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入笠(にゅうかさ)山 360度展望散策記

 爺さん4人組による温泉と山歩きを楽しむ会も第6回を数えました。今回は7月26日~28日にかけて蓼科の古河山荘をベースに北八ヶ岳の盟主、天狗岳(西天狗、東天狗)標高、2646メータに登るのが目標となりました。登山前日の26日は身体を慣らす意味で、小島さんの発案で入笠山を3時間程度、散策する事になりました。

 マイフォト 第6回爺さん4人組の温泉&山歩きを楽しむ会 入笠山散策の記録 写真集

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 ゴンドラで富士見パノラマから標高差730メータを一気に登ります。御覧ください、八ヶ岳連峰が目の前に広がります。明日登頂する北八ヶ岳の盟主である天狗岳はまだ良く判りません。目の前は南八ヶ岳の盟主である赤岳が貫録を示していますね。

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 山頂駅近くのすずらん自生地ですが、もうシーズンは終了したのでしょうね。しかし、この北・南八ヶ岳連峰の姿は見応えが有ります。

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 入笠湿原を歩き、入笠山山頂を目指します。そして、首切り登山口経由で大阿原湿原を歩きゴンドラの駅に戻る約3時間の散策を楽しみました。

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 入笠山山頂は快晴、南には左から鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、間ノ岳、仙丈岳という南アルプスの名峰が聳えています。三角の山が甲斐駒、真中低く見える山が間ノ岳、鹿島槍のように双耳峰にお見えるのが仙丈岳という日本では唯一の3千メータを越える稜線の威容です。学生時代に苦労して縦走した、記憶が蘇ります。

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 中央アルプスを背景に記念写真です。皆さん、今日も元気なんです。

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八ヶ岳 天狗岳を登ってきました

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 7月26日~28日の期間、恒例の4人の爺さん仲間による夏登山を無事終えました。

 本格的な登山に備え、26日は入笠山に登りました。360度展望が楽しめるトレーニングとなりました。

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 27日は朝4時起きで5時20分から唐沢鉱泉から天狗西尾根を目指し登り始め西天狗を登頂。東天狗岳を登頂し約10時間に及ぶ登山は無事終了しました。唐沢鉱泉に到着し温泉に入ったのは午後3時20分でした。

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 東天狗岳頂上です。幸いに快晴の恵まれ素晴らしい眺望でした。

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秦氏に関するメモ その8 終わりに

 承前 秦氏に関するメモ その7 秦王国の人々の大隅国への移住

 これまで、大和岩雄氏の文献をメモする形で秦氏に関する文献上の伝説及び史蹟を記録した。

 私は古代最大の外来系氏族の秦氏を抜きに日本の古代史を語る事は不可能であろうという観点から大和岩雄氏の文献の一部をメモとして、作成した。

 平安京を桓武天皇が拓かれた時も秦氏が活躍し、奈良の大仏を建造する時も秦氏が銅の収集と製造という側面で活躍し、聖徳太子さんの政治を産業界として支えたのも秦氏でした。隋の使者の裴世清が来訪して来た時に豊前の国は中華の文化を持つ秦王国が存在したと記録されている。

 秦王国の実態は朝鮮半島の三国時代以前の弁韓・辰韓の鉄の製造に関わる技術者集団であったと言うのが今回の結論である。彼らは中国が朝鮮半島を植民地化した頃から高度な製鉄に関する技術を伝播した人々と現地の在来の人々との混血であった可能性が高い。

 その後、中国の政治変動により楽浪郡、帯方郡の消滅により自立を行い鉄を周辺の政治集団に販売を始めたと推測される。高句麗、百済、新羅時代になっても彼らは加羅(伽耶)諸国として小さな国の連合のような形態であったが鉄という技術と製品を持つことで独立を保持していたと考えられる。

 彼らは、鉄鋌の輸入国である日本列島に鉄資源と木炭を求め渡来して来たと想像されます。鉄を製造するには鉄資源である砂鉄か鉄鉱石、銅鉱石を求め又、森林伐採が進んだ朝鮮半島では多くの木材を調達する事が難しくなったと推測される。木材が無ければ木炭が出来ず製鉄が出来ない。鉄1トンに木材は山二つと言われていたと思う。

 明らかに北九州に上陸した彼らは豊前の香春岳で銅鉱石を見つけ地盤を築いたと考えられる。それより以前に砂鉄から鉄を製造する一部の人々は出雲の地や丹後半島に上陸し基盤を築いていた可能性がある。

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明日から我が家は民宿

 北海道の小学校も夏休みとなり、明日から我が家に娘と孫×2の三名が帰省する予定。という訳で今日は朝から、私の部屋は大掃除。

 孫娘はデズニーランドに行くのが楽しみで帰省してくる。しかし、灼熱のデズニーランドで熱射病にならんでしょうか心配ですね。家内も付き合う予定ですが、私は明後日から八ヶ岳登山で不在となる。

 来週末の金曜日からは京都の宇治に帰省予定で娘も孫達も連れて行く予定。義父は初めて1歳になったひ孫のボクチンと対面であり、楽しみにしておられるようだ。孫娘は京都で美味しいものを食べるのが楽しみのようです。出来れば、平城京遷都1300年祭に皆で出かける予定にしています。早速、現地の『それから』のほかもどりさんのアドバイスを頂いております。

 現在東京国立博物館で開催されている、『誕生 中国文明展』のチケットがあるので、8月6日までに行かねばならない。

 8月2日~8日の期間は『ふろく』の梶山さんが会社のメンバー4名と個展を八重洲のギャラリーで開催されるので、行かねばならない。

  『四人展』 ご案内

 ・墨・パステル・モノクローム・ミクストメデイアの世界

 ・会場 ギャラリーくぼた・5階(中央区京橋2-7-11)

 ・8月2日~8日(11時~18時45分)

 ・連絡先 03-3563-0005

 そうそう、7月末にはメキシコ在住の娘が仕事で帰国するようだが、何時ものように日本での行動は不明だ。風のように来て風のように去ってゆく。北海道の釧路の芸術館には必ず行くのは確かだ。

