« July 2010 | Main | September 2010 »

古代日本列島人の蛇神信仰について その2 筒と住吉神

 承前 古代日本列島人の蛇神信仰について その1 序

 谷川健一氏の『古代海人の世界』を典拠として、筒族に関する古代の歴史・神話に触れてみましょう。

 (筒=ツツ=蛇 に由縁のある神)

 『古事記』によれば、イザナギさんが死んだ奥さん(イザナミ)に会う為に黄泉の国に行き、何とか逃げかえりました。そして、日向(ひむか)の橘の小戸(おど)の阿波岐(あわき)原で禊(みそぎ)をした時に海の神、六柱が誕生しました。即ち、阿曇連(あずみのむらじ)の祖神となる三柱、上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、そして墨江大神の三柱である上筒之男命(うわつつのおのみこと)・中筒之男命(なかつつのおのみこと)・底筒之男命(そこつつのおのみこと)です。

 そこで、筒之男命についてですが、谷川健一氏はその正体は蛇身の女神であると結論しています。『神功皇后摂政前紀』には、以下引用文:~日向国の橘の小門(おど)の水底に居て、水葉(みなは)も稚(わかやか)に出(い)で居る神、名は表筒男(うわつつお)、中筒男(なかつつお)、底筒男(そこつつお)の神有(ま)す。~以上引用終わり。

 この解釈は「水葉も稚に出で居る神」は「海草のように若々しくて生命に満ちている神」と解釈するのが普通である。民俗学者の大御所の折口信夫氏は「出雲国造神賀詞(いずもの くにのみやっこ かむよごと)にみえる「若水沼(わかみぬま)」と同じく、若い水の女神と解している。その若い水葉(みなは、ミツハ)の神は、水底にいる蛇身の女神である。それが、筒男というのであるから、筒男が蛇にあやかった名前である事が判る。

 わたつみ、という言葉は戦前には良く話された言葉ですね。最近の若い人には馴染でない言葉かも知れません。墨江大神とは全国で2000社は存在するという、住吉大社の神々の名前です。今はスミヨシと発音するのですが、昔はスミノエと発音していました。そして、筒男とは男神ではなくて、女神である事に驚きませんか。海の神は宗像の神もそうですが、女神と決まっているのです。

 これは、世界共通かも知れませんね、船の名前もドイツ語でも英語でも船は女性名詞でしたね。

 (筒のつく地名と住吉神)

Photo

 地図を見て下さい、筑前糸島郡雷山には雷神或いは筒神と呼ばれ、住吉の筒男神と同じ聖なる場所と、壱岐国石田郡石田郷にも筒城(つつき)と呼ぶ海神(わたつみのかみ)が存在し、対馬にも豆酘(つつ)を本拠にしていた海人が存在していたと田中卓氏が述べている。

 筒男神は対馬、壱岐、筑前糸島郡を拠点とする海人であったようです。神が三柱存在すという事は対馬、壱岐、筑前に拠点を持つ海人が連携して大陸と倭国の貿易を支配していた可能性があります。

Continue reading "古代日本列島人の蛇神信仰について その2 筒と住吉神"

| | Comments (2)

累計130万アクセスとなりました

 承前 累計120万アクセスとなりました

 4か月前に累計アクセスが120万アクセスに到達しましたが、同じく本日累計130万アクセスになりました。4か月で10万アクセスのペースのようです。

 累計アクセス数: 1300055 1日当たりの平均: 563.77

過去1カ月間のアクセスの傾向について報告します。

 解析対象期間: 2010年7月31日(土) ~ 2010年8月29日(日)

 ページ別アクセス数 

アクセス数: 26,081
訪問者数: 17,833

 

1 JoBlog: トップページ 6681,769

2 JoBlog: 『誕生 中国文明展』 上野国立博物館 平成館展示 137165

3 JoBlog: 蓼科山登山 大河原峠→将軍平ルート 106159

4 JoBlog: 飛鳥Ⅱ限定だったビールが市販される『ヱビス ASUKA CRUISE まろやか熟成缶』 96108

5 JoBlog: まっか瓜は何処へ 103106

6 JoBlog: 高句麗(コグリョ) 文明 7989

6 JoBlog: 京都・奈良は蒸し風呂だった 5489

8 桜井市立埋蔵文化財センター: トップページ 1780

9 タンロン皇城遺跡、軍事博物館: 旗台 タンロン遺跡 5076

9 オルセー美術館 (Musée d'Orsay): ゴーギャン タヒチの女たち 5776

11 オルセー美術館 (Musée d'Orsay): ゴッホ 自画像 4967

12 JoBlog: 趣味 2266

13 JoBlog: 栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基 3261

14 オスロ バイキング博物館: トップページ 2360

15 JoBlog: 蓼科山登山記録

4059

 傾向としまして、真面目で地味なテーマが人気のようです。博物館とか美術館とか埋蔵文化財センターのアクセスが多いのは真面目な読者さんが多いという事ではないでしょうか。(笑)

 タンロン皇城遺跡が急にアクセスが増えたのは、世界遺産に登録されたからではないでしょうか。そして、山歩きの記事も人気があるようです、爺さん4名の山歩きなので、年配の方々の参考になる記事が多いのではないかと思います。

 (検索ワードの分析)

集計対象アクセス数:5,536

 

1 蓼科山 185

2 登山ルート 123

3 モネ 77

4 上野 74

5 登山 73

6 地図 72

7 ラジコン 70

8 コグリョ 68

9 タンロン遺跡 61

10 桜井市立埋蔵文化財センター 59

11 ゴッホ 58

11 オルセー 58

13 高句麗 57

14 中国 48

14 睡蓮 48

16 韓国 42

 最近はオルセー美術館に関するアクセスが多いようですが、多分、数多くの写真が収録されているからだと思います。あとは山歩きと古代史とラジコン関連と私のカバーするジャンルが均等に検索されているようです。

Continue reading "累計130万アクセスとなりました"

| | Comments (0)

古代日本列島人の蛇信仰について その1 序

古代の日本列島歴史を考えるには考古学によるアプローチと文献史学によるアプローチがあります。しかし、古代の人々の精神世界を復元するには民俗学というアプローチが必要になると考えるようになりました。卑弥呼の鬼道とは何だったのか、その痕跡は我々の精神世界に残されていないかを追跡しなければ、豊かな古代史の復元は出来ない。

 最近、民俗学者の谷川健一氏の『古代海人の世界』(小学館)を読む機会がありましたので、特に古代人の蛇信仰についてメモを残したいと思います。勿論、三輪山の大物主の正体である蛇に関しても触れたいと思います。考えてみると、大物主という名前に主(ぬし)という言葉が含まれていますね、ヌシというのは蛇の事である事を忘れていました。

 (アマベの民の分類)

 海辺で暮らす人々を分類すると①海に背を向けて農耕をする人々。②浜辺で潜って魚介類を採取する人々。③家船(えぶね)のように海上で生活する漂海民。④魚を獲らない航海に従事する人々。海に背を向けて農耕する人々も出自を異にする渡来の海民がいたのではないかと考えられる。

 私の父の実家は佐賀県唐津で江戸時代から海外貿易を生業としていた一族であったようです。分類でいうと④の海の民と言う事が出来ます。実家の裏まで貿易船が停泊できる家だったようで、唐津では有名な貿易商だったと、父の家で育てられた書生さん(書生さん達は東京帝大に留学が許された)が話をされていました。江戸時代は鎖国時代と言いますが、九州ではそんな法律は通用しなかったのでしょうね。明治維新が出来たのは西国の雄藩が密貿易で財を蓄えていたからだという説もあります。

