峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その10 九寨溝への道(白馬蔵族郷)
承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その9 九寨溝への道(チベット民族村)
九寨溝への道は峻険な山の崖に作られた急カーブが連続する危険な道です。途中に白馬蔵族(白馬チベット族)郷があります。白馬という意味はチベットでは兵士という意味だそうです。バスはそこで停車し暫く休憩しました。まだまだ、九寨溝は遥か彼方なのです。
マイフォト 九寨溝への道(白馬蔵族郷)写真集
白馬蔵族郷の詳しい写真と九寨溝までの車窓は上記、マイフォトを参照して下さい。その中から幾つかご紹介します。
白馬チベット族は白い羽根を付けた帽子を被るのが特徴です。恐ろしい顔の鬼瓦がいますね。二本の彫刻されたトーテムが立ち頂きは鶏でしょうか。トーテムと羽根飾りというと北米のインデイアン(北米原住民)を思い出します。彼らの先祖は、氷河期が終わる頃にユーラシア大陸から大移動したモンゴロイドと考えられています。
又、この二本のトーテムは鳥居と考えてもいいかも知れませんね。本来は鳥居の上には鳥の形をした木製の人形が載っていた可能性があると思います。
以前、河口慧海(かわぐち えかい)が記録ととして残した『チベット旅行記』(白水uブックス)を読んだ事があります。彼は仏教学者であり探検家であり僧侶でしたが、明治30年に32歳の時に神戸港を離れインドのダージリンを目指した。そこで3年間チベット語の勉強をして鎖国状態であったチベットへヒマラヤを越えて艱難辛苦の末にラサに到着している。
西欧諸国の人で当時チベットに入った人や情報は一切無かった時代です。凄い人が日本にも居られたのですね。実は彼の記録の中で鳥葬に関する記事があります、彼はチベット僧侶とともに立ちあうのですが、実に凄まじい内容でした。
慧海僧侶のチベットの葬送儀礼に関する話を少し、紹介しておきます。チベットでの(明治30年代の話)葬儀には鳥葬(仏教のほうでは風葬という)が一番よい葬り方で死体をチャ・ゴエ(禿鷹)に食べさせる方法だ。次が火葬、水葬である。一番悪いのが土葬であるという。チベット人は土葬を一番嫌い普通の死にかたではやらない、天然痘で死んだときだけにするそうだ。鳥葬では鳥に伝染するし、水葬では川が汚染される。
火葬は死体を焼く木が無い、ヤクの糞で焼く事も出来ないのだ。水葬の時も首、手、足みんな切り離して流すそうで、魚が食べやすく川の洲に引っかからないようにする為だそうだ。インド哲学では人体は地・水・火・風の4つより出来ているという考えだ。従い、4つに帰る道があるという。鳥に食べさせるのは風に帰るという意味だ。
鳥葬の詳細な記録が残されているが、残酷でありブログでは紹介出来るしろものでは有りませんので割愛します。日本の古代史と鳥葬の関係に興味を持たれたのは松本清張さんでしたね。ペルセポリスまで取材に行かれていたと記憶しています。
ヤマトタケルが白鳥になり故郷に帰る逸話や、前方後円墳の埴輪に多くの水鳥が存在する事や、鳥居の事や、数多くの鳥と人間の魂の関係について古代の伝説は語っています。
(写真はヤクの肉を焼く白馬蔵族の人)
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