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纏向遺跡 大型建物跡近接地より多量の桃の種が発掘される

 今年の夏も、纏向遺跡の発掘は再開されていた。昨年、大きな話題を呼んだ大形建物跡の南の部分を発掘中である。先日、この発掘地より2千粒の桃の種と竹ザルが発掘されたと報道が有りました。

 朝日新聞 纏向遺跡から祭祀用? 桃の種2千超 邪馬台国有力候補地

  記事によれば、大形建物跡に近接する南5メータの位置で楕円形の穴(東西約2.2メートル、南北4.3メートル、深さ80センチ)で桃の種2千個以上が発掘されたようです。桜井市教育委員会の考えは祭祀用に桃が使用され、祭祀の後、遺棄されたものと考えているようです。

 同時に、竹ザル6点(直系30~60センチ)、木製の剣、故意に割られた土器片、朱塗りの弓、獣骨なども出土し、いずれも祭祀に関係するものと考えられるとある。記事に拠れば、古代中国の神仙思想では桃は不老不死の象徴であり、魔よけの霊力を持つと考えられ、邪馬台国の卑弥呼の鬼道との関連が指摘されている。

 同志社の辰巳先生の話では卑弥呼が竹ザルに多量の桃を積み上げ祭祀をしたのではないかと述べられている。

 私は、読売新聞の記事を最初に読みましたが、興味を持って記事を読みました。桃と言えば、桃太郎の物語が思い出されます。今年の春に初めてタイ・アユタヤを紀行しましたが、その時の印象は桃太郎の物語のルーツはラーマーヤナ物語にあるのではないかと強く思いました。

 参考 バンコク紀行 その6 ラーマーヤナ物語

 インドを起源とする神話が海のシルクロードを経由し倭人の航海民に伝播した可能性があると思います。纏向遺跡には吉備の国の影響が多く見られます。吉備の勢力との連合政権が三輪山周辺で起こったと推測される根拠は多くの遺物から推測可能です。

 桃太郎の物語での吉備団子、瀬戸内海の鬼が島、明らかに三輪山周辺で前方後円墳が築かれ始めた時代には瀬戸内海航海民が連合した政権が生まれたと考えられると思います。この件については、後日、又、じっくりと記事を書きたいと考えています。

 纏向遺跡は掘れば何か出てくる不思議な遺跡ですね。

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