 父は家業を継がず、家の財産も継がず、独立して関西方面で一般庶民と同じ公務員の仕事を最後まで続けました。ですから、貧乏な家でした。

 そんな訳で、子供の頃から自分の親爺の名前が気になり、筒(ツツ)に関する列島での歴史に興味がありました。次回の記事では、私の父の先祖であろう筒(ツツ)族に関する民俗学の分野からの歴史分析について『古代海人の世界』からその内容を御紹介したいと思います。民俗学の分野ではかなり詳しく今迄に研究されているのには驚きました。

 

Continue reading "古代日本列島人の蛇信仰について その1 序"

| | Comments (0)

ワニ氏と古代ヤマト王権

 ワニ氏は和邇氏とも王仁氏とも漢字で表記される事があります。私は子供の頃から近所で馴染であったのは王仁氏の方で、招堤村から山を越えると長尾という場所があり(伝)王仁博士の墓があります。応神天皇の頃に朝鮮半島より渡来し、皇太子の菟道稚郎子(うじのわけいらっこ 悲運の皇太子で宇治天皇とも呼ばれる)の家庭教師をしたという。

 論語10巻と千字文1巻をもたらしたと言われている。ワニ氏を招聘したのは、阿直岐(あちき)という朝鮮半島から渡来した一族であり、その後、西漢(かわちのあや)氏、東漢(やまとのあや)氏の祖となった氏族です。漢王朝の時代に楽浪郡、帯方郡に移住していた中国系の氏族ではないかと類推します。

 (東大寺山古墳出土鉄刀)

Photo_2

 実はこのワニ(和邇)氏の4世紀頃から6世紀の期間、拠点とした場所と考えられる奈良県東部の現在の天理市に4世紀後半に築造されたと考えられる東大寺山古墳が存在します。石上神社の少し北方にあたります。この東大寺山古墳から中平銘が彫られた鉄刀が出土した事は御存知ではないでしょうか。

 グーグルアース 東大寺山古墳

「todaijiyama.kmz」をダウンロード

 この古墳は最近話題です、発掘後半世紀ぶりに報告書がでるという。金関恕氏の思いはいかばかりだったでしょうか。

 産経ニュース(半世紀ぶりの報告書)

 石野博信氏の意見では、邪馬台国問題を考える時に重要な鉄刀であると述べています。その理由は、中平という年号は後漢の年号である光和の直後の年号だからです。『梁書』で書かれた倭国乱は光和の年号の時代であり、女王、卑弥呼が邪馬台国の盟主として共立された時期がこの中平の年号の頃と考えられるからです。中平は175年~183年の期間ですから卑弥呼共立の時期の鉄刀という事になります。

 邪馬台国の所在を確定する重要な証拠物ですが、学会では埋納された古墳が4世紀後半の古墳と考えられるので時代にズレがあり、和邇氏が2世紀後半から4世紀後半まで200年間も何処かで保持していた事にになります。倭国乱の終結により女王として共立された卑弥呼に記念して中国の王朝が直接与えたか、当時の朝鮮半島を支配していた公孫氏から下賜されたものと考えられる。

 邪馬台国時代の重要な鉄刀を保持していたワニ氏は滋賀県の琵琶湖東岸を拠点とする日本海ルートに深く関わる氏族です。

 (滋賀県守山市伊勢遺跡 大型建物群遺跡)

Photo

 琵琶湖東南岸に守山市伊勢遺跡に於いて2世紀の弥生時代の大型建物跡群が発見されました。ワニ氏の拠点となっていた場所です。彼らは日本海ルートを利用して若狭湾から陸路琵琶湖北岸に辿り、琵琶湖水路を利用し宇治川を利用、桂川・木津川の合流点から木津川を遡り現在の木津駅のあるあたりから陸路奈良盆地北部に入るルートを抑えていたと考えられる。

 本遺跡に関してはMuBlogで記事が書かれていますので、参考にして下さい。

 MuBlog 滋賀県伊勢遺跡

 JoBlog  滋賀県伊勢遺跡訪問(2012年8月31日記事)

 (伝)王仁博士の墓もこのルートにあります、奈良盆地北部に到達する道は昔ワニ坂と呼ばれていたと記憶します。崇神天皇の時代の武埴安彦との戦争の時、ワニ氏は崇神天皇側につきワニ坂を抑えこの道を利用して木津川での激突となりました。

 邪馬台国が三輪山周辺に存在していたと仮定すると、ワニ氏は邪馬台国の琵琶湖から日本海を利用する大陸との貿易ルートを確保していた氏族という事になり重要な立場にいたと思います。

 

Continue reading "ワニ氏と古代ヤマト王権"

| | Comments (0)

地霊信仰

 夏の高校野球も終わった、若者が高校野球の聖地、甲子園を去る時に甲子園の土を持ち帰る映像が常に流される。これは何なんでしょうか。土地に家屋を建てる時には必ず地鎮祭を行い、土地の神に許しを乞う神事が行われる。江戸時代から、森浩一氏の話では伏見稲荷に参拝した農民は伏見稲荷の土で出来た伏見人形を購入し持ちかえり、自分の田圃・畑に埋める風習が存在した。

 (箸墓古墳と中山大塚古墳の特殊器台)

 ここで、話は3世紀に時代は遡ります、石野博信氏の『邪馬台国と古墳』(学生社)によれば、箸墓古墳の周濠から出土した吉備の影響を受けた特殊器台埴輪と中山大塚古墳から出土した同じく特殊器台埴輪に含まれる砂礫は岡山県総社市加茂遺跡などの、足守(あしもり)川産出の砂礫だという。中山大塚古墳の傍の少し時代があとの西殿塚古墳の特殊器台の砂礫は地元の砂礫だという。

 この話の元は、1985年に発表された奥田尚・狐塚省三氏の論文『吉備型「器台・壺」胎土中の含有物・砂礫とシャモットをめぐって』、田中英夫・奥田尚『奈良県中山大塚古墳の特殊器台形土器』の論文であろうと思います。

 石野博信氏の意見はこの論に対して肯定的である。しかし、箸墓古墳や中山大塚古墳の巨大な埴輪が吉備から運ばれたと考えるのには無理がある。氏は三輪山周辺の粘土に吉備から運ばれた砂礫を投入し二つの土地の土を混合して埴輪を製作したと考えておられるようです。

 『日本書紀』に、崇神天皇の時代に山背の武埴安彦が反乱を起こし、古代最大の内戦と森浩一氏が述べるヤマトとの戦争の時に武埴安彦の奥さんの吾田媛(吾田隼人の女性で戦闘の指揮をとる勇ましい女性)の逸話が興味を引く。彼女は密かに天香具山に行き、そこの土を採り領布(ヒレ スカーフのようなもの)にその土を包み、『これ、倭国の物実(ものしろ)』と叫び、その土に呪いをかけて戦闘を始めたという逸話がある。

 特定の土地の「土」がその国の国土の代わり=物実(ものしろ)、という観念されていたのではないかと考えられる。吉備国が邪馬台国連合創設にあたり大きな役割を果たそうとした時に吉備の土と地元、大和の土を混ぜて埴輪を作る事はあり得る事ではないか。

 更に石野氏は纏向遺跡の3世紀の導水施設は、粘土を水漉し、「物実」としての砂礫を得る施設であった可能性があると述べる。邪馬台国連合国はこの纏向の砂礫を持ち帰り自国の粘土と混ぜて祭祀用の埴輪を作成した可能性を示唆しています。