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飛鳥Ⅱ限定だったビールが市販される『ヱビス ASUKA CRUISE まろやか熟成缶』

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 日本郵船が誇る豪華クルーズ船『飛鳥Ⅱ』が横浜大桟橋に停泊しています。全長241メータ、幅29.6メータ、12階建て、総トン数5万トン、最高21ノットの巨船です。

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 世界一周の航海は4月3日~7月14日だというので、100日程度をかけてクルーズをするようだ。最低で一人(Kステート)390万円、最高で一人(ロイヤルスイート)2250万円で旅ができるという。(早期申し込み料金)

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20107asuka_019  ちなみに、通常料金2500万円のロイヤルスイートをご紹介すると、左の写真の通り豪華絢爛です。

 部屋は82m²ありますから我が家より広いです。

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20107asuka_022  豪華なベッドルームとバスルームですね。露天風呂感覚で動く景色を楽しめそうです。

 世界一周をしていない期間は日本近郊の色んなクルーズをしているようなので、数日単位のクルーズを楽しめそうです。私は2008年夏にノルウエー紀行をした時に二度、フィヨルドクルーズを楽しんだ経験が有ります。今年の9月初頭にはギリシャから地中海・アドリア海のクルーズでナポリへの船旅を計画しています。

 参考記事 ノルウエー紀行

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 このビールは飛鳥Ⅱ専用に開発され2007年から『ヱビス ASUKA CRUISE まろやか熟成』として船内の顧客に提供されていた限定ビールです。麦芽の量を増やし低温でじっくり熟成させたアルコール度5.5%の高級ビールです。

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  今度、9月8日から全国で350ml缶で発売されるのを記念して、飛鳥Ⅱの会場で記念イベントが行われた訳です。

船長の浅井壽さん、サッポロビールイメージガールの中村果生莉(かおり)さん、ヱビスブランド戦略部長の嶋田一夫さんが出席され盛大な記念式典が開催された。

 私は3杯もローストビーフと一緒に楽しませて頂いたが、当日の灼熱地獄の影響か実に美味しく飲ませて貰いました。先日、信州の白馬村の山小屋でもヱビスビールはラジコン飛行機のフライトのあと、実にのど越し良く楽しんでいました。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その16 九寨溝 珍珠灘瀑布→火花海→双龍海

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その15 九寨溝(熊猫海→箭竹海→珍珠灘)

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 珍珠灘瀑布を横から観た光景です。幅200メータ、落差21メータの大きな瀑布です。

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 迫力満点です。標高2千を越える場所での巨大滝ですから水が綺麗です。傍で飛沫を浴びていると気持ちがいいです。

 マイフォト 九寨溝 珍珠灘瀑布→火花海→双龍海 写真集

 迫力満点の珍珠灘瀑布中心の写真集です、参考にして下さい。

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火花海です。水面がキラキラと光るのでこの名前がついたようです。九寨溝には名所に名前がついていますが、チベットの羌族の人々はどのように呼んでいたのでしょうね、気になります。

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考古学ニュース 唐古・鍵遺跡出土炭化米のX線分析

 1937年に京大が発掘した奈良田原本町の、唐古・鍵遺跡から出土した炭化米を73年振りに取り上げて島津製作所と共同で京大ではX線CTスキャンをかけたようだ。

 読売新聞関西ニュース 炭化米焼かずに出来た

 どうやら、収穫した稲の束が洪水か何かで突然に酸欠状態で2500年前の稲が保存されていたようだ。従来は炭化米は焼かれたものと考えられていたようだが、今回の分析で焼かれていないと結論されている。籾の先端にある「ふ毛」が残っているのが何よりの証拠のようだ。

 X線断層写真を見ると、ぽちやっとしたジャポニカ種のようですね。インデイカ米ではないようだ。唐古・鍵遺跡の弥生時代の人々は意外と美味しい米を食べていたのですね。

 今後はDNAの分析を進めるのでしょうね、稲の渡来ルートが判明する時期もそう遠くはないのではないだろうか。

  参考過去記事 唐古・鍵遺跡を歩く

  奈良新聞上記記事

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暑気払い 自由が丘『金田』宴会

 オホーツクの哲ちゃんが幹事で昨夜は6名の爺さんが集まり宴会となった。場所は勿論、老舗の『金田』です。

 自由が丘近辺に住む、先輩の福永さん、久しぶりの海外担当だった関谷さん。韓国に駐在していた京都祇園の置屋の息子の本橋さん。中国駐在15年の儘田さん、そして幹事の哲ちゃんの合計6名でした。

 私は夕方5時半に小杉駅で赤とんぼの三浦先輩と会い、わこちゃんが白馬村の山小屋に忘れてきたジャケットを代理で受け取り、自由が丘に向かった。夕方の5時40分頃の『金田』の1階は既に満員です。予約は2階なので、階段を登ろうとすると店主の親爺が笑顔で挨拶してくれた。そうですね~通い始めたのが1986年頃からですから、24年前あたりからです。

 時間が未だ早いので、2階は私一人でした。ビールを注文し枝豆、ミョウガの梅肉あえ、谷中生姜を注文する。すると、若者男女4人組が2階にドカドカと入ってきた、大声を出しながらの参上である。傍若無人な若者に遂に頭に来たので、堪忍袋の緒が切れ、独り言で『うるさい』と遠慮深く言った。店の年寄りの仲居さんが直ぐに、若者の席に行き一言二言話をしたようだ。即、静かになった。

 昔は、職場の先輩が後輩を連れて酒場に行き、社会人としてのマナーを教えたものだが、最近はそんな伝統的な習俗は廃れているようで、若者を教育する人が少なくなった。今年3回の中国旅行でも感じたが、中国の若者の観光地での傍若無人な態度には、いささか耐え難い。常識というか、社会人としてのモラルのレベルが極めて低く感じている。

