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秦氏に関するメモ その6 三輪山、伊吹山、安曇川

 承前 秦氏に関するメモ その5 八幡神は秦王国の神(放生会) 

 蘇我馬子の時代に三輪山の祭祀をする大神比義を豊前國に派遣し、ヤマト王権と秦王国とのパイプ役を担わせた八幡神をヤマト王権の枠に組み込む行為について前回説明がありました。今回は、大和岩雄氏の本から離れ少し、鉄に関わる王朝の話を振り返りたいと思います。場面は三輪山、そして河内王朝から新しい王朝を開いたと考えられる、現在の皇室の祖と想定される継体天皇と鉄との関係です。即ち、琵琶湖西岸の高島の地、琵琶湖東岸の息長氏の拠点の伊吹山山麓と鉄との関係です。

 日本の連邦国家の首都が誕生したのは三輪山山麓であると考えるのは今や常識ではないだろうか。巨大な最古に近い前方後円墳である箸墓古墳が存在し、纏向遺跡が存在し都市の機能で重要な巨大な市(マーケット)が存在したからです。今でも箸墓古墳は大市墓とも呼ばれていますし、海石榴市(つばいち)という名前も残っています。

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 三輪山が何故、聖なる山と崇められたのか、鉄との関係で言えばそれは三輪山から鉄が採掘されていたからではないか、そんな説が有ります。上垣外憲一(かみがいと けんいち)氏の『聖徳太子と鉄の王朝』によれば、三輪山山麓で金屋という場所があり又、鉱山採掘の穴師の名前が残存してる事から、三輪山は鉄が採掘される聖なる山として崇められたと説明しています。

 三輪山の神である大物主の物は鉄を指していると説明しています。又、別名である大穴持(おおあなもち)の名も鉱山採掘と関係が深い名前であると言う。

 さて、河内王朝から新しい王朝を開いたという継体天皇が最後に大和に入り、手白香皇女を皇后に迎え宮を置いたのが、磐余玉穂宮であり息子の欽明天皇の宮は金屋のそばの磯城島金刺宮(しきしまの かなさしのみや)である。グーグルの写真を掲載しますので参考にして下さい。如何に鉄と王権の関係が深いか判りますね。

 戦前の日本では我が国の名前を呼ぶのに磯城島(しきしま)と呼んでいました。磐余の地は日本国の最重要な記念すべき場所と考えられていたんです。桜井(外山=とび)茶臼山古墳の再調査が最近又、橿考研によりなされ、注目を浴びています。この古墳の石室には250キロもの辰砂が使用されていた事は昨年発表されました。その南北軸に磯城島金刺宮が位置するのが気になっています。

 

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 継体天皇と言えば、お父さんが琵琶湖西岸の安曇川近くの高島という場所であり古代の製鉄遺跡のある場所で同じく琵琶湖東岸の伊吹山山麓から鉄を採掘していた息長氏の系列の人でした。継体天皇のお父さんの縁に高島を訪問し、鴨稲荷山古墳と傍の志呂志神社を見学しました。詳細は以前に記録しましたので、此処では詳細は省きますが新羅の国の古墳から出土するような金銅製の冠や新羅と類似の遺物が出土した事は事実です。

 傍の、志呂志神社の名前も古代の新羅の名前である斯盧(しろ)國の名前であろうと考えられています。加羅(伽耶)の香りがする場所ですね。この辺りは鴨氏が地盤としていましたが、鴨氏は秦氏の同族であり加羅(伽耶)出身の部族で製鉄を生業としていた部族です。又、南には白鬚神社があり新羅との関係が深い社格の高い神社が存在しています。

 継体天皇は近江の製鉄を握る父と鉄鉱石から鉄を製造する北陸の母、振媛を背景に奥さんは尾張連の目子媛(めのこひめ)であり祖を製鉄の神と呼ばれる火明命(ほのあかりのみこと)である。次の奥さんは三尾角折君(みおの つのおりのきみ)の妹、稚子媛(わかこひめ)であり近江高島の製鉄を生業とする豪族である。