Continue reading "地霊信仰"

| | Comments (0)

小集落から突如消えた鉄 読売新聞連載記事その2

承前 読売新聞記事 『製鉄の起源 早まる可能性』

Photo

 ヒッタイト人はBC1700年頃にはトルコ半島(アナトリア)に複数の都市を建設し「ヒッタイト古王国」を築いていた。BC1400年頃にはハットゥシャ(ボアズキョイ)を都とする『ヒッタイト帝国』としてシリアやエジプトに侵攻を始めるのだ。

 古王国時代は各都市で製鉄がなされていたが、帝国時代になると鉄の技術が拡散するのを避ける為に、製鉄施設は特定の箇所に集約されたそうだ。それが、アナトリア考古学研究所が発掘している城塞都市跡、ビュクリュカレ遺跡だそうです。

 (ビュクリュカレ遺跡 概要)

Photo_2

 アナトリア考古学研究所のホームページに概要が記録されています。是非参考に読まれては如何でしょうか。

 ビュクリュカレ遺跡

 この城塞都市は東西500メータ、南北650メータの規模の都市で三重の城壁で囲まれており、一番内側の城壁は高さ10メータを超えるという。

 このような安全な場所でのみ、ヒッタイト帝国では製鉄を行い、技術が拡散する事から守ったという。

Continue reading "小集落から突如消えた鉄 読売新聞連載記事その2"

| | Comments (0)

生目(いきめ)古墳群と大和 

 神武東征の神話は全くの虚構なのか、何らかの歴史的な背景が存在したのか、それは今だ謎のままです。纏向遺跡の発掘で著名な石野博信氏の『邪馬台国と古墳』(学生社)より、「生目古墳群と大和」という論文を御紹介します。

 纏向遺跡で一番重要なのは箸墓古墳です。しかし、この箸墓より古いと考えられる古墳がホケノ山古墳、石塚古墳です。これ等の古墳は箸墓に比較して小さいですが、箸墓古墳に先行する前方部が極端に短く後円武が卵形をしています。寺沢薫氏は纏向型前方後円墳と呼んでいるものです。実はこれと同じ形態をした古墳が南九州に存在するそうです。

 それが、生目(いきめ)古墳群であり塚崎古墳群だそうです。グーグルアースで場所を確認してみましょう。(予めグーグルアースをインストール下さい)

 生目古墳群、塚崎古墳群

「Ikime.kmz」をダウンロード グーグルで南の曽於郡に塚崎古墳が判るようにしてあります。

Photo  出現期の前方後円墳の祖形が纏向以外に存在する事が衝撃なのです。時代も3世紀中葉~4世紀初めの頃と考えられています。そして、不思議な事に生目古墳群、塚崎古墳群には纏向と同じように、箸墓古墳型前方後円墳や、その後の行燈山古墳や奈良北部の佐紀丘陵に存在する古墳群と相似形の古墳も連続して築造されているそうです。

 もうひとつは、橿考研が発掘した大和(オオヤマト)古墳群にある4世紀の下池山古墳の大型の船型木棺の事実です。中国四川省の漢代の船棺とよく似た両端がせり上がる構造の木棺だそうです。

 参考 橿考研 下池山古墳の木棺

Photo_2  この辺りは今年の1月に散策した所です。大和神社(オオヤマト)から山辺の道に向かえば見学する事が出来ます。

 神武東征神話では速吸之門(はやすいのと)今の豊予海峡で水先案内人の海人である椎根津彦(しいねづひこ)と出会い、宇佐、築紫、安芸、吉備を経由して大和に入りました。その功績で、椎根津彦は倭の国造に任命されました。海人が陸地の知事になったようなものでした。その地域は現在の大和神社から下池山古墳、中山大塚古墳、西殿塚古墳あたりと考えます。

 

Continue reading "生目(いきめ)古墳群と大和 "

| | Comments (5)

メキシコ在住47年、公募展も開催中の画家・版画家、竹田鎮三郎さん

20108takedashinzaburo_003

 毎日新聞2010年8月25日夕刊の竹田鎮三郎画伯に関する記事を御紹介します。

 現在、北海道立釧路芸術館で開催中の『メキシコの美術と民衆の世界』展で竹田鎮三郎画伯や北川民次さん、岡本太郎さん、藤田嗣治さんの画展が開催中です。 

 毎日新聞の今日の記事は、竹田鎮三郎画伯のメキシコでの活躍に関する記事です。

 先生はメキシコの日本で言えば京都にあたる、オアハカで美術大学の教授もされながらメキシコの若い画家・版画家を育てておられます。

 竹田画伯はもはや現代の日本人が失ってしまったような、古き良き時代の日本人のルーツをメキシコの雛な地、オアハカで見つけられたようです。

 地元のテキーラである、メスカルを愛され、語られる世界は古き良き時代の日本の精神世界でした。

 記事を書かれた岸桂子さんは同志社の御出身のようです。

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その26 黄龍・九寨溝から成都へ

20106kyuusaikou_1409_2

 旅の最後となりました。九寨溝にはホテルが沢山ありますので、皆さん此処を拠点にされると思います。九寨溝から成都への帰還となりますが、険しい天下の険を越えて狭い道路をバスが走ります。危機一髪のような場面に遭遇しました。バスでの黄龍・九寨溝への旅の欠点はこの危なそうな山道の行程です。

20106kyuusaikou_1423

 最近は海外旅行でバスの事故が散見されますが、まさに九寨溝・黄龍の旅行は殆ど安全だとは思いますが、危険でも有ります。九寨溝から成都までは10時間以上かかると思いますので、結構大変でした。

写真のような事故現場で一時立ち往生しました。成都への山道では交通事故の現場に二回遭遇してしまいました。

20106kyuusaikou_1418

20106kyuusaikou_1416

 白馬寨(村)の人々が住むドライブインです。バスのブレーキを水で冷やします。これは、雲南省の山でもそうでしたが法律で決められていると聞いています。

 チベット族、白馬寨の人々のお店ではトーテムがあり上に鳥の彫刻があり屋根の上には鬼神と白い羽根がお守りとして存在します。アメリカインデイアンと共通するユーラシア北方遊牧民の信仰ではないでしょうか。

 羌族については、今回の紀行文で何回も民族の歴史に触れました。悠久の歴史を感じる旅でもありました。我々、日本人の祖先は色んな所から列島に流れ着いたのですが、ミトコンドリアDNA分析の結果、母方のルーツはモンゴル系でありバイカル湖に近い場所まで遡れるそうですね。

20106kyuusaikou_1420  バスと同じ高速道路を走る羌族の羊の群れです。迫力が有りました、バスと並走して走っていました。

 

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その26 黄龍・九寨溝から成都へ"

| | Comments (0)

第七回三輪山セミナーイン 東京

 承前 第一回~第六回 三輪山セミナーイン 東京 記録集

 早いもので、第一回の三輪山セミナーから7年も経過し、毎回参加して来たセミナーは益々盛況となっています。今年も当日券は販売出来ない状況となり予約客しか入れない状況でした。という訳で、先輩の福永さんは参加出来ませんでした、しかし、三島から同期の浦川さん、後輩の松林さんが一緒に参加出来ました。

 今回の講演者は考古学者の白石太一郎さん(歴博名誉教授、近っ飛鳥博物館館長)と映画監督の篠田正浩さんでした。篠田さんは昭和49年に映画『卑弥呼』を監督された経験からか、『三輪山をめぐる芸能について』という題目で講演されました。