 ドイツやノルウエーやイギリスを旅していて、大声で喋る若者はいないし、謙虚で親切である。鉄道の中や船の中でも静かに本を読んでいる若者が多いと思う。さて、皆さんが揃いました。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その15 九寨溝(熊猫海→箭竹海→珍珠灘)

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その14 九寨溝(五彩池→鏡海→五花海)

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 九寨溝 熊猫海です、昔はこの湖の近くにパンダが野生で生息していたそうです。

 マイフォト 九寨溝(熊猫海→箭竹海→珍珠灘)写真集 

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 熊猫海の周囲に観光用の回廊が設けてあります。コバルトブルーの美しい湖面が印象的です。

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 熊猫海から九寨溝を取り巻く山を眺めました。

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20106kyuusaikou_867  熊猫海でも羌族の衣装を貸してくれます、写真撮影用です。

中国人は記念写真が大好きなんでしょうか。

子供の姿は可愛いいですね。

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2010年度 『赤とんぼ』夏合宿記録 追加編

 承前 2010年度 『赤とんぼ』夏合宿記録

 Ysさんが撮影された、赤とんぼ夏合宿の記録写真を紹介します。

  Ysさん撮影記録映像 2010年度 赤とんぼ夏合宿記録 

 ・ 1007白馬ー1 白馬村岩岳スキー場の『ちんぐるま』での宴会の模様及び岩岳スキー場の百合園の一部写真が含まれています。

 ・ 1007白馬ー2 栂池スキー場でのフライトの模様が記録されています。

 ・ 1007白馬ー3 空撮動画映像の一部を静止画にした写真が数枚含まれています。

  今回の合宿では、勿論、私とかっちんはビデオ撮影を担当しました。近い将来記録映像として作品化されると思います。

  今回の合宿で私は大きなドジを何回かやりました。先ず、着替えやシーツや下着や生活道具が入ったボストンバッグを車に積み込むの忘れました。中央高速の甲府あたりで、家内が携帯に電話してきたのです。♪~1階のエレベータホールに汚れたでかいボストンバッグが落ちてるよ~♪、これで気がついた有りさまでした。

 現地、白馬村のジャスコで靴下4足、パンツ2枚、Tシャツ2枚、パジャマ上下、歯ブラシと買いそろえる有りさまでした。

 そして、翼の長さ2メータのモーターグライダーを飛ばしている最中に、プロペラが飛んで行きました。即、着陸させましたが、赤とんぼ全員でスキー場を探すが見つかりませんでした。折りぺラの高級なもので残念でした。トホホ・・・

 最後は、自宅に到着した時に、わこちゃんの車に大きなツールボックスを忘れてしまいました。最後まで、ドジな事件に見舞われた合宿となりました。

 どうも、電動髭剃りが何処か行方不明なんですね~わこちゃんの車か何処かで失くしたようです。

 

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その14 九寨溝(五彩池→鏡海→五花海)

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その13 九寨溝( 犀牛海→諾日朗瀑布→珍珠灘湿原→長海)

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 写真は五彩池です。モレーンの底のような岩場の小さな湧水の池のようです。五彩とは広辞苑を引くと、陶磁器に赤・青・黄・紫・緑などの透明性の上絵釉で絵や文様を現したもの、だそうです。

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 五彩池と九寨溝の山々の風景です。

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 ケシの花でしょうか、九寨溝の高山には咲いているそうです。赤い白樺の木は紅樺と呼ばれる木だそうです。

 鳥も沢山住んでいました。

 厳しい自然でしょうが、人間の破壊から守られた自然が残っています。チベット族の人々が守った自然です。

 沢山の観光客が来るようになり、これからどのようにこの自然を守るかが、注目されます。

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 鏡海です、風がなく鏡海の景色を楽しむ事が出来ました。

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 鏡海の美しい風景です、山が湖面に影を落とし湖底の腐らない木がレントゲン写真のように映ります。

 マイフォト 九寨溝(五彩池→鏡海→五花海) 写真集

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釈迦堂遺跡 中央高速釈迦堂PA(下り線)

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 今回、偶然に信州から横浜への帰路途中に甲府の近辺の釈迦堂パーキングエリアに途中休憩した。すると、縄文中期が中心の千点以上の土偶が出土した釈迦堂遺跡の場所である事が判った。扇状地に展開した遺跡なんですね。多くの遺跡は中央高速の道路の下にあります。

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 写真は携帯電話のものであり、解像度が悪いです。中央高速の道路の下に埋まっているようだ。見上げると下り線のPAに釈迦堂遺跡博物館がありました。

 参考 釈迦堂遺跡博物館

 幾つかの土偶は大英博物館で展示したようで、多分、私が大英博物館で縄文土偶展を観たときにおめにかかった土偶がでた場所のようだ。

 過去記事 英国紀行(大英博物館)縄文土偶展

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古墳を3D空撮測量

 宮内庁が管轄している古墳は立ち入りが禁じられている。従い、考古学者が立ち入り調査が出来ないのが現状である。従い、科学的な調査の手が及んでいない。そこで、関西大学、橿原考古学研究所、アジア航測(株)が共同でヘリからレーザー光を使い3D測量をする研究が進んでいるようです。

 アジア航測(株)関連資料 古墳を3次元空撮

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 これは誉田御廟山古墳の普通の空撮写真である。ヘリから撮影されているが、これでは古墳の正確な立体構造が判らない。レーザーを照射し生い茂る木を取り除き、地表面を正確に測量する。

 通常、二枚の静止画写真があればそこから立体映像を組み立てる事も出来るがより正確にレーザを照射し距離を測る事で照射する位置はGPSで判るので地表の標高を測る事が可能だ。

 今回は1秒間に10万回のレーザーを発射しながら測量したそうだ。この古墳は4世紀後半から5世紀にかけての巨大古墳であり体積では仁徳天皇陵(大山古墳)を凌駕すると考えられている。河内王朝の創始者の応神天皇陵と考えられているが、真偽は不明だ。

