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第七回三輪山セミナーイン 東京

 承前 第一回~第六回 三輪山セミナーイン 東京 記録集

 早いもので、第一回の三輪山セミナーから7年も経過し、毎回参加して来たセミナーは益々盛況となっています。今年も当日券は販売出来ない状況となり予約客しか入れない状況でした。という訳で、先輩の福永さんは参加出来ませんでした、しかし、三島から同期の浦川さん、後輩の松林さんが一緒に参加出来ました。

 今回の講演者は考古学者の白石太一郎さん(歴博名誉教授、近っ飛鳥博物館館長)と映画監督の篠田正浩さんでした。篠田さんは昭和49年に映画『卑弥呼』を監督された経験からか、『三輪山をめぐる芸能について』という題目で講演されました。

 白石太一郎さんは、『纏向遺跡の大型建物と邪馬台国』という題目で講演され、多くの考古学ファンが参集されたのではないでしょうか。白石さんの講演について、少し、記録を残しておきます。

 ・白石太一郎氏の講演

 私は昨年、白石氏の『オオヤマト古墳群と古代王権』という本を読みました、詳細な記事も書きましたので此処では割愛しますが、講演の殆どの内容はこの本に沿った内容であったと思います。そして、昨年の桜井市の発表した纏向遺跡に関する発表論文が使用されていたと思います。

  参考 白石太一郎『オオヤマト古墳群と古代王権』 関連記事

 纏向遺跡は今年も7月から発掘が再開されました、どんな報告がされるか興味のあるところです。

上記論文に関して、補足するかたちで幾つかの論点の補足をします。列島では漢王朝の支配権が朝鮮半島南部まで及んでいた時代は明らかに北九州の勢力が洛東江流域の鉄鋌を独占していました。中国鏡の分布からその事が証明されます。資料「広域の政治連合の成立」で漢鏡4期→漢鏡5期→漢鏡6期の時代の鏡は圧倒的に北九州に集中しています。しかし、漢鏡7期第2段階に入ると突然に四国東部、播磨、奈良、山城地域に集中する事が判ります。

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 第7期第2段階の鏡は画文帯神獣鏡と呼ばれる鏡であります。この中国鏡の編年は京都大学の岡村秀典さんの1990年の論文を根拠としています。

 注:漢鏡4期(BC1世紀後葉~1世紀初め)、漢鏡第5期(1世紀中葉~後半)、漢鏡第6期(2世紀前半~後期中葉)、漢鏡第7期(2世紀後半~3世紀初め)

 後漢王朝の衰退により朝鮮半島南部で独占的に漢王朝の後ろ盾で鉄鋌の輸入をしていた北九州勢力が中国王朝の後ろ盾を失い、倭国争乱が起こり、瀬戸内海・近畿の勢力が勝利した歴史を示しているという考えになる。

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 西日本に於ける出現期古墳の分布と鉄鋌出土遺跡の分布の地図を示している。

 出現期古墳は四国の香川県、吉備、播磨、山城、奈良に集中し巨大古墳が奈良県東南部に集中してる事が判ります。

同時に、伽耶・加羅諸国から輸入された鉄鋌出遺跡が瀬戸内海と近畿に集中しています。

 白石さんは魏志倭人伝で述べる邪馬台国連合と戦った狗奴国は東海の濃尾平野を拠点とする勢力であると考えておられるようです。

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  その論拠は濃尾平野における古墳の編年に拠ります。左の資料によれば、4世紀の中葉にならねば前方後円墳が出現しません。それまでは、前方後方墳が築かれているのです。

 邪馬台国を盟主とする国々と東海地方の狗奴国は3世紀中葉に戦いがあり邪馬台国連合が勝利したと考えられる。

 詳しくは、『オオヤマト古墳群と古代王権』を参照して下さい。

 

 参照 オオヤマト古墳群地図

 白石さんはオオヤマト古墳群について以下の意見です。

・巨大古墳を年代順に並べると①箸墓古墳(280メータ)②西殿塚古墳(240メータ)③桜井(外山)茶臼山古墳(208メータ)④メスリ山古墳(250メータ)⑤行燈山古墳(240メータ)⑥渋谷向山古墳(310メータ)の順である。これらは箸墓に始まる初期の6代の倭国王墓と考える。奈良盆地東南部の4つの地域の政治集団から交互に倭国王となったと考える。

  箸墓を卑弥呼、西殿塚をトヨとすると桜井(外山)茶臼山古墳は誰になるんでしょうか、神武天皇は橿原、畝傍に葬られたとするが、生前の鳥見山での祭祀記事を考えると桜井(外山)茶臼山古墳でも不思議ではない。今後の、橿考研の茶臼山古墳の再調査の報告が楽しみです。

 参考 桜井茶臼山古墳、纏向遺跡紀行 目次編

  参考 纏向遺跡の古代地形

 参考 纏向遺跡の遺物について

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