峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その18 九寨溝→黄龍への道
承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その17 チベット民族舞踏『蔵謎』
遂に今回の旅のハイライト、雲上の秘境、黄龍への旅となりました。黄龍は平均海抜3550メータの山奥にあり近年まで知られる事は有りませんでした。黄龍の名前は岷山山脈の雪宝鼎玉翠峰の麓にある青山に抱かれた場所にくねくねと龍が泳ぐが如き姿であり、縦7.5キロ、横2.5キロの広大なシラス台地の姿が鳥瞰出来るからだそうです。
マイフォト 雲上の秘境 九寨溝→黄龍への道
九寨溝から黄龍までバスで移動です、写真は九寨溝の静かな柳と川の風景です。
途中の道は山岳道路であり急カーブの急坂の連続の危険そうな道でした。所々にチベット族の村落があり、背後の山の中腹には必ずタルチョー(祈祷旗)が靡いていました。
黄龍に行くのには標高4120メータの峠を越えねば行けません。雪宝鼎玉翠峰(標高5588メータ)の山麓にある峠です。
高山病の危険がある標高になります。バスから下車しても決して走る事は駄目です、ゆっくりと歩かないと高山病になります。
峠に到着しました、石積みの上にタルチョー(ルンタ)がはためいています。廻りには雪が残っています。土地の精霊(ラーソル)や仏を拝み、五色の幡はそれぞれの神に祈りを捧げているのです。
仏教伝播以前のボン教やそれ以前の古い昔から人々が信仰していたものではないでしょうか。天気が良ければ地元の人々が崇拝する、万年雪に覆われた標高5588メータの雪宝鼎玉翠峰が拝めるのです。残念ながら、この日の峠は霧がかかり観る事が出来ませんでした。
参考 玉翠峰遠望
この峠に石積みをしてタルチョーを設置する風景は、以前、モンゴルを訪問した時も観る事が出来ました。
ユーラシアの草原を遊牧していた人々は実は朝鮮半島にも南下し百済・高句麗を建国した事は御存知と思います。それ以前の馬韓・弁韓・辰韓の時代でも弁韓・辰韓の人々のルーツは今だ良く解明されていないのです。石積みと風になびく旗(幡)は日本の古代史を考える上でも重要ではないかと私は考えています。
弥生時代の日本海沿岸の四隅突出型方墳や古墳時代に入り箸墓で代表される前方後円墳にも葺石が見られます。そして、先代旧事本紀に書かれた10種の神宝にヒレ(スカーフのようなもの)が含まれています。積石と風になびくヒレが私たち日本人とユーラシアの草原を駆け抜けていた人々とを繋ぐ一つの鍵ではないかと考えています。
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