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長安(西安)・北京紀行その9 兵馬俑坑その3(銅車馬)

 承前 長安(西安)・北京紀行その8 兵馬俑坑その2(2号坑、3号坑)

 始皇帝陵の封土の西北40メータ離れた場所で銅車馬坑が発見された。始皇帝陵が建設された時は封土の下に存在したものだが、長い年月の間に農民が陵縁を削ったものと思われる。長方形の木槨(6.8×2.1+2m)内に2両の銅車馬が前後に並んで埋められていた。ともに実物の1/2の大きさで4頭立ての車馬が部品の細部に至るまで精巧に組み立てられていた。

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 1号銅車馬の発掘時の状況写真です。

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 2号銅車馬の発掘時の写真です。

 両銅車馬についての詳細なデータはマイフォト 驪山陵(兵馬俑坑)写真集に記録してありますので、参考にして下さい。

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 この銅車馬の歴史的意義について岳南氏は以下のように記録しています。

『この車馬と御者は全部青銅で鋳造され、手綱、面繋(おもがい)などの馬具及び馬の頭にある装飾品は金で作られています。全部で3462の部品から組み立てられ、そのうち、金の部品は700あまり、3キログラム以上、銀の部品は900あまり、4キログラム以上になる。

 これは中国は勿論、全世界で発見されたもっとも早い時代の、もっとも整った、もっとも華麗な古代銅製の車馬である。車の屋根が楕円形で、囲いが正方形という構造様式は、天が丸く、地が四角という当時の宇宙観を反映し、これに乗る時、あたかも天と地の間に座っているという考え方をしめしている。』

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 車は1本の轅(ながえ)の先端に短い横木の衡(くびき)がつき、それに2つの軛(やく)がついているので、4頭のうちの内側の2頭が服馬として、軛にとりつけられて車を牽き、外側の2頭は添え馬(驂さん)であるらしい。

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 銅車馬の入っていた木槨は大きな遺構の一部であり、同じような木槨がその南側に4つ並んでおり、それらを納めている坑は北の方に伸びているという。最近の報告では新しく18台の銅車馬が発見されたそうだ。始皇帝が東方巡守した時は数十台の車で行ったと思われるので、銅車馬が20台になっても不思議ではない。その中には始皇帝の乗った金根車(きんこんしゃ)が特別な車として含まれているかも知れない。

 この銅車馬を眺めていると始皇帝が何度も何度も東方の海岸地帯を主に、しかも5回も同じ地区を旅した事は謎である。彼は中国の西の内陸部で育った人間である、東方の海岸地帯は中国世界の東限である。その東の果てまで自分の領土であるある事を誇りに思ったに違いない。しかし、始皇帝は海へのあこがれが大いに存在したのではなかろうか。

 東方海上には神仙の島がある、不死の薬への憧れが徐福(徐市)をして海中の蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)の三神山を目指す旅に出させたと思う。童男童女数千人と多額の金子を与え東海の不死の薬を求めさせた。この時に弥生時代末期の日本列島に彼らが漂着したと考えて不思議は無い。所謂、徐福伝説(中国では伝説では無く歴史と認識している)の始まりであります。

 秦始皇帝陵の陵園は広大であり、発掘が始まったところであり、今後、100年否、数百年かけて中国では発掘が続くと想定される。つい先日も、写真集で撮影した1号坑の発掘現場から120体の俑が発掘されたニュースが流れました。(参考 産経ニュース

 私が生きてる間に始皇帝陵本体が発掘される可能性は殆ど無いと思いますが、今、若い人で考古学に興味のある人はその発掘現場に立てるかも知れませんね。羨ましいです。

 書きたい事は山のようにありますが、現在私が疑問に思っている事を二件述べます。先ず、秦始皇帝の軍団では鉄器の武器を持たなかったかという疑問です。鉄は既に周や春秋戦国時代から存在し秦の時代では農具なのでは大いに利用されていたのに武器としては青銅器であった理由です。

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 もうひとつの疑問ですが、弩という強力な弓が何故、日本列島では普及しなかったかという疑問です。古代の武器を研究する人には常識かもしれないが、何故日本列島の人々は弩を受け入れなかったかのか不思議なんですね。弩と言えば、先日、成都の武侯祠を訪問した時に博物館で諸葛孔明が発明した連射可能な弩を見学しました。魏・呉・蜀の三国時代、所謂、卑弥呼の時代ですが、何故、日本には弩が普及しなかったのか謎と思いました。

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