 白石太一郎さんは、『纏向遺跡の大型建物と邪馬台国』という題目で講演され、多くの考古学ファンが参集されたのではないでしょうか。白石さんの講演について、少し、記録を残しておきます。

 ・白石太一郎氏の講演

 私は昨年、白石氏の『オオヤマト古墳群と古代王権』という本を読みました、詳細な記事も書きましたので此処では割愛しますが、講演の殆どの内容はこの本に沿った内容であったと思います。そして、昨年の桜井市の発表した纏向遺跡に関する発表論文が使用されていたと思います。

  参考 白石太一郎『オオヤマト古墳群と古代王権』 関連記事

 纏向遺跡は今年も7月から発掘が再開されました、どんな報告がされるか興味のあるところです。

上記論文に関して、補足するかたちで幾つかの論点の補足をします。列島では漢王朝の支配権が朝鮮半島南部まで及んでいた時代は明らかに北九州の勢力が洛東江流域の鉄鋌を独占していました。中国鏡の分布からその事が証明されます。資料「広域の政治連合の成立」で漢鏡4期→漢鏡5期→漢鏡6期の時代の鏡は圧倒的に北九州に集中しています。しかし、漢鏡7期第2段階に入ると突然に四国東部、播磨、奈良、山城地域に集中する事が判ります。

20108miwayama_013_2

 第7期第2段階の鏡は画文帯神獣鏡と呼ばれる鏡であります。この中国鏡の編年は京都大学の岡村秀典さんの1990年の論文を根拠としています。

 注:漢鏡4期(BC1世紀後葉~1世紀初め)、漢鏡第5期(1世紀中葉~後半)、漢鏡第6期(2世紀前半~後期中葉)、漢鏡第7期(2世紀後半~3世紀初め)

 後漢王朝の衰退により朝鮮半島南部で独占的に漢王朝の後ろ盾で鉄鋌の輸入をしていた北九州勢力が中国王朝の後ろ盾を失い、倭国争乱が起こり、瀬戸内海・近畿の勢力が勝利した歴史を示しているという考えになる。

20108miwayama_011

 西日本に於ける出現期古墳の分布と鉄鋌出土遺跡の分布の地図を示している。

 出現期古墳は四国の香川県、吉備、播磨、山城、奈良に集中し巨大古墳が奈良県東南部に集中してる事が判ります。

同時に、伽耶・加羅諸国から輸入された鉄鋌出遺跡が瀬戸内海と近畿に集中しています。

 白石さんは魏志倭人伝で述べる邪馬台国連合と戦った狗奴国は東海の濃尾平野を拠点とする勢力であると考えておられるようです。

20108miwayama

  その論拠は濃尾平野における古墳の編年に拠ります。左の資料によれば、4世紀の中葉にならねば前方後円墳が出現しません。それまでは、前方後方墳が築かれているのです。

 邪馬台国を盟主とする国々と東海地方の狗奴国は3世紀中葉に戦いがあり邪馬台国連合が勝利したと考えられる。

 詳しくは、『オオヤマト古墳群と古代王権』を参照して下さい。

 

Continue reading "第七回三輪山セミナーイン 東京"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その25 金沙舗地→洗身洞→飛瀑流輝

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その24 明鏡倒影池→盆景池→金沙舗地

 黄龍最後の記事となりました。五彩池から7キロの石灰棚のハイキングも終わりです。

 マイフォト 雲上の秘境 黄龍 金沙舗地→洗身洞→飛瀑流輝

20106kyuusaikou_1351

 洗身洞瀑布です、鍾乳洞の滝のように見えます。

20106kyuusaikou_1359

 奇妙な滝の風景です。滑り台みたいですね。

20106kyuusaikou_1374

 飛瀑流輝です。かなり規模の大きな瀑布です。

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その25 金沙舗地→洗身洞→飛瀑流輝"

| | Comments (0)

『2010 世界大百済典』 開催されます

 本年9月18日~10月17日の期間、百済の王都がありました忠清南道の扶余郡と公州市で三国時代の百済700年の歴史を再現するイベントが開催されます。

 今回のイベントの中心は16年の歳月をかけて造られた「百済文化団地」です。百済の王宮や五重塔が再現され、当時の王朝の優雅な文化や独特の建築技法に目をみはることになりそうです。

 期間中は123頭の馬と100人の兵士による騎馬軍団のパレードや1000人が参加した高句麗との戦闘場面が再現されるそうです。多分、数年前にモンゴルで再現された騎馬軍団の戦闘場面のようなものが、見られそうですね。楽しみです。

 又、百済滅亡の場面で百済官女が追い詰められ華が散るように落下した『落下岩』でも俳優さんの水上公演があるそうです。その他、色んな催しが企画されているようです。

 参考 『2010 世界大百済典』公式ホームページ

 参考 韓国紀行「9」 落涙 落下岩 百済

 参考 Jo君モンゴルに行く(7) チンギスハーン騎馬隊の帰還

Continue reading "『2010 世界大百済典』 開催されます"

| | Comments (0)

三輪山セミナーのあとの宴会

20108miwayama_008

 今日は三輪山セミナー、そのあと銀座で宴会となりました。浦川どんのお勧めのお店です、山梨の美味しい日本酒が飲めるという事でした。

 大昔に一緒だった仲間の宴会です、今は引退して自由の身の皆さんです。本当に楽しい酒宴でした。

 私はビール中心でしたが、お二人は日本酒で盛り上がっていました。皆さん、意外と古代史に興味があるんですね。大神神社主催のセミナーに真剣に聞き入っていました。そして、その後の暑気払いが実にいいですね。

 来年も参加しましょう。

20108miwayama_005

20108miwayama_006  ともかく随分と飲みましたね。歳はとっても、気持ちは若い頃と同じです。

 本当に楽しいセミナーと宴会でした。

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その24 明鏡倒影池→盆景池→金沙舗地

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その23 争艶池→明鏡倒影池 

 黄龍の美しい景色が続きます。

 マイフォト 雲上の秘境 黄龍 明鏡倒影池→盆景池→金沙舗地写真集

20106kyuusaikou_1338

20106kyuusaikou_1382

20106kyuusaikou_1400  アツモリソウです、昨年の夏に礼文島で初めて観たものと色は異なります。

 参考 利尻・礼文島紀行 礼文島編(2)

 礼文島のアツモリソウは白い色でしたね。

20106kyuusaikou_1319

 木道から眺める雪宝鼎の連山と黄龍の美しい景観です。

20106kyuusaikou_1323

 標高5千メータを超える雪宝鼎連山の堂々たる姿です。雲間に顔を出しました。

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その24 明鏡倒影池→盆景池→金沙舗地"

| | Comments (0)

二つの飛鳥を空から眺める

 飛鳥には河内の飛鳥と大和の飛鳥の二カ所あります、河内の飛鳥は近(ちかつ)飛鳥とも呼ばれ、大和の飛鳥は遠(とおつ)飛鳥とも呼ばれています。大和飛鳥の地に、次々と宮居が造営されるようになるのは推古天皇の豊浦宮以後ですが、それ以前にも飛鳥の宮の伝承はあったそうだ。允恭天皇の遠飛鳥宮、顕示天皇の近飛鳥宮があります。

