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峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その8 平武 報恩寺

 承前 峨眉山・九寨溝・黄龍紀行その7 四川大地震震災現場

Photo

 九寨溝に行く途中の山の中に平武県という場所があり、そこに明時代初期に建造された『報恩寺』があります。1446年頃に建造が始まり80年近く建設は続いたようですが、チベットの風俗と中華の風俗が混合したお寺です。

 ガイドさんのお話では、この地方を治めていた王が紫禁城のような宮殿を建てたいと思い立ち建造したそうです。ですから、『山の宮殿』を目指したのですね。しかし、この話が明王朝の皇帝の耳に入り監察使が事実を確認に来るという非常事態が起こったそうだ。そこで、宮殿ではなく、お寺を建造したのだとすれば皇帝の目を逃れる事にして、急遽、お寺に変更したそうだ。

 グーグルアース 平武 報恩寺

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 マイフォト 平武 報恩寺写真集(明時代初期の寺院)

写真のように龍の階段は紫禁城にありますね。そういえば、西安・北京紀行で紫禁城の記事を書くのを忘れていました。後日、記事を起こします。

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 このお寺で一番有名なのが大悲殿の御本尊の『千手観音』さまです。本当に手が千本お持ちだそうです。よく無事で文化大革命の時期に破壊されなかったです。この地域はチベット族や羌族の少数民族の地、本当に良かったです。

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 華厳蔵にある高さ11メータの巨大なマニ車です。押して回す事が可能です。まさに、チベット仏教ですが、廻りを中華のシンボルである龍が取り巻いていますね。

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 大雄寶殿の御本尊の釈迦仏です。金ピカでなくて良かったです。伽藍全体の印象は日本のお寺を歩いているような雰囲気であり、景色です。中国で多く経験する最新の建物ではなく古い時代の文化遺産をそのまま残そうとしている貴重な保存例だと思いました。

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