田舎では家の庭にも沢山の鶏頭の花が咲き誇ってました。
河回村の話は次回も続きます。
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