 上田正昭氏の『古代再発見』の渡来の文化の章で述べられている意見では、以下引用文です{この遠・近を時代の前・後とみるか、距離の遠近とみるかなど、研究者の意見は分かれてくるが、『古事記』にいう近飛鳥宮を河内の飛鳥とする説にはなお捨てがたいものがある。}と述べておられ、私もそう思います。

Photo

 近飛鳥の地は現在の羽曳野市飛鳥ですが、和同年間の頃に地名は好字二字を使用しなかればならない事となり、安宿(あすかべ)と書かれるようになった。飛鳥戸(あすかべ)神社がありますが、本来は百済から来られた昆支王(こんきおう)が祭神であったようです。グーグルアース(予めインストールが必要です。河内飛鳥

「Asukabe.kmz」をダウンロード

 上田先生の話によれば、藤原不比等の娘で聖武天皇の皇后となった光明皇后の名前は安宿媛(あすかべひめ)と呼ばれ、母の県犬養(あがたのいぬかい)(橘)三千代が河内と深い繋がりがあったからである。不比等自身も乳母田辺史(うば たなべの ふひと)のもとで養育され、田辺氏の本拠が河内飛鳥の地であったそうだ。

Photo_2

 それでは大和飛鳥をみてみましょう。現在の高市郡がそれに当たりますが昔は今来(いまき)郡と呼ばれていました。渡来系と考えられる蘇我氏と東漢(やまとのあや)氏の本拠であります。彼らは、伽耶・百済系の渡来氏族と考えられています。グーグルアース(予めインストールが必要です。大和飛鳥

「Imaki.kmz」をダウンロード

 特に檜隈の地は東漢氏(やまとのあやし)の本拠であり、蘇我氏と運命共同体の氏族でした。推古朝でも蘇我氏と東漢氏の関係は密接で、推古天皇20年に、蘇我稲目の娘の堅塩媛(きたしひめ)(欽明天皇の妃で推古女帝の生母)を、東漢氏の本拠の檜隈の坂合陵(欽明天皇陵)に改葬したのも、東漢氏の画策であると考えられている。

Continue reading "二つの飛鳥を空から眺める"

| | Comments (0)

読売新聞記事 『製鉄の起源 早まる可能性』

 2010年8月18日(水曜日)朝刊記事に掲記の興味ある記事が掲載されていた。記事によれば、東京都三鷹にある「中近東文化センター」が四半世紀に渡りトルコのアナトリア高原のカマン・カレホユック遺跡を発掘しており、最新の発掘状況を取材に出かけた記事である。

Photo

 先月、遺跡の近くに日本の支援で国立博物館が開館した事もありその取材も兼ねた報告書であるようだ。私は今年の1月にトルコ3千キロの旅をしたところであり、紀行文でも記録しましたが、世界で初めて鉄器を開発し巨大な帝国を築いたヒッタイトの故郷であります。あの、エジプトを圧倒した、世界史に輝く帝国の故郷です。

 位置関係はグーグルアースを使い確認してみましょう。予め、グーグルアースをインストールしておいて下さい。

 グーグルアースでは紀元前17世紀~13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の首都であったハットゥシャの位置を示しています。現在のトルコの首都であるアンカラから東145キロの地点にあります。

 グーグルアース ヒッタイト関連遺跡地図

「hattua.kmz」をダウンロード

 今回の中近東文化センターが発掘しているカマン・カレホユック遺跡は地図で示しましたが南にあります。高さ16メータ、直系約280メータの円形の台地が階段状に発掘されているそうだ。遺跡のカレは城、ホユックは人口の丘という意味で5千年間に渡り人々が同じ場所に日干しレンガの建物を建てて生活をしてきた場所らしい。私の地図で示した場所の少し東の丘が発掘現場と思われる。

 昨年この遺跡で大きな成果があったそうだ。この遺跡はヒッタイト帝国が隆盛を極めたBC18世紀後半~BC12世紀頃の遺跡であるが、それ以前の前期青銅器時代の層(BC21世紀~BC19.5世紀頃)の出土品から小刀とみられる鉄製品や、鉄鉱石、製鉄の際に出る不純物の鉄滓(てつさい)が発掘された。

 これまでの常識では鉄はヒッタイト人により発明されたと考えられてきたが、この定説が覆えそうな事実の発見であった。現地のアナトリア考古学研究所の大村幸弘所長は慎重な発言をしておられ、確実な証拠である炉の存在を確認して結論を出したい考えのようだ。しかし、明らかに製鉄の起源が遡る可能性が高まった事は事実だ。

Continue reading "読売新聞記事 『製鉄の起源 早まる可能性』"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その23 争艶池→明鏡倒影池

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その22 黄龍中寺→争艶池

 黄龍の標高が一番高い五彩池から全長7キロの石灰棚を山を下りながら歩いています。所で黄龍の名前の由来は以前、現地の案内板で説明が有りましたが、山の上から眺めると、山の谷間に龍がくねくねと動いているように見える所から名前が付けられたそうです。

 中国人が黄龍と言うと、又、特別な意味が有ります。高松塚壁画やキトラ古墳の石室壁面に描かれた四神を御存知でしょうか。北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎と神獣が守護する四神思想です。風水ですが、その時に中央を守るのが黄龍と呼ばれています。中国皇帝は黄色の服を着てそこに5本指の龍が描かれています。皇帝を黄龍が守っているのです。

 マイフォト 雲上の秘境 黄龍 争艶池→明鏡倒影池 写真集

20106kyuusaikou_1245

 明鏡止水の風景です。

20106kyuusaikou_1248

 石灰棚の池にさざ波がたっているようです。太陽の位置関係で水の色が異なって見えます。

20106kyuusaikou_1254

 自然に出来た段々畑の池ですね、しかし、水が透明で美しいです。

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その23 争艶池→明鏡倒影池"

| | Comments (0)

『石清水八幡宮に伝わる歌舞』 国立文楽劇場

 数週間前に中学時代の同期の笠井正義さんから連絡を受けた。掲記の特別企画が大阪の国立文楽劇場で9月18日に開催されるそうです。

 演目:石清水八幡宮御鎮座1150年記念

     石清水八幡宮に伝わる歌舞~御神楽と里神楽~

     悠久の時を超え伝え継がれる神事

     (出演)石清水御神楽伝承会 吉田流笠井社中

 日時・場所: 本年9月18日(土曜) 午後2時~ 国立文楽劇場

 参考Web情報: 特別企画 石清水八幡宮に伝わる歌舞

    詳細内容その1

    詳細内容その2

 演目にあたり、里神楽・御神楽が演じられる前に上田正昭先生の講演がそれぞれあるようです。最近、上田正昭氏の『古代再発見』を読んでいたが、御神楽について興味ある記述に遭遇した所でした。氏曰く『宮廷の「御神楽」で、韓(から)の神のまつりや韓風の神招(お)ぎがなされていた。日本のまつりで重要な位置を占める鎮魂(タマフリ)も、けっして日本独自のものではないのであって、近時東南アジアの「タマフリ」とのつながりが指摘されている。新嘗(にいなめ)の儀礼も、邪馬台国でお馴染みの『魏志』の高句麗の条を読めば、3世紀の時点に於ける共通性や類似性を実感せずにはおられない。・・・・・・「ケガレ」を強調して、差別の合理化に役立った「神道」よりも、「タマフリ」すなわち内部生命力の不断の充足を目指した神道の伝統に、今日の神道のあるべき方向を問いたい。』

     

Continue reading "『石清水八幡宮に伝わる歌舞』 国立文楽劇場"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その22 黄龍中寺→争艶池