 三番目の奥さんは広媛(ひろひめ)の父は坂田大跨王(さかたの おおまたの おおきみ)であり息長氏の伊吹山の産鉄を利用する製鉄の豪族である。息長氏の名前の由来は息が長い=ふいごによる送風を意味していると上垣外憲一氏は説明されています。

 継体天皇は北陸から東日本で鉄鉱石から鉄を製造する技術と従来から西日本に存在した砂鉄から鉄を作る技術を総合し本格的な日本列島での製鉄を始め、朝鮮半島に依存しなくても、自給自足で高度な鉄を製造する事を始めた天皇ではないかと推測される。事実、その後の息子の欽明天皇の時代からは朝鮮半島への関与の方針が異なり始めるのはもはや、朝鮮半島が鉄の供給源という時代ではなくなり、関心が薄くなり始めたと考えられる。

 任那の百済への譲渡や加羅(伽耶)の新羅への吸収もそんな国内産業の進化によるのかもしれない。

 参考 琵琶湖水系の遺跡を巡る

 参考 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡を巡る

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Comments

おはようございます。

秦氏の謎は深まるばかりですね。

秦氏ですが、ユダヤ人だとか、原始キリスト教徒だとか、白人だとか、中国西域出身だとか、色々言われています。
また、聖徳太子もキリスト教徒なのだとか、いや、天皇家もユダヤの失われた何とかなのだ…と推測する人々もいますね。

最新のDNA解析によると、関西地方とその周辺を中心に、他の地域とは異なる、極めて特徴的な遺伝子状況が示されている様です。
「下戸のDNA」です。
九州南部や関東、東北などの地域に比べて、「下戸」が顕著です。

ご存知の通り、白人で下戸は殆どいませんし、タイやマレーシアやインドネシアでも下戸は稀です。
データを見ると、韓国人も日本人の平均値よりはるかに“酒豪”ですし、中国でも北方の人は酒豪のイメージがあります。

関西人の著しい“下戸振り”を見ると、どういう経緯でそうなったのかは知りませんが、中国南部で誕生した下戸のDNAを大いに受け継いでいます。
古代日本の支配層は、“シルクロードの貴族”と言うよりは、“お百姓さんの子”という印象を受けます。

“酒豪”どこに多い? 「全国酒豪マップ」の謎 編集委員 小林明
http://www.nikkei.com/life/living/article/g=96958A90889DE3E2E3EAE5E7E1E2E2E3E2E5E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E2

Posted by: 俄か古墳マニア | 2010.07.14 07:05 AM

俄か古墳マニアさん 面白いデータですね

 原田勝二さんの記事を読みました、実に興味深い内容ですね。元来は世界中の民族は酒に強い遺伝子を持っていたが、突然に2万年~3万年前に中国南部地方で酒に弱い遺伝子を持つ人々が発生した。原田さんはD型遺伝子と呼んでおられますね。

 中国南部というと稲作が発生した長江中流域でしょうか。そして、その酒に弱い稲作民が日本列島に到着し、ヤマト王権の中心地域に定着した。

 纏向遺跡から出土する土器では東海地域が一番多いと思いますが、北陸や前期古墳の吉備地方の特殊器台の影響が多いので、どこか納得してしまいますね。

 しかし、何故、中国南部地方の稲作地帯の人々に酒に弱い、アセトアルデヒドを分解する酵素の働きが弱い人々が生まれたのでしょうね。水稲稲作と関係があるんでしょうか。

 最近はテレビ番組でも口腔内の粘膜からDNAを取り出し特にミトコンドリアDNAで母系のルーツを探る番組をしていましたね。

 これからも、DNA分析で色んな歴史が判明して行くかも知れませんね、楽しみです。

 原田勝二 酒とDNA http://www.nttcom.co.jp/comzine/no057/wise/index.html

Posted by: jo | 2010.07.14 09:25 AM

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