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秦氏に関するメモ その8 終わりに

 承前 秦氏に関するメモ その7 秦王国の人々の大隅国への移住

 これまで、大和岩雄氏の文献をメモする形で秦氏に関する文献上の伝説及び史蹟を記録した。

 私は古代最大の外来系氏族の秦氏を抜きに日本の古代史を語る事は不可能であろうという観点から大和岩雄氏の文献の一部をメモとして、作成した。

 平安京を桓武天皇が拓かれた時も秦氏が活躍し、奈良の大仏を建造する時も秦氏が銅の収集と製造という側面で活躍し、聖徳太子さんの政治を産業界として支えたのも秦氏でした。隋の使者の裴世清が来訪して来た時に豊前の国は中華の文化を持つ秦王国が存在したと記録されている。

 秦王国の実態は朝鮮半島の三国時代以前の弁韓・辰韓の鉄の製造に関わる技術者集団であったと言うのが今回の結論である。彼らは中国が朝鮮半島を植民地化した頃から高度な製鉄に関する技術を伝播した人々と現地の在来の人々との混血であった可能性が高い。

 その後、中国の政治変動により楽浪郡、帯方郡の消滅により自立を行い鉄を周辺の政治集団に販売を始めたと推測される。高句麗、百済、新羅時代になっても彼らは加羅(伽耶)諸国として小さな国の連合のような形態であったが鉄という技術と製品を持つことで独立を保持していたと考えられる。

 彼らは、鉄鋌の輸入国である日本列島に鉄資源と木炭を求め渡来して来たと想像されます。鉄を製造するには鉄資源である砂鉄か鉄鉱石、銅鉱石を求め又、森林伐採が進んだ朝鮮半島では多くの木材を調達する事が難しくなったと推測される。木材が無ければ木炭が出来ず製鉄が出来ない。鉄1トンに木材は山二つと言われていたと思う。

 明らかに北九州に上陸した彼らは豊前の香春岳で銅鉱石を見つけ地盤を築いたと考えられる。それより以前に砂鉄から鉄を製造する一部の人々は出雲の地や丹後半島に上陸し基盤を築いていた可能性がある。

 彼らが渡来したのは弥生時代から始まっていたのかもしれない。しかし、大規模に移動を始めたのは河内王朝が開かれる頃だと考えられる。神功皇后・応神天皇の時代である。

 どうも崇神天皇時代の三輪王朝時代と急激な変化が起こるのが応神天皇・仁徳天皇の時代である。古墳は巨大化し副葬品が激変するのだ。又、従来になかった1200度の高熱を出せる登窯が登場し須恵器が登場するのがこの頃である。それまでの出雲や吉備や北九州その他地域では土師器しか出来ていなかった。

 彼らは本来は華僑であり政治には口を出さないで、実益を得るのが信条であったと考えています。秦氏は奈良時代でも大仏建造には大いに働き、隼人が反乱を繰り返すと中央政府の指示で大隅国に大規模な移住まで従っている。そして、霧島山には辛国(韓国)岳という名前で聖なる山と信奉した。

 秦氏は伊勢神宮の建造に於いても大いに活躍しており、三輪山の神である出雲系の神とは異なる。多分、初期に弁韓・辰韓から出雲に移住してきた鉄の製造集団がスサノオ系統であり三輪山周辺の唐古・鍵遺跡の人々達ではなかったかと思います。新しい製鉄の技術、即ち鉄鉱石から鉄を作る技術をもった弁韓・辰韓から神功皇后・応神天皇の時代に弁韓・辰韓から移住したのが秦氏ではないかと推測しています。

 同根ではあるが、秦氏は最新の大陸のハイテクを持参した人々であり、日本列島の王朝の政治には口を出さずあくまで産業界として実益のみを追求した集団であったと考えます。

 まだまだ、秦氏の謎は深く広範囲に及んでいるのでこれからも日本各地、朝鮮半島各地、必要ならば中国の地域も歩きその謎を探りたいと思います。

 最後に聖徳太子とともに歩んだ秦河勝の終焉の場所と聖徳太子の領地である太子町を記録しておきます。

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Comments

 というわけで、おおよそ秦氏のことが分かってきました。テクノクラートだったわけですね。あるいは華僑。

 それにしても、遠目には倭、日本を故郷にしてしまった華僑==秦氏、と言う風に思った次第です。

 また、歴史の時代ですなぁ(笑)

Posted by: Mu→Joさん | 2010.07.26 04:05 PM

Muさん 御無沙汰です

 今日、八ヶ岳から帰ってきました。

 滞在した山荘は蓼科の標高1700メータの位置にあり、朝夕は寒かったです。

 今週末の金曜日から京都に娘+孫×2で帰省する予定ですが、暑いでしょうね。

 秦氏の研究は今後も続けて行きます。一緒に研究しましょう。

Posted by: jo | 2010.07.28 08:11 PM

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