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Kofun_gobyoyama_c_l  この二枚は空撮測量により記録された三次元画像である。

 三段築造がはっきりと判り、造り出し部もあり後円部中央と前方部の端に高台があるように観える(木かもしれない)。後円部中央に桜井茶臼山古墳や箸墓のように祭壇が存在している可能性が高いと思う。

 そして、前方がかなり細長い形状をしており柄鏡のようであり纏向型とは異なり、桜井茶臼山古墳に近い形状だと思う。

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2010年度 赤とんぼ『夏合宿』 記録

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 2010年7月16日~18日の期間、恒例の赤とんぼ夏合宿が白馬村の山小屋『ちんぐるま』で開催されました。今回は、千葉のラジコン親爺が体調不良にて欠席でした。秋合宿までには是非回復して欲しいです。

 マイフォト 2010年度 赤とんぼ『夏合宿』記録写真集

 天気予報では50%の確率で雨という予報でしたが、全くの外れ、盛夏の白馬村でした。

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 朝5時半頃の白馬村から朝日を浴びる唐松岳、帰らず、鑓の後立山連峰の美しい光景です。静かな白馬村の里と後立山連峰の美しい風景です。

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 栂池スキー場で飛行機を飛ばしました。白馬岳と、トンビが飛び交い盛夏到来を告げています。梅雨は終わったのです。

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秦氏に関するメモ その7 秦王国の人々の大隅国への移住

 承前 秦氏に関するメモ その6 三輪山、伊吹山、安曇川

 前回は6世紀初頭の継体天皇に関する鉄との緊密な関係について述べました。日本が朝鮮半島の鉄に依存しなくても国内で高品質な鉄鉱石から鉄を作り鍛造する産業基盤が出来た事を述べました。さて、再度、大和岩男氏の『謎の秦王国と古代信仰』に戻りましょう。

 (秦王国の人々の大隅國への移住)

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  7世紀後半でも、ヤマト王権にとり南九州は十分に覇権が及ばない地域であったようだ。そういえば、景行天皇の時代のヤマトタケルの熊襲との戦いや、崇神天皇の時代にも山城のタケハニヤスとの内戦の折りにも、奥さんの隼人の吾田媛との戦いがありました。そして、継体天皇の時代にも隼人ではないが築紫の磐井との戦争がありました。

 8世紀の頭の頃、『続日本紀』によれば、大宝二年(702年)に隼人が反乱を起こし鎮圧したという記事があります。そして、和同6年(713年)には新たに大隅国を創設(日向国の4郡を分割独立させ)し豊前の国から200戸(約5000人)を移住させた。この時の豊前の国から移住した人々は秦氏が中心の部族であったと想定される。

 どうも昔から、豊前の秦氏は大規模移住の前から大隅に移住していたようだ。現在の鹿児島神宮,韓国宇豆峯神社のあたり、大隅国国衙が存在した場所に拠点を設けていたようだ。

 大和岩男氏の説では豊前の国の香春神社(八幡神)の神を祭祀をする辛島氏とともに大隅国の稲積(現在の鹿児島神宮付近)に持って来たそうだ。その後、宇佐神宮は大神氏、宇佐氏に祭祀権を奪われ、新たな大隅国の鹿児島神宮(正八幡宮)を八幡神の本拠であると主張したそうだ。

 鹿児島の名前もカゴ+シマと解釈され、カゴは香春と同じ銅を意味しシマは高島、と同じく高台の土地という意味だそうだ。そういえば、継体天皇のお父さんの故郷の琵琶湖西岸の場所も高島といいますね。そうそう、薩摩藩の島津氏も秦氏の一族だそうです。

 鹿児島には最高の山である霧島山に韓国岳(辛国、加羅国)という名前が残っていますね。

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メキシコの美術と民衆の世界 釧路芸術館(7月6日~9月5日)

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 北海道立釧路芸術館にて『メキシコの美術と民衆の世界』展が開催されます。詳細は釧路芸術館のホームページを参照して下さい。

 北海道立釧路芸術館 『メキシコの美術と民衆の世界』展覧会について

 メキシコを代表する画家、リベラ、オロスコ、シケイロスを始め日本の画家である北川民次、岡本太郎、藤田嗣治、等々のメキシコに魅せられた画家の作品展が開催されます。在メキシコ40年を越える竹田鎮三郎画伯の作品と講演会も予定されています。

 竹田鎮三郎画伯講演

  8月7日(土曜日) 11時~(第一回) 14時~(第二回)

 学芸員による観賞ツアーや各種のイベントが企画されていますので、北海道に今年の夏行かれる予定の方は是非、お立ち寄り下さい。

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 右下の竹田鎮三郎画伯の作品、『ぼくらは此処へやってきた』(1983年)はJo宅の息子の部屋に飾られている作品です。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その13 九寨溝 犀牛海→諾日朗瀑布→珍珠灘湿原→長海

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その12 九寨溝 樹正群海→磨房→樹正瀑布→老虎海

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 九寨溝の犀牛海の神秘的な光景です。ほんの40年前まではチベット族のしかも仏教伝播以前のボン教を信じる9つの村の人々だけが知る世界でした。人間の破壊から免れた自然が残されています。

 マイフォト 九寨溝 犀牛海→諾日朗瀑布→珍珠灘湿原→チベット村→長海 写真集

標高2千メータあたりから3千メータにかけて九寨溝を登って行きます。廻りには4千メータを超える雪山が取り囲んでいる素晴らしい場所を写真集でお楽しみ下さい。湿原での高山植物や豪快な瀑布、そして神秘のチベット族の村があります。

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 諾日朗瀑布です。幅が270メータもあり落差25メータ近くあります。

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 近くに来ると迫力が有ります、マイナスイオンが充満しています。

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 珍珠灘湿原の高山植物です。

 

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秦氏に関するメモ その6 三輪山、伊吹山、安曇川

 承前 秦氏に関するメモ その5 八幡神は秦王国の神(放生会) 

