『誕生 中国文明展』 上野国立博物館 平成館展示
昨日昼頃に遂に10日間ほど帰省していた北海道在住の娘家族が札幌に戻った。新横浜プリンスホテルの羽田行きバスを見送った。一家4名は元気にバスの窓から手を振ってくれていた。遂に、『ハルマ台風』は去って行きました。祭りの後の淋しさが我が家を襲います。
という訳で、私は自分の時間が出来たので、爺さん4人組の八ヶ岳登山の記録写真をCD RAMに焼き写真の一部を印刷してコンビニに持ち込み皆さんにメール便で郵送した。京都帰省時の写真も印刷し、郵送準備をした。そして、上野の国立博物館『誕生! 中国文明展』見学と梶山さんの京橋『ギャラリー くぼた』を訪問する為に忙しく家を出た。
『誕生! 中国文明展』 Webサイト
鴬谷駅に到着したのが午後4時、閉館は5時なので急いで平成館を目指した。黄河中流域の黄河文明発祥の地、河南省文物局が主催しているので、楽しみだった。
・BC2000年~BC1600年頃の幻の初期王朝『夏(か)』の文物の展示
洛陽博物館、河南博物院から出品された動物紋飾板、爵(酒器)、鈴、玉刀、甕、白陶盉(はくとうか)等々の神事に関わる遺物(夏時代の遺跡より出土物)が注目された。動物紋飾り板は青銅の板にトルコ石がモザイク状に埋め込まれたもので、エジプトやトルコ方面の文化・文明の香りを感じました。既に、『夏』の時代には西アジア、エジプト方面と交流が存在した事を示していると思います。
・BC1600年~BC800年頃の『商・西周』の時代の文物の展示
約20点に及ぶ祭祀に関わる遺物が展示されていた。先祖の霊に捧げる肉を煮る青銅製の三本脚の鍋、鼎(かなえ)が沢山展示されている。方形のもの、円形のもの、怖そうな目玉がギョロの紋様=饕餮文(とうてつもん)が馴染です。
祭祀に関する遺物が殆どですが、青銅器と玉で出来たものが全てです。特に酒に関する遺物が多く、酒を温める器や酒に香りをつける為に香草を煮る器や酒を注ぐ器全てに名前がついています。何回も中国現地の博物館や遺跡博物館を訪問しても覚える事が出来ないくらい多い。例えば、尊(そん)、卣(ゆう)、罍(らい)、爵(しゃく)、角(かく)、斝(か)、盉(か)、觚(こ)、觶(し)、・・・・きりが無い。
白川静先生が漢字のルーツは神との契約文書に始まると述べておられるのが、遺物を観ていると実感が湧いてきます。漢字の始まりと祭祀は切っても切れない関係なんですね。と同時に、やたら酒が関係するのが興味有ります。
黄河中流域の夏・商・西周の人々はどんな酒を飲んでいたんでしょうか。私は想像するに白酒(パイチュー)のような蒸留酒ではなかったかと思います。アワ・コーリャン・ヒエ・麦、等々の穀物から蒸留酒を作っていたと思います。それに対して、長江流域の文化・文明圏の人々は米から醸造酒を作成し飲んでいたと思います。
中国人は玉を好みます、しかし、不思議と日本列島にはその文化が伝播しなかったのです。日本には存在しない石だったからでしょうか、それとも日本列島の人々は興味が無かったからでしょうか。日本列島の宝石としては日本海沿岸の姫川の翡翠が国際商品として活躍したと考えています。
中国の玉璧(ぎょくへき)は王の象徴のようなものだと思いますが、この文化も列島には伝播しなかったのでしょうか。(完璧という漢字の語源はこの璧にあるそうです)日本では、貝(ゴホウラ)で作る貝輪が弥生時代の遺跡からは沢山腕にはめた墓が見つかっています。列島はやはり、黄河文明よりは長江文明の影響が大きいのでしょうね。
展覧会では春秋・戦国時代(BC8世紀~BC3世紀)の遺物や前漢(BC3世紀~AD1世紀)の遺物も展示されています。
特に金縷玉衣(きんるぎょくい)は河南博物院から出展され、初めて実物を観た。玉片を金の糸でつなぎあわせ、衣服にして埋葬者に着せたものである。玉は魔よけの力があると信じられていたのですね。(今でも台湾や中国の人は信じている人が多い)
玉はホータン辺りで採取されたものではないでしょうか。150点近い遺物が展示され、見応えのある展示会です。私は50分程度しか時間が取れませんでしたが、もう一度見学に行こうかと考えている程です。是非、皆さまもお時間が有れば、上野の博物館に足をのばしてみては如何でしょうか。
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