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その21 黄龍で出あった鳥と花

20106kyuusaikou_1187

20106kyuusaikou_1188  黄龍全体の観光地図です、ゴンドラの頂上駅から五彩池(黄龍の一番標高の高い場所=地図の一番上)まで緩やかな下りの道です。その途中で雷鳥に出合いました。

 五彩池には少し登りますがこの時に高山病に罹る人が多いので、酸素缶を必ず持って登りましょう。

 五彩池の観光も終えたので、これからは縦7キロの黄龍の石灰棚の風景を楽しむ為に石灰棚に沿って下って行きます。

 今回は黄龍中寺から争艶池(何と粋な名前でしょうか)までを御紹介します。

 マイフォト 雲上の秘境 黄龍 黄龍中寺→争艶池 写真集

20106kyuusaikou_1192

20106kyuusaikou_1189

20106kyuusaikou_1191  黄龍中寺です、チベット仏教のお寺でしょうねマニ車が回廊に設置されています。九寨溝でご紹介した羌族のボン教では反時計回りに廻ります。普通のチベット仏教では時計廻りに廻り、マニ車を廻します。

 遊牧民である羌族は仏教伝来以前からのシャーマニズム宗教の上に仏教が重層的に重なっています。日本も同じですね、神道の上に仏教が重層しています。標高の一番高い場所の五彩池には、道教の黄龍古寺がありましたね、中国も宗教は複雑です。

20106kyuusaikou_1210

 橋仙楼から黄龍下流を眺めた風景です。薄いピンク色の石灰棚から遠方の無数の石灰棚はコバルトブルーの色をしています。そして、深い森に包まれている世界です。

20106kyuusaikou_1213

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その22 黄龍中寺→争艶池"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その21 黄龍で出あった鳥と花

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その20 雲上の秘境 黄龍五彩池(続編)

 黄龍のゴンドラを降りて五彩池までの道で少し雨が降り初めました、雪宝鼎の5千メータ級の山を眺めながら、時折、眼下には黄龍の7キロに及ぶ石灰棚の風景を眺め足元の高山植物を愛でて快適に歩いていた。

20106kyuusaikou_1058

 突然に昔、学生時代に日本アルプスを歩いていた頃に出会ったような鳥と遭遇した。これは、雷鳥ではないでしょうか。確か中国の西の山岳地帯で生息するミヤマエゾライチョウではないかと思います。

20106kyuusaikou_1059

20106kyuusaikou_1060  もしそうだとすると貴重な体験をした事になるかも知れません。雷鳥は氷河時代を生き残った貴重な鳥です。日本では標高3千クラスの高山の這松帯にしか生息していません。撮影場所は標高3500メータはあると思います。

 雷鳥は雨になると北アルプスでよく見かけました。今も立山では僅かに生息していると聞いています。私は野鳥の専門家では有りませんので、間違いかも知れませんが御了承下さい。

20106kyuusaikou_1033

 標高5588メータの雪宝鼎ではないかと思います。雪と氷に覆われた聖なる山です。

20106kyuusaikou_1031

20106kyuusaikou_1032  高山植物には無学なので、名前は判りませんが、足元に花を見つけるととても気になります。

 黄色と白の清楚な高山植物が咲いていました。

20106kyuusaikou_1061

20106kyuusaikou_1062  こんな花も咲いていました。

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その21 黄龍で出あった鳥と花"

| | Comments (0)

ベルギー・ビールと美味しい料理 銀座・Antworp Six

 昨夜は銀座8丁目にあるベルギービールのカフェ『Antwerp Six』で楽しい宴会がありました。雑誌『サライ』さんと、ニフテイのコラボで開催された。ビール好きの私には最高の機会となった。

 お店: Belgian Beer CAFE 『Antwerp Six』

  〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目2-1ニッタビル1F

     ☎ 03-5568-0091 http://www.belgianbeercafe.jp/

20108belgianbeer_2

20108belgianbeer_017

  本日のビールと料理のメニューです。ワインと同様にビールの銘柄毎、相性の良い料理があるんですね。

所で、ベルギー王国について私もあまり知識が有りませんが、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグを総称しベネルックス3国と昔学校で習いましたね。西はフランスに接し南はベネルックスと接し東はオランダ、ドイツと国境を接しています。北は北海に面し少し海岸があります。

 ベルギーは大雑把に把握すると、南北に地域が別れ北の地域はフランドル地方と呼ばれ殆どの人がオランダ語の方言を喋るそうです。南部はワロン地方と呼ばれ殆どの人がフランス語の方言を喋り少しドイツ語を喋る人が存在する、そんな王国だそうです。人口は約1千万人ですから、東京より少ない人口です。一人あたりのGDPは世界最高クラスだ言う。

20108belgianbeer_001

20108belgianbeer_006  ビールのグラスへの注ぎ方です。グラスは先ず右端の洗剤入りのシンクで洗い、次に写真のようにトイレシャワーのような下から水が噴き出す器材の上で内部を洗います。そして、ビールを注ぎグラスから盛り上がった泡をナイフで切り落とします。

 そして、注ぎ終わったビールのグラスは右から2番目のシンクの水に漬け、お客が手で持つ部分を布巾で綺麗に拭きます。そして、銘柄毎異なるコースターと伴にお客に運ばれる訳です。ベルギービールの特徴はビールの種類毎に飲むグラスの形状が異なります、これも拘りではないでしょうか。

20108belgianbeer_009

20108belgianbeer_010  最初のビールと料理が来ましたよ。ビールはベルギーで一番良く飲まれているラガービールのステラ・アルトワ(Stella Artois)で料理はトマトクルヴェットです。小エビをマヨネーズで和え、トマトとあわせた夏らしい前菜。小エビと胡瓜とトマトに小エビのマヨネーズが良く調和していました。アメリカではシュリンプ・カクテルと呼んでいた前菜ではないでしょうか。

20108belgianbeer_012

20108belgianbeer_013  二番目のビールは樽生のヒューガルデン・ホワイト(Hoegaarden White)とムール貝のキャセロール蒸し ビール風味です。

 このビールはラガーと異なり、上面発酵醸造で作られホワイトビールの中では大変人気だそうです。麦芽、ホップ、小麦の他にコリアンダーやオレンジなどのスパイスが加えられています。一切濾過、過熱を行わずに樽・瓶詰めの時にも発酵用の酵母とシュガーを入れ二次発酵をさせるそうです。料理は、ムール貝をこのビールで蒸したものです、この料理はお店で一番人気だそうです。

Continue reading "ベルギー・ビールと美味しい料理 銀座・Antworp Six"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その20 雲上の秘境 黄龍五彩池(続編)

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その19 雲上の秘境 黄龍五彩池

 五彩池の続編です。五彩池は観る位置により全く色彩や景色が異なります。まさに、五彩なのです。

 マイフォト 雲上の秘境 黄龍五彩池(続編) 写真集 暇な人は写真集を参考にして下さい。

20106kyuusaikou_1076

 五彩池を取り囲む岷山山脈の標高5千メータを越える山々です。万年雪で覆われています。

20106kyuusaikou_1077

 五彩池の石灰棚から見上げる岷山山脈の威容です。素晴らしい景色だ。

20106kyuusaikou_1079

 黄龍寺です、明代に創建された道教の寺だそうです。開基した坊さんは仙人になったという伝承があります。

20106kyuusaikou_1095

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その20 雲上の秘境 黄龍五彩池(続編)"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その19 雲上の秘境 黄龍五彩池

