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小集落から突如消えた鉄 読売新聞連載記事その2

承前 読売新聞記事 『製鉄の起源 早まる可能性』

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 ヒッタイト人はBC1700年頃にはトルコ半島(アナトリア)に複数の都市を建設し「ヒッタイト古王国」を築いていた。BC1400年頃にはハットゥシャ(ボアズキョイ)を都とする『ヒッタイト帝国』としてシリアやエジプトに侵攻を始めるのだ。

 古王国時代は各都市で製鉄がなされていたが、帝国時代になると鉄の技術が拡散するのを避ける為に、製鉄施設は特定の箇所に集約されたそうだ。それが、アナトリア考古学研究所が発掘している城塞都市跡、ビュクリュカレ遺跡だそうです。

 (ビュクリュカレ遺跡 概要)

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 アナトリア考古学研究所のホームページに概要が記録されています。是非参考に読まれては如何でしょうか。

 ビュクリュカレ遺跡

 この城塞都市は東西500メータ、南北650メータの規模の都市で三重の城壁で囲まれており、一番内側の城壁は高さ10メータを超えるという。

 このような安全な場所でのみ、ヒッタイト帝国では製鉄を行い、技術が拡散する事から守ったという。

 私の若い頃でも「鉄は国家なり」、という言葉が存在した。弥生時代以降の日本の歴史は朝鮮半島からの鉄鋌の輸入に頼り、その権益を握るものが列島の王として君臨した。伽耶・加羅とヤマト王権の深い関係が長く続いた歴史がある。

 日本で鉄鉱石から本格的に製鉄が始まるのは継体天皇の時代からである。そして、伽耶・加羅に依存していた日本は朝鮮半島の政治からは遠ざかる事になりました。当時は高熱を得る技術が重要だったようですが、豊前の秦王国が重要な役割を果たした事を過去に何回も記事にしてきました。近江の息長氏の名前はフイゴによる高温を得る技術を持つ氏族という意味だと何処かで学んだ記憶があります。

 さて、製鉄・青銅・等々の金属加工技術は国家の機密事項だった事は確かです。今年春に兵馬俑坑を再訪したが、クロムメッキされた青銅の剣の技術は始皇帝の秘密でした、その技術が再度発明されたのは近代に於いてという風に、最高の技術は王朝の消滅とともに消える事も有りました。

 石見銀山を訪問した時も、江戸時代まで中国では最新技術である『灰吹き法』の機密を守っていたようですが、朝鮮半島経由で石見銀山に技術が伝播し世界最高の銀生産地となりました。

 参考 世界遺産 石見銀山

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