 蘇我馬子の時代に三輪山の祭祀をする大神比義を豊前國に派遣し、ヤマト王権と秦王国とのパイプ役を担わせた八幡神をヤマト王権の枠に組み込む行為について前回説明がありました。今回は、大和岩雄氏の本から離れ少し、鉄に関わる王朝の話を振り返りたいと思います。場面は三輪山、そして河内王朝から新しい王朝を開いたと考えられる、現在の皇室の祖と想定される継体天皇と鉄との関係です。即ち、琵琶湖西岸の高島の地、琵琶湖東岸の息長氏の拠点の伊吹山山麓と鉄との関係です。

 日本の連邦国家の首都が誕生したのは三輪山山麓であると考えるのは今や常識ではないだろうか。巨大な最古に近い前方後円墳である箸墓古墳が存在し、纏向遺跡が存在し都市の機能で重要な巨大な市(マーケット)が存在したからです。今でも箸墓古墳は大市墓とも呼ばれていますし、海石榴市(つばいち)という名前も残っています。

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 三輪山が何故、聖なる山と崇められたのか、鉄との関係で言えばそれは三輪山から鉄が採掘されていたからではないか、そんな説が有ります。上垣外憲一(かみがいと けんいち)氏の『聖徳太子と鉄の王朝』によれば、三輪山山麓で金屋という場所があり又、鉱山採掘の穴師の名前が残存してる事から、三輪山は鉄が採掘される聖なる山として崇められたと説明しています。

 三輪山の神である大物主の物は鉄を指していると説明しています。又、別名である大穴持(おおあなもち)の名も鉱山採掘と関係が深い名前であると言う。

 さて、河内王朝から新しい王朝を開いたという継体天皇が最後に大和に入り、手白香皇女を皇后に迎え宮を置いたのが、磐余玉穂宮であり息子の欽明天皇の宮は金屋のそばの磯城島金刺宮(しきしまの かなさしのみや)である。グーグルの写真を掲載しますので参考にして下さい。如何に鉄と王権の関係が深いか判りますね。

 戦前の日本では我が国の名前を呼ぶのに磯城島(しきしま)と呼んでいました。磐余の地は日本国の最重要な記念すべき場所と考えられていたんです。桜井(外山=とび)茶臼山古墳の再調査が最近又、橿考研によりなされ、注目を浴びています。この古墳の石室には250キロもの辰砂が使用されていた事は昨年発表されました。その南北軸に磯城島金刺宮が位置するのが気になっています。

 

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W杯も参院選も終わる

 スペイン優勝する。

 早朝4時頃から観戦していた。スペインの可憐なパスサッカーと泥臭いドイツ風のオランダの戦いだった。スペインのサッカーは日本のチームが目指していたサッカーだったが、直前にデフェンス中心のサッカーに変更している。だから、中村俊輔を外し、アンカーに阿部を配置した。スペインのサッカーは全員のレベルが超一流でなければ出来ない戦型だと思う。

 しかし、美しいパスが続々と繋がり相手の防御を崩しシュートに繋げてゆく姿は理想かもしれない。しかし、日本は今回の戦いの形で4年後はベスト8に登場して欲しいです。

 延長戦までなかなかスペインのシュートが入らなかったが、遂に延長後半でシュートが決まった。初めての優勝らしい。本当にワールドカップで優勝するのは難しいようだ。

ワールドカップも遂に決勝戦がオランダとスペインという欧州の国同士で戦う事になった。私の予想はドイツが優勝するという事でしたが、準決勝でのスペインとの戦いは全くドイツの力が発揮されない戦いだった。しかし、ウルグアイを破り三位になった。

 思い起こせば、2002年の日韓開催の時はドイツが新横浜のスタジアムでブラジルと決勝戦を戦い敗戦、2位だった。2006年のドイツ大会では3位。この3回のW杯で全て3位以内に入賞していたのだ。ドイツサッカーは押しも押されぬ完成された最強の組織プレーのシステムなのだ。見た目は泥臭いけど、負けないサッカーだと評価しています。

 今回の大会で有名になったのは、ドイツの水族館にいるタコのパウル君だ。今まで、ドイツの戦いは全て彼が予想した通りになった。決勝戦の予想はスペインだそうだ。私が知る限り一部の地中海沿岸とスペイン、ポルトガルの人を除いて欧州の人間はタコを食べない筈だ。何故なら、タコは悪魔の化身であると古くから考えられてるんです。

 SFもので、海で巨大タコに襲われる話の背景にはタコ=悪魔という観念が存在するからだと思います。しかし、悪魔にサッカーの勝負の占いをさせたドイツの水族館の人はどのような考えで思いついたのでしょうね。悪魔の占いという、シャレなんでしょうか。

 (野生の生き物の予知能力)

 地震の予知を野生の動物が感知する話は有名ですね。確か、地下でプレート同士が衝突し岩石同士が激しく衝突すると電磁波とか周波数の高い音がでるらしい。それを、犬や蛇や鳥は察知するそうだ。真面目に中国では研究してるという話を聞いた事があります。あながち、古来、日本でもナマズが騒ぐという話は真実かも知れない。

 ツバメが低く飛ぶと雨が降るという話もどうやら本当らしい。低気圧が近くなると虫が沢山出て来てツバメの餌が地上近くに沢山でてくるらしい。これは予知ではなく、単なる自然現象なんですね。自由が丘の『八甲田』の親爺の話では、雪虫が来るべき冬の積雪量を予知する能力があると話しておられましたね。

 生き物が何千年、何万年、何億年と生きて来た過程で、生存の為に身に付けた特殊予知能力というのが有るかも知れません。

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秦氏に関するメモ その5 八幡神は秦王国の神(放生会)

 承前 秦氏に関するメモ その4 ヤハタ(八幡神)の神

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 八幡宮の最大の祭事は放生会(ほうじょうえ)であるという。香春岳の銅で作られた神鏡を、香春の採銅所にある古宮(元宮)八幡宮から宇佐の和間浜(わまのはま)まで運ぶ神幸行事である。豊前國の殆どを15日間かけて巡る大行事である。(今は行われていない)