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その18 九寨溝→黄龍への道

20106kyuusaikou_1114

 黄龍一の景勝地、五彩池です。一番標高の高い場所(標高3576メータ)に有ります。

20106kyuusaikou_1120

 五彩池という名前の場所は九寨溝にもありました。広辞苑によれば、陶磁器に赤・青・黄・紫・緑などの透明性の上絵釉で絵や文様を現したもの、我が国では錦手(にしきで)という、とあります。

20106kyuusaikou_1122

 マイフォト 雲上の秘境 黄龍・五彩池 写真集 に沢山の五彩池の写真を収録しましたので、ご参考にして下さい。

20106kyuusaikou_1138

 望遠レンズTAMRON AF 70-300で撮影しました。淡いブルーと白が美しいです。今年初めに訪問したトルコの石灰棚パムッカレを思い出します。

 参考  トルコ大紀行その15 パムッカレ後篇 

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その19 雲上の秘境 黄龍五彩池"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その18 九寨溝→黄龍への道

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その17 チベット民族舞踏『蔵謎』

 遂に今回の旅のハイライト、雲上の秘境、黄龍への旅となりました。黄龍は平均海抜3550メータの山奥にあり近年まで知られる事は有りませんでした。黄龍の名前は岷山山脈の雪宝鼎玉翠峰の麓にある青山に抱かれた場所にくねくねと龍が泳ぐが如き姿であり、縦7.5キロ、横2.5キロの広大なシラス台地の姿が鳥瞰出来るからだそうです。

 マイフォト 雲上の秘境 九寨溝→黄龍への道

20106kyuusaikou_994

 九寨溝から黄龍までバスで移動です、写真は九寨溝の静かな柳と川の風景です。

 途中の道は山岳道路であり急カーブの急坂の連続の危険そうな道でした。所々にチベット族の村落があり、背後の山の中腹には必ずタルチョー(祈祷旗)が靡いていました。

20106kyuusaikou_995_2

 黄龍に行くのには標高4120メータの峠を越えねば行けません。雪宝鼎玉翠峰(標高5588メータ)の山麓にある峠です。

 高山病の危険がある標高になります。バスから下車しても決して走る事は駄目です、ゆっくりと歩かないと高山病になります。

20106kyuusaikou_1002

 峠に到着しました、石積みの上にタルチョー(ルンタ)がはためいています。廻りには雪が残っています。土地の精霊(ラーソル)や仏を拝み、五色の幡はそれぞれの神に祈りを捧げているのです。

 仏教伝播以前のボン教やそれ以前の古い昔から人々が信仰していたものではないでしょうか。天気が良ければ地元の人々が崇拝する、万年雪に覆われた標高5588メータの雪宝鼎玉翠峰が拝めるのです。残念ながら、この日の峠は霧がかかり観る事が出来ませんでした。

 参考 玉翠峰遠望

20106kyuusaikou_1007  この峠に石積みをしてタルチョーを設置する風景は、以前、モンゴルを訪問した時も観る事が出来ました。

 参考 Jo君モンゴルに行く(6)

20106kyuusaikou_1000

 ユーラシアの草原を遊牧していた人々は実は朝鮮半島にも南下し百済・高句麗を建国した事は御存知と思います。それ以前の馬韓・弁韓・辰韓の時代でも弁韓・辰韓の人々のルーツは今だ良く解明されていないのです。石積みと風になびく旗(幡)は日本の古代史を考える上でも重要ではないかと私は考えています。

 弥生時代の日本海沿岸の四隅突出型方墳や古墳時代に入り箸墓で代表される前方後円墳にも葺石が見られます。そして、先代旧事本紀に書かれた10種の神宝にヒレ(スカーフのようなもの)が含まれています。積石と風になびくヒレが私たち日本人とユーラシアの草原を駆け抜けていた人々とを繋ぐ一つの鍵ではないかと考えています。

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その18 九寨溝→黄龍への道"

| | Comments (0)

峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その17 チベット民族舞踏『蔵謎』

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その16 九寨溝 珍珠灘瀑布→火花海→双龍海

 九寨溝では夜、チベット舞踏ショーを見学出来ました。日本でも知られているチベット族の舞踏家でプロデューサのヤン・リーピン(Yang Liping)さんが企画した『蔵謎』という演目です。

20106kyuusaikou_965

 『蔵謎』とはチベットの謎という意味だそうです。九寨溝に住む老女が子羊(ヤギかも)と伴にラサに巡礼の旅にでる話である。

 舞台の袖に英語で内容が表記されるので、少しは内容が理解出来ます。言葉は中国人でも理解が難しいと聞きました、チベット語でなされるからです。

20106kyuusaikou_979

 老女は信仰心が篤く、ラサへの過酷な巡礼に向かうが途中の数々のチベット族の人々を遭遇します。彼らは部族が異なるので、衣装が違います。沢山のチベット族を紹介する段取りになっているのですね。

 4部構成ですが、中身が充実した舞踏で、大がかりなミュージカルでした。

20106kyuusaikou_992

 老女は険しい山の中で吹雪に襲われます、子羊(ヤギ)を守る為に覆い被さるのですが、結局死んでしまいます。彼女の死後、閻魔大王が彼女を天国に行かせるか地獄に行かせるか神々と議論をします。

 結局彼女の信仰心の篤さが証明され天国に行けるのですが、大きな鳥が舞い降りて来て鳥葬の模様が演じられます。

20106kyuusaikou_986

 最後に、男の子供が子羊(ヤギ)を連れて巡礼する姿が登場します、彼女の生まれ変わり、輪廻転生が表現されていました。

Continue reading "峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その17 チベット民族舞踏『蔵謎』"

| | Comments (0)

八ヶ岳 天狗岳登山記録(その2) 西尾根コース 東天狗岳登頂の巻

 承前 八ヶ岳 天狗岳登山記録(その1) 西尾根コース 西天狗登頂の巻

20107tengudake_133

 西天狗をあとにして、東天狗に登りましょう。一度、天狗間の鞍部(コル)まで下ります。

 天気は最高、景色抜群、体調万全、元気な爺さん4人組の山歩きは今回の山行、最後の目標である東天狗山頂を目指して登ります。

 マイフォト 八ヶ岳 天狗岳登山記録 写真集

 昼食をとったので元気モリモリです。

20107tengudake_137

 東天狗の登山道です。

20107tengudake_139

 10時15分 東天狗岳(2645メータ)山頂に到着です。夏の雲を背景に全員笑顔で記念写真。登り始めて5時間経過です。元気な爺さん4人組です。

20107tengudake_141

 中山峠から黒百合平に下る登山路です。目の前に小天狗のピークが聳えています。

20107tengudake_155

 東天狗の東斜面は大崩落しています。下山ルートは中山峠まで稜線を歩き、黒百合平経由で唐沢鉱泉に下ります。

Continue reading "八ヶ岳 天狗岳登山記録(その2) 西尾根コース 東天狗岳登頂の巻"

| | Comments (0)

八ヶ岳 天狗岳登山記録(その1) 西尾根コース 西天狗岳登頂の巻

 爺さん4人による温泉と登山を楽しむ会も第6回を数える事になりました。今回目指すのは八ヶ岳 天狗岳(2645.8メータ)を唐沢鉱泉から西尾根コースで登り中山峠を経由し黒百合平から唐沢鉱泉に至るルートです。

