読売新聞記事 『製鉄の起源 早まる可能性』
2010年8月18日(水曜日)朝刊記事に掲記の興味ある記事が掲載されていた。記事によれば、東京都三鷹にある「中近東文化センター」が四半世紀に渡りトルコのアナトリア高原のカマン・カレホユック遺跡を発掘しており、最新の発掘状況を取材に出かけた記事である。
先月、遺跡の近くに日本の支援で国立博物館が開館した事もありその取材も兼ねた報告書であるようだ。私は今年の1月にトルコ3千キロの旅をしたところであり、紀行文でも記録しましたが、世界で初めて鉄器を開発し巨大な帝国を築いたヒッタイトの故郷であります。あの、エジプトを圧倒した、世界史に輝く帝国の故郷です。
位置関係はグーグルアースを使い確認してみましょう。予め、グーグルアースをインストールしておいて下さい。
グーグルアースでは紀元前17世紀~13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の首都であったハットゥシャの位置を示しています。現在のトルコの首都であるアンカラから東145キロの地点にあります。
グーグルアース ヒッタイト関連遺跡地図
今回の中近東文化センターが発掘しているカマン・カレホユック遺跡は地図で示しましたが南にあります。高さ16メータ、直系約280メータの円形の台地が階段状に発掘されているそうだ。遺跡のカレは城、ホユックは人口の丘という意味で5千年間に渡り人々が同じ場所に日干しレンガの建物を建てて生活をしてきた場所らしい。私の地図で示した場所の少し東の丘が発掘現場と思われる。
昨年この遺跡で大きな成果があったそうだ。この遺跡はヒッタイト帝国が隆盛を極めたBC18世紀後半~BC12世紀頃の遺跡であるが、それ以前の前期青銅器時代の層(BC21世紀~BC19.5世紀頃)の出土品から小刀とみられる鉄製品や、鉄鉱石、製鉄の際に出る不純物の鉄滓(てつさい)が発掘された。
これまでの常識では鉄はヒッタイト人により発明されたと考えられてきたが、この定説が覆えそうな事実の発見であった。現地のアナトリア考古学研究所の大村幸弘所長は慎重な発言をしておられ、確実な証拠である炉の存在を確認して結論を出したい考えのようだ。しかし、明らかに製鉄の起源が遡る可能性が高まった事は事実だ。
ヒッタイト以前の製鉄が証明されれば、ヒッタイトがアナトリア高原に進出する前の原住民であるハッテイ人が製鉄技術を持っていた事になる可能性が高い。
グーグルアースの地図でも示しましたが、ハットゥシャ遺跡の北にアラジャホユック遺跡が有ります。この遺跡からはBC23世紀頃のハッテイ人の13人の王墓が発掘されている。此処から金と隕鉄を使用した豪華な鉄剣が出土しているのだ。同遺跡を発掘したチョルム博物館のウンデル・イペック館長の話では、ハッテイ人は非常に高い金属加工技術を持っており、後から進出して来たヒッタイト人は彼らを殲滅させるのではなく、彼らと共存し技術を受け継いだという説を述べている。
ヒッタイト人はハッテイの優れた金属加工の技術に着目し、それを実用化へと昇華させた役割だった事になる。次回の記事は25日に掲載される予定だそうだ。
参考サイト アナトリア考古学研究所
参考サイト 中近東文化センター
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