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古代史・民俗学関連読書メモ

 海外旅行をすると特に飛行機の中や、滞在先のホテルで暇なので、読書量が増えます。最近読んだ本に関して、感想とメモを残しておきます。

 『古代大和朝廷』 宮崎市定(筑摩書房1988年)

 ・宮崎さんの本との最初の出会いは『アジア史概説』(中公文庫)でした、ベトナムに駐在している時にはこの本を読んでいました。今回の本は20年前に出された本ですので、最近の考古学の進歩により内容面で再考の余地が多い部分があるかも知れませんね。

 ・彼の歴史観で面白いと感じた点が幾つかありました。先ず、ヤマト王権の成立と成長を地中海のフェニキア文明に当てはめ、瀬戸内海の交易路を確保した文明であると比喩されたのは面白いです。吉野の木材を確保し、巨大な船団を組める船を建造し、同時に火力源として吉野の木材資源をヤマト王権の原動力としたという考えです。

 ・ヤマト王権の水軍基地は昭和57年に発掘された和歌山県の鳴滝遺跡であると述べています。吉野の材木を集積し、近接する古代に存在した大池で造船を行ったと述べています。

 ・ヤマト王権の歴史を概観すると、第一次は瀬戸内海の制海権を確保した段階。第二次は内陸部の西日本を制圧した段階と捉えているようです。この第二次で出雲も制圧したと考えているようです。第一次の段階では日本海航路は依然として出雲が制圧していたと考えている。彼の考えは日本海航路は瀬戸内海航路に比較し、危険が多く圧倒的に瀬戸内海航路がハイウエイとして大陸との交易を独占できたと論述している。

 ・古事記に記録する歴代天皇の名前で初代神武さん(カムヤマト イハレビコノ ミコト)から第11代垂仁さん(イクメイリヒコ イサチノ ミコト)までの、名前を分析すると、全ての天皇名にミコトが存在し、ヒコが10回登場し、ヤマトが6回登場すると分析する。ミコト(命)の意味は王という意味であるが、語源は御言であり神託を受けて他人に伝える人という意味である。ヒコはヒメに対応し男性の尊称であるが、日子であり、日の御子、太陽神の分身である事を意味する。ヤマトは地名であり本来はヤマトヒコがヤマトの王という意味である。

 ・第二段階になり、ヒコ集団はタケル集団を制圧する事になります。イズモタケル、クマソタケルとの戦いです、崇神天皇の時代に四道将軍を派遣する話はこの段階を語っている。ヤマトタケルはクマソから奉っられた名前であり、ヤマト王権の名前ではない。

 ・東洋史の中で日本の古代史を位置づける考えは私も同感ですが、神武さんが1~2世紀に活躍し、神宮皇后を卑弥呼と考えるには少し無理があるように思いました。

 『黒潮に乗ってきた古代文化』小川光暘(おがわこうよう)日本放送協会(平成2年)

 ・明日香に存在する石造物のルーツについて黒潮を辿る面白い本でした。

 ・吉備姫王墓には4体の猿石と呼ばれる石造物が存在します。同じようなものがバリ島のバリ博物館で彼は発見している。飛鳥資料館で展示されている女性が男性の後ろから抱きついている石像(石神の石人)もバリ博物館に類似の石像を見つけている。

 ・斉明天皇の時代に庭園で噴水として遠来の客をもてなしたこの石像は直接的には済州島(トカラ)の渡来人が造ったと述べています。唐と新羅の連合が百済を攻撃する緊迫した時代に済州島の人々がヤマト王権と連携していた背景があるようです。

 ・一番面白い話は、酒船石の解釈です。彼は、アステカやマヤで行われた人身御供の儀式で使用された祭壇であると結論しています。確かに、酒船石の上に上向きで人間が横たわるとピッタリします。古代、オトタチバナヒメが海に身を投げる話や、人柱をたてる話や、ヤマタノオロチ伝説は人身御供が存在した事を語っています。

 ・バリ島、ジャワ島、インドネシア地域は海のシルクロードの中継地点であり、インドを文化発祥の地とすれば、人・物も海路で運ばれてきたと思います。今年の春にバンコク・アユタヤを訪問した時に海のシルクロードの重要性について強く感じました。

 『大嘗祭の成立』 谷川健一(小学館 1990年)

 『古代日本の史脈』 上田正昭(人文書院 1995年)

 『DNA考古学のすすめ』 佐藤洋一郎(丸善 平成14年)

 上記3冊も面白く読ませて貰っています。いずれ機会が有ればメモを残します。

 そうそう、佐藤さんが記録してましたが、三内丸山遺跡でカラスムギと思われる種子が発掘され、ササと似た種子なので、本当にカラスムギの種子か弘前大学の石川隆二さんが分析してるそうですが、どうなったのでしょうか興味あります。

 もし、カラスムギであれば5500年前の縄文時代にユーラシアの東西を繋ぐ交易路が存在した事になるそうです。

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