 グーグルアースの衛星写真で巡路を示しましたので、参考にして下さい。これが、秦氏が南下した記憶だと思います。

大和氏は、幡を先頭に神鏡が巡幸したと考えておられ、『魏志東夷伝』に蘇塗の神木に鈴鼓を懸けたとあるが、鈴鼓は朝鮮式小銅鐸でありそれが鏡に変化したと述べる。

 確かに景行紀に景行天皇が九州をを攻める時、豊前の神夏磯(かむなつそ)姫が天皇に恭順の為に船に賢木(さかき)を立て、鏡、剣、玉をつけ「素幡(しろはた)」をたなびかせ参向したという記述が有ります。大和氏の考えはこのような海上で行っていた巡幸を陸上でおこなったのが放生会ではないかと言う。

 八幡神の鏡を作る家は、香春の採銅所の長光氏であるが、八幡宮の最初の祭祀氏族である辛島氏と、赤染氏は同族の秦氏であると言う。

 (豊國奇巫)

 雄略天皇の時代に天皇は病気になった、その時に呼びつけたのが豊前國の奇巫でした。

 『新撰姓氏録』和泉國神別に、巫部(かむなぎべ)連(むらじ)に関する下記の記述がある。

 ・・・・・雄略天皇、御躰不予(みみや)みたまふ。因りて此処に築紫の豊國の奇巫(くしかむなぎ)を召上げたまひて、真椋(まくら)をして、巫を率て仕(つか)へ奉(まつ)らしめたまひき。よりて姓(かばね)を巫部(かむなぎべ)連(むらじ)と賜う。・・・・

 豊國奇巫を率いた「真椋(まくら)」(物部氏)が天皇の病気を治し、巫部連になった逸話である。この豊國の奇巫は秦王国の奇巫であり、我が国古来の巫と違い、道教的要素や朝鮮の巫覡が行う巫術を持っていたから、奇と呼ばれたと想像される。

 豊國の奇巫は和泉國大鳥郡に住み、それを統括したのが物部真椋であった。彼らは本来、秦氏であるが物部氏配下に組み込まれた。しかし、物部氏の祖はニギハヤヒであるが、山城神別にあるように秦忌寸(いみき)の祖もニギハヤヒであり物部氏と秦氏は密接な関係があると考えられる。

 (豊國法師)

 『日本書紀』によれば、用明天皇2年に天皇が病気になられ、治療の為に蘇我馬子が内裏に豊國法師を入れたという記述がある。蘇我馬子は大神比義を秦王国に派遣しその工作をさせた。5世紀の雄略天皇の時代は豊國奇巫が天皇の病気を治し、6世紀末の用明天皇の時代は法師と呼ばれている。豊前國には高度な医療技術が古代から存在しており、河内や飛鳥よりも文明のレベルが高かった事を示唆している。

 大和岩雄氏はこのように大和王権の秦王国への関心の深さが官制八幡神の創祀となったのであろうと推理しておられます。そして、その目的の為に大神比義が豊前國に派遣されたと説く。

 この背景には蘇我氏と物部氏の暗闘が背景にあり、蘇我馬子が秦王国の進んだ文明を利用し早くから秦王国に伝播していた仏教も利用し神祇を独占していた物部氏を壊滅させる政治的な戦略が背景にあった。大神氏と言えば三輪山を祭祀する氏族である。三輪山の祭祀をする氏族が豊前國に派遣され、秦王国の神である八幡神をヤマト王権の神に大変貌させた。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その12 九寨溝 樹正群海→磨房→樹正瀑布→老虎海

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その11 九寨溝(樹正寨、九宝蓮花菩提塔)

 樹正寨(樹正チベット人の村落)から渓谷に下り、樹正群海を眺め、チベット人の生活の基盤である水車小屋、マシモ車を眺め、渓谷を遡上し大きな滝(樹正瀑布)を目指します。そして、最後に神秘の湖、老虎海まで歩きます。

 日本の上高地の梓川を歩いているようであり、滝は無いが明神池を観光している雰囲気でした。又、東山魁夷さんの絵に出合える旅でもありました。マイフォトに歩いた順番で写真を掲載しましたので、楽しんで下さい。

 マイフォト 九寨溝 樹正群海→磨房→樹正瀑布→老虎海 写真集

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 エメラルドグリーンに輝く無数の湖、即ち樹正群海と呼ばれる光景です。大陸奥地の中国人は湖のことを海と表現します。昆明の滇湖も海と呼んでいました。

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 渓谷に作られた磨房(水車小屋)です。樹正寨の人々がハダカ麦や小麦粉を挽く水車であり、又、同時にマシモ車(マニ車)も同時に設置され経典が水の力で回転しています。信仰と生活が密接なのだ。

 水車は横回転で廻ります、日本のように縦に回転する水車では有りません。標高2千~3千メータの高地であります。

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 渓谷の左岸を遡上して行きます。渓谷は上高地の梓川を明神、横尾に向かい歩いている雰囲気になります。

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秦氏に関するメモ その4 ヤハタ(八幡神)の神

承前 秦氏に関するメモ その3

(香春神社の祭神がオキナガタラシヒメに変更された理由)

大和岩男氏の説では、本来は加羅の神を祀っていた香春神社は大和政権の政策により8世紀以降、国家鎮護の神となり祭神名が神功皇后と息子の応神天皇に変わったという。

それにも理由があるという。『古事記』によればオキナガタラシヒメの母方の始祖は、新羅の王子であるアメノヒボコであり、新羅王の血を引くという事になる。  『豊前國風土記』が記録する新羅の神を祭るという香春神社とここで整合がとれる事になります。

 平野邦雄氏の説では『播磨風土記』に記録するアメノヒボコ説話を持つ地域と秦氏の居住区が完全に重複するという。喜田貞吉氏はアメノヒボコが秦氏族の最初の日本移住者であろうと指摘している。  