 前日にはトレーニングの為に入笠山を3時間程度散策し足慣らしをして登山に備えました。

 承前 入笠山 360度展望散策記

20107tengudake_078

 2010年7月27日朝4時起床、唐沢鉱泉登山口より朝、5時20分から登山開始。空には満月の月が昇っていました。登山者用の駐車場に車を駐車させ登山を開始です。駐車場には一般登山者用のトイレも完備してありました。

 目指すは西尾根コースです、第一展望台から第二展望台、そして西天狗岳の山頂を目指します。

 マイフォト 八ヶ岳 天狗岳登山(西尾根コース)写真集

Photo

20107tengudake_083  6時30分枯尾ノ分岐に到着です。約1時間で到着ですから、順調ではないでしょうか。2ピッチで到着しています。

 暗い森林の中の道ですが、歩きやすい登山道で助かります。

 7時30分、第一展望台に到着です。

20107tengudake_090

 ガスが立ち込めていますが、徐々に晴れてきそうな気配でした。もう此処からは尾根筋(天狗岳西尾根)を歩きます。

20107tengudake_089

 ガスがどんどん上昇して行きます。眺望が開けて来ました、これは幸いです。

20107tengudake_099

 8時25分第二展望台に到着です。時折ガスが吹き付けてきますが、天気は良さそうです。快調に登頂は出来そうです。

20107tengudake_103

 西天狗の最大の難所、大きな岩がゴロゴロする道を手足をフルに利用してよじ登ります。この登りは結構厳しいかも知れません。

Continue reading "八ヶ岳 天狗岳登山記録(その1) 西尾根コース 西天狗岳登頂の巻"

| | Comments (0)

京橋ギャラリー『くぼた』 四人展を見学するの巻

20108kajiyama_007

 昔、富士通時代に部下だった梶山君が昔の宣伝部の仲間と『四人展』を開催するというので、上野の博物館の帰りに立ち寄った。東京駅八重洲から歩いて10分の交通の便利な場所の、ギャラリー『くぼた』5階が会場でした。

仲間4人、佐藤貢・古川健治・梶山亮・蔦谷邦夫氏のメンバーによる展覧会だった。

20108kajiyama_019

 梶山さんはテーマは『樹』で白黒銀塩での写真でした。カメラはスエーデン製のドイツの有名なレンズを使用した骨董カメラを使用。自宅の暗室で2年間をかけて準備し、引き延ばしをおこなった傑作だった。

20108kajiyama_013

 彼は生まれは関西だが大学は北大に学び普通の人の二倍近くは大学に在学しプロのカメラマンを目指した過去があるそうだ。自然の風景を切り取るのが見事で今回は、御神木というか、主のような樹を求め単車に跨り、撮影の旅をしたそうだ。

 彼の写真は20年前から馴染でありますが、どこか心に訴える何かがあると感じていた。私もこの数年間、山登りや海外旅行で写真を撮りまくっているが今だに芸術の領域には達っしていない。

20108kajiyama_014

 彼は昭和30年代の盛り場の風景もこよなく愛している。新宿の酒場や東京駅近くにも残る昔懐かしいガード下の酒場をこよなく愛している。長い付き合いだが、彼との酒は安上がりで何処か心が癒される酒だ。

 樹に向きあう時に、人間は自然と謙虚になれる気がする。そして、尊敬の念が生まれるから御神木となるのだ。巨木に身体を寄せると気が貰える、凄まじい生命力を彼らは持っている。

Continue reading "京橋ギャラリー『くぼた』 四人展を見学するの巻"

| | Comments (2)

『誕生 中国文明展』 上野国立博物館 平成館展示

 昨日昼頃に遂に10日間ほど帰省していた北海道在住の娘家族が札幌に戻った。新横浜プリンスホテルの羽田行きバスを見送った。一家4名は元気にバスの窓から手を振ってくれていた。遂に、『ハルマ台風』は去って行きました。祭りの後の淋しさが我が家を襲います。

 という訳で、私は自分の時間が出来たので、爺さん4人組の八ヶ岳登山の記録写真をCD RAMに焼き写真の一部を印刷してコンビニに持ち込み皆さんにメール便で郵送した。京都帰省時の写真も印刷し、郵送準備をした。そして、上野の国立博物館『誕生! 中国文明展』見学と梶山さんの京橋『ギャラリー くぼた』を訪問する為に忙しく家を出た。

20108kajiyama_003

 『誕生! 中国文明展』  Webサイト

 鴬谷駅に到着したのが午後4時、閉館は5時なので急いで平成館を目指した。黄河中流域の黄河文明発祥の地、河南省文物局が主催しているので、楽しみだった。

 ・BC2000年~BC1600年頃の幻の初期王朝『夏(か)』の文物の展示

  洛陽博物館、河南博物院から出品された動物紋飾板、爵(酒器)、鈴、玉刀、甕、白陶盉(はくとうか)等々の神事に関わる遺物(夏時代の遺跡より出土物)が注目された。動物紋飾り板は青銅の板にトルコ石がモザイク状に埋め込まれたもので、エジプトやトルコ方面の文化・文明の香りを感じました。既に、『夏』の時代には西アジア、エジプト方面と交流が存在した事を示していると思います。

 ・BC1600年~BC800年頃の『商・西周』の時代の文物の展示

  約20点に及ぶ祭祀に関わる遺物が展示されていた。先祖の霊に捧げる肉を煮る青銅製の三本脚の鍋、鼎(かなえ)が沢山展示されている。方形のもの、円形のもの、怖そうな目玉がギョロの紋様=饕餮文(とうてつもん)が馴染です。

  祭祀に関する遺物が殆どですが、青銅器と玉で出来たものが全てです。特に酒に関する遺物が多く、酒を温める器や酒に香りをつける為に香草を煮る器や酒を注ぐ器全てに名前がついています。何回も中国現地の博物館や遺跡博物館を訪問しても覚える事が出来ないくらい多い。例えば、尊(そん)、卣(ゆう)、罍(らい)、爵(しゃく)、角(かく)、斝(か)、盉(か)、觚(こ)、觶(し)、・・・・きりが無い。

  白川静先生が漢字のルーツは神との契約文書に始まると述べておられるのが、遺物を観ていると実感が湧いてきます。漢字の始まりと祭祀は切っても切れない関係なんですね。と同時に、やたら酒が関係するのが興味有ります。

 黄河中流域の夏・商・西周の人々はどんな酒を飲んでいたんでしょうか。私は想像するに白酒(パイチュー)のような蒸留酒ではなかったかと思います。アワ・コーリャン・ヒエ・麦、等々の穀物から蒸留酒を作っていたと思います。それに対して、長江流域の文化・文明圏の人々は米から醸造酒を作成し飲んでいたと思います。

 中国人は玉を好みます、しかし、不思議と日本列島にはその文化が伝播しなかったのです。日本には存在しない石だったからでしょうか、それとも日本列島の人々は興味が無かったからでしょうか。日本列島の宝石としては日本海沿岸の姫川の翡翠が国際商品として活躍したと考えています。

 中国の玉璧(ぎょくへき)は王の象徴のようなものだと思いますが、この文化も列島には伝播しなかったのでしょうか。(完璧という漢字の語源はこの璧にあるそうです)日本では、貝(ゴホウラ)で作る貝輪が弥生時代の遺跡からは沢山腕にはめた墓が見つかっています。列島はやはり、黄河文明よりは長江文明の影響が大きいのでしょうね。

20108kajiyama_004

Continue reading "『誕生 中国文明展』 上野国立博物館 平成館展示"

| | Comments (0)

« July 2010 | Main | September 2010 »