ゲゲゲの爺さん遠野をゆく
先日、NHKの教育テレビ番組で漫画家の水木しげる翁が、あの柳田國男が記録した『遠野物語』の世界を訪問取材している番組が有りました。最近、奥さんの『ゲゲゲの女房』が人気で私も欠かさず拝見していますので、面白いので観てしまった。
岩手県の山奥の盆地に広がる遠野、古代は大きな湖だったそうで名前の由来はアイヌ語で湖という意味が込められていると聞いている。奈良盆地と同じなんですね。アイヌの人々が長く暮らしていた場所なんでしょうね。
グーグルアースで場所を調べると、本当に山奥の盆地である事が判りました。つい先日に中国の九寨溝に行く道で遭遇した白馬蔵族郷のような印象を受けました。番組ではこの郷は土地が痩せていてしかも、怖いヤマセが吹く場所だそうだ。これまで、何回も飢饉に遭遇したという。参考 グーグルアース 遠野(予めグーグルアースをインストール必要)
何時頃まで為されていた風習か知らないが、60歳になると所謂、姥捨て山に捨てられたという。テレビ番組でその場所を水木氏が地元の老人と訪問していたが、民家の直ぐ裏手の雑木林の中だった。村落の掟だったのでしょうね、身内の人は断腸の思いだったと推察します。誰が親を捨てて悲しくない人が居ますかね。
遠野物語ではしかし、昼間は捨てられた老人が田圃に来て仕事を手伝い、夕方には姥捨て山に帰ったという話があるそうです。多分、村の掟を破り、密かに親を匿いそれが村民にバレた話がそのような逸話に浄化されたのではないでしょうか。奥の深い話だと思います。
(カッパの伝説)
一番衝撃を受けた話は、親の子殺しの話でした。やむなく河原で子供を殺して口減らしをする光景で子供がもう’お腹がすいたと言わないから許してと叫ぶ’そんな光景です。遠野ではカッパの子供が生まれたので、殺したという逸話があるそうですが、村落の掟として子供を殺す事は許されない、だから、カッパにしたのではないかと番組では説明されていた。
江戸時代でも、間引きは行われていたという話を聞いた事があります。どんな気持ちで親はわが子を殺さねばならなかったか、村の掟が存在していたのではないでしょうか。
カッパの伝説は日本各地にあり、色んな説が有ります。有る説では海上で暮らす人々が船で川を遡上し土着の原住民とは異なる人々が船上で暮らしていた人の事ではないかという説があります。グローバルに言えば長江下流域から朝鮮半島南部、九州沿岸等々の倭人と呼ばれる原型の人々だったかも知れない。
(オシラサマ)
この話は貧乏な農家で働き者の馬と美人の娘と父親が住んでいた。娘は馬と一緒に寝るようになり馬を恋してしまった。父親はその事を知り、馬をクワの木に吊るしたそうだが、娘が馬の首にすがるので、馬の首を切り落としてしまった。そうすると、馬の首と娘の二人はそのまま天に舞い上がり天界に去ってしまっつたと言う話だ。
オシラサマはクワの木で馬の顔の人形と娘を形をした木像となり、馬や養蚕の神として信仰されているという。興味ある説として、網野善彦氏の解釈は雄大な古代の歴史背景の伝承ではないかと言う。列島が未だ樺太経由で大陸と往来が出来た頃に鉄鉱石から鉄を作る技術と養蚕技術を持つ人々が東日本に存在していたのではないかと述べる。
西日本は砂鉄から玉鋼を作る技術が朝鮮半島経由で伝播していたが、東日本には異なる技術を持つ人々、所謂、蝦夷の人々が存在したという。オシラサマはその遥か古代の記憶の伝承ではないかと語っている。
(オクナイサマ)
この神は農業の神様のようでした。人手が足りないと田圃に行き、働き、泥だらけで神棚にお戻りになるそうです。
また、裏庭に稲荷神社を建てようとしたら、土中から石で出来た人形のものが出現し神社に奉納されていました。森浩一氏の伏見稲荷の話を思い出してます、江戸時代に百姓さんは伏見稲荷神社に参詣し売られている土人形を買い求め、それを持ち帰り田圃に埋めたという信仰の話です。今でも、江戸時代の土人形が田圃から発掘されるそうだ。
どうやら、江戸時代よりも古い時代から人々は石で神を彫り田圃に農業の神として埋めた風習が存在したのではないでしょうか。ベトナムで観た光景は田圃の真中に先祖の墓を作る風習があります。先祖の神が田圃を守り稔りを祈願したのではないでしょうか。
明治時代に記録された官僚の記録である『遠野物語』、目に見えない世界を大事にする我々の先祖の精神構造はともすれば、最近、忘れ去られていますね。
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Comments
水木しげると柳田國男
ゲゲゲの鬼太郎はマンガ雑誌(ガロ)でしたかねえ。
ガロというのは学生時代流行っていて、当方などは白土三平の(カムイ伝)の大ファンでした。
先日たまたま農業のことを調べているうちに柳田國男の(遠野物語)のことを知りたくなり、岩波文庫にするか新潮文庫にするか迷いました。
結局、新潮文庫にしました。
解説が吉本隆明で、その柳田國男論が素晴らしいのですね。
吉本隆明は民話を取り上げたいろんな書物の中で、柳田國男の文体が独特であることを強調し、それがどうして成り立ったのかを解明しようとしています。
ゲゲゲの鬼太郎や遠野物語に行き着くまでに、それこそ長~い男の歴史があるのですね。
幼年期、少年期、青年期、といろいろあってアレコレ悩んだ挙げ句にたどり着いたような気配を感じます。
白川静の呪術的な世界、水木しげる、柳田國男の霊的な世界。
何かこう自然と人間との接点のようなものを感じますなあ。
Posted by: ふうてん | 2010.07.06 10:32 PM
ふうてんさん 御無沙汰です
柳田國男さん、読まれているんですね。
彼は文学青年からエリート官僚に変身したが、やはり文学青年の心を失わなかったのでしょうね。
彼のお陰で文化財の中で無形・有形民俗文化財が法律でちゃんと保護されるようになりました。権力者の視点だけの歴史観から庶民の目からの歴史観に彼は大事な物を見つけたのでしょうね。
彼はフィールドワークを重要視したようですね、民俗考古学とでも言えばいいのでしょうか。彼を継ぐ人々が多く輩出した事も日本の歴史の中で重要だったと思います。
私も世界中を歩いていますが、思わぬ発見に度々遭遇します、疑問が湧くのです。これが面白くて、あと数年は世界中を旅する事を続けたいと思ってます。
Posted by: jo | 2010.07.07 09:48 AM