三品彰英氏もアメノヒボコ→オキナガタラシヒメの系譜が必然的であると述べる。

  『日本書紀』垂仁天皇3年3月条   

アメノヒボコ、菟道(うじ)河より泝(さかのぼ)りて、北のかた、近江國吾名邑(あなむら)に入りて、暫く住む。・・・・云々・・・・・是を以って、近江國の鏡村の谷の陶人(すえびと)は、アメノヒボコの従人なり。

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現在この場所の候補は蒲生郡竜王町や草津町穴村町がある。三品氏は『和名抄』にみえる坂田郡阿那郷を推測している。

蒲生は家内の母方の故郷であり個人的にも興味のある場所です。

 (八幡神 ヤハタの謎)

 私は子供の頃から地元の石清水八幡宮の近くの木津川で夏は泳いでいたのですが、京阪電車の駅名に八幡駅がありヤハタと呼んでいました。地元ではハチマンではなくヤハタと発音しています。これが八幡を古代からヤハタと発音しておりこれが重要です。

 貞観元年(859年)に山城の國に石清水八幡宮が勧請されてから、本家の八幡宮は宇佐八幡宮と呼ばれるようになったそうだ。要は、八幡宮と言えば豊前の国の宇佐八幡宮を無条件に示していた。宇佐八幡と呼ばれるのは、石清水八幡が出来た後なんですね。そこで、謎が生まれるのだ。

 古来、伊勢神、出雲神、諏訪神と地名をつけて呼ばれるのが日本の神社の常である、であるとすれば八幡宮(ヤハタの神)のヤハタは地名でなければならない。しかし、宇佐郡にヤハタの地名は存在しない。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その11 九寨溝(樹正寨、九宝蓮花菩提塔)

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その10 九寨溝への道(白馬蔵族郷)

 九寨溝には車で3~40分離れた場所に沢山のホテルが用意されています。シェラトンを始め外国人観光客が安心して宿泊出来るホテル街です。昨夜は険しい山道を340キロも車で揺られ、疲労困憊で疲れて寝てしまいました。今日から、九寨溝の見学です楽しみです。

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 九寨溝とは九個のチベット族の集落が標高2~3千メータの岷山(びんざん)山脈の渓谷に出来た場所という意味です。寨は村落という意味で、溝は渓谷という意味です。二つの渓谷が出会い合流し一つの渓谷となり流れています。丁度、Yの字の形の渓谷であり入口は一番下流域から遡るように観光します。

 世界遺産に指定されているので、九寨溝鎮からは専用のバスで見学する事になります。この美しい渓谷と村は1970年代になり発見されたのです。まるで隠れ里のようにパンダとチベット族の人々が静かに暮らし、自然を守っていたのです。感動的な不思議な話ですね。

 マイフォト 九寨溝 樹正溝(盆景灘、九宝蓮花菩提塔)写真集

 九寨溝の入口である九寨鎮から専用観光バスに乗り、先ず樹正溝を下流から遡上して観光します。先ずはYの字の付け根の樹正寨の村落までの観光をしましょう。

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 九寨溝鎮、世界遺産地域への入口になります。此処からは専用のバスでしか入る事は出来ません。

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 樹正溝最初の景勝地、盆景灘です。氷河が削ったモレーン状の浅瀬の渓谷です。

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ゲゲゲの爺さん遠野をゆく

 先日、NHKの教育テレビ番組で漫画家の水木しげる翁が、あの柳田國男が記録した『遠野物語』の世界を訪問取材している番組が有りました。最近、奥さんの『ゲゲゲの女房』が人気で私も欠かさず拝見していますので、面白いので観てしまった。

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 岩手県の山奥の盆地に広がる遠野、古代は大きな湖だったそうで名前の由来はアイヌ語で湖という意味が込められていると聞いている。奈良盆地と同じなんですね。アイヌの人々が長く暮らしていた場所なんでしょうね。

 グーグルアースで場所を調べると、本当に山奥の盆地である事が判りました。つい先日に中国の九寨溝に行く道で遭遇した白馬蔵族郷のような印象を受けました。番組ではこの郷は土地が痩せていてしかも、怖いヤマセが吹く場所だそうだ。これまで、何回も飢饉に遭遇したという。参考 グーグルアース 遠野(予めグーグルアースをインストール必要)

「tono.kmz」をダウンロード

 何時頃まで為されていた風習か知らないが、60歳になると所謂、姥捨て山に捨てられたという。テレビ番組でその場所を水木氏が地元の老人と訪問していたが、民家の直ぐ裏手の雑木林の中だった。村落の掟だったのでしょうね、身内の人は断腸の思いだったと推察します。誰が親を捨てて悲しくない人が居ますかね。

 遠野物語ではしかし、昼間は捨てられた老人が田圃に来て仕事を手伝い、夕方には姥捨て山に帰ったという話があるそうです。多分、村の掟を破り、密かに親を匿いそれが村民にバレた話がそのような逸話に浄化されたのではないでしょうか。奥の深い話だと思います。

 (カッパの伝説)

 一番衝撃を受けた話は、親の子殺しの話でした。やむなく河原で子供を殺して口減らしをする光景で子供がもう’お腹がすいたと言わないから許してと叫ぶ’そんな光景です。遠野ではカッパの子供が生まれたので、殺したという逸話があるそうですが、村落の掟として子供を殺す事は許されない、だから、カッパにしたのではないかと番組では説明されていた。

 江戸時代でも、間引きは行われていたという話を聞いた事があります。どんな気持ちで親はわが子を殺さねばならなかったか、村の掟が存在していたのではないでしょうか。

 カッパの伝説は日本各地にあり、色んな説が有ります。有る説では海上で暮らす人々が船で川を遡上し土着の原住民とは異なる人々が船上で暮らしていた人の事ではないかという説があります。グローバルに言えば長江下流域から朝鮮半島南部、九州沿岸等々の倭人と呼ばれる原型の人々だったかも知れない。

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南アフリカW杯 ベスト4が決まった

 昨夜、優勝候補のブラジルがオランダに2対1で敗戦した。前半戦ではブラジルが早い時点で1点を見事に獲得し圧倒的に優勢であった。しかし、後半戦で形勢は逆転した。特にブラジルは相手選手を倒したあと、スパイクで踏みつけ、レッドカードを貰い退場させられたのが痛かった。準決勝ではPK戦でガーナを下したウルグアイと対戦する。

 今大会全勝で勝ち進んでいるアルゼンチンは、何と、4対0でドイツに完敗した。この試合は残念ながら観ていない。ビデオで観る限りドイツの進撃は止りそうにないと思った。全員が一つの生命体のように高速で激しく正確に動く機械のようだ。若手が多いというのも特徴らしい。日本をPK戦で下したパラグアイには勝って欲しかったが、残念ながらスペインに1対0で負けてしまい、準決勝はドイツ対スペインの戦いとなった。

 私の決勝戦の予想はオランダ対ドイツだと素人予想しています。そして、ドイツが優勝すると思います。今の若いゲルマンの戦士を止める事は不可能と思う。本当に迫力があり、スピードも抜群である。

 今回のワールドカップを観ていて思うのは、スーパースターが一人や二人いても勝てないという事が判った。防御も攻撃も組織力が無ければ勝てない。ベスト4に残った国は欧州が3ヶ国で南米が1国となった。これが実力なのかも知れない。岡田監督がベスト4に入りたいと考えたのは、やはり世界の人々が認めるというのがベスト4である事からきていると思った。次回のブラジル大会では是非、アジアからベスト8に2カ国は入って欲しいと思います。韓国、オーストラリア、日本がその候補だと思う。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その10 九寨溝への道(白馬蔵族郷)

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その9 九寨溝への道(チベット民族村)

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 九寨溝への道は峻険な山の崖に作られた急カーブが連続する危険な道です。途中に白馬蔵族(白馬チベット族)郷があります。白馬という意味はチベットでは兵士という意味だそうです。バスはそこで停車し暫く休憩しました。まだまだ、九寨溝は遥か彼方なのです。

 マイフォト 九寨溝への道(白馬蔵族郷)写真集

 白馬蔵族郷の詳しい写真と九寨溝までの車窓は上記、マイフォトを参照して下さい。その中から幾つかご紹介します。

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 白馬チベット族は白い羽根を付けた帽子を被るのが特徴です。恐ろしい顔の鬼瓦がいますね。二本の彫刻されたトーテムが立ち頂きは鶏でしょうか。トーテムと羽根飾りというと北米のインデイアン(北米原住民)を思い出します。彼らの先祖は、氷河期が終わる頃にユーラシア大陸から大移動したモンゴロイドと考えられています。

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 又、この二本のトーテムは鳥居と考えてもいいかも知れませんね。本来は鳥居の上には鳥の形をした木製の人形が載っていた可能性があると思います。

 以前、河口慧海(かわぐち えかい)が記録ととして残した『チベット旅行記』(白水uブックス)を読んだ事があります。彼は仏教学者であり探検家であり僧侶でしたが、明治30年に32歳の時に神戸港を離れインドのダージリンを目指した。そこで3年間チベット語の勉強をして鎖国状態であったチベットへヒマラヤを越えて艱難辛苦の末にラサに到着している。

 西欧諸国の人で当時チベットに入った人や情報は一切無かった時代です。凄い人が日本にも居られたのですね。実は彼の記録の中で鳥葬に関する記事があります、彼はチベット僧侶とともに立ちあうのですが、実に凄まじい内容でした。

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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その9 九寨溝への道(チベット民族村)

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その8 平武 報恩寺

 九寨溝は標高2千~3千メータの山奥にあります。平武の報恩寺から急なカーブが続く山道を登ってゆきます。道路は舗装されているが、狭くとても危険な道です。途中はチベット族が住む村を通過してゆきます。チベット民族村が最近、観光の為に整備されたようです。

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(写真の女性は白馬蔵族=はくば チベット族の人々です。帽子に白い羽根が特徴です)

 ここで、少し中国の古代史に触れてみたいと思います。以前の四川大地震の現場で触れた羌族の村落で少し羌族の歴史に触れました。中国の古代では北に狄族(トルコ・モンゴル系遊牧民)が住み、西に羌族(ビルマ・チベット族の先祖)が住んでいたと考えられています。

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 中国の最初の王朝と考えられる夏王朝は禹という伝説の皇帝で有名であり、治水の神と称えられています。彼は、羌族ではなかったかと考える研究者が多いようです。以前の西安・北京紀行の西安歴史博物館で触れました。羌族は殷王朝の時代には迫害され、多くの羌族の人々は犠牲になりました。これは、殷墟の発掘で証明されています。

 その後、周王朝の設立には再度、羌族は活躍したそうです。彼らは、ヤクとヤギを飼い小麦や蕎麦の焼畑農業を行い各地を遊牧し、ヒマラヤも超えてインド北部までも移動した民族だと考えられています。現在のビルマ(ミャンマー)、チベットの人々の先祖ではないかと考えられています。

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 ところで、彼らの歴史を研究する人々が注目しているのが巴蜀文明の研究だそうです。

 『巴蜀文明について』

 中華文明は黄河文明と従来考えられていたが、実はそれよりも早くに長江流域で文明が花開いていたのではないかと考える研究者が増えて来ました。その理由は最新の考古学の成果により、長江中流域で稲作が最初に始まったという事実です。私も今迄、何回も長江文明に関しては記事を書き、最新の考古学の成果を御紹介して来ました。

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 巴蜀文明の巴とは四川省重慶地域を指し、蜀とは成都地域を指します。中国の人は長江下流域の楚文明に対して中流・上流の地域の文明を巴蜀文明と呼んでいます。巴蜀文明を更に注目させたのは、成都北30キロの三星堆で1986年に発掘された夥しい巨大な奇怪な青銅器群の発掘でした。世界中が驚愕した発掘でした。

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