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東近江 相谷熊原(あいたにくまはら)遺跡で日本最古土偶発掘

 昨日、滋賀県東近江の永源寺相谷町の相谷熊原遺跡にて日本最古1万3千年前の土偶が発掘されたと滋賀県文化財保護協会が発表した。

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 読売新聞ニュース記事 最古級の土偶東近江市で出土 従来の縄文時代観に一石

 産経ニュース 縄文初期の最古級土偶 竪穴住居跡出土

 産経関西 まさに’縄文のビーナス’最古級の土偶発見

 毎日新聞 土偶:国内最古級1体出土

 鈴鹿山脈から流れる川が平野にでる河岸段丘で縄文早期の集落跡が存在し、発掘が続けられていたようです。土器編年と炭素14法により一万3千年前という縄文早期の遺跡である事が判明し、竪穴住居跡から女性の上半身の土偶が発掘されたという。残念ながら首には細い穴があり頭部は別に作り棒のような物で結合し差し込んでいたのかもしれないが、未だ頭部が発見されていない。

 しかし、写真でみる限り腰のくびれや豊かな乳房は国宝である’縄文のビーナス’を連想させるものである。諏訪湖近くの尖石遺跡の’縄文のビーナス’を連想させてくれました。

 記事によれば、一万三千年前と言えば今より10度も気温が低く、人々は地中深くに竪穴住居を作り集団で暮らさなければ生きるのが難しい状況だったと解説しています。家族だけでなく集団で生活する必要があったと解説しています。

 滋賀県の縄文時代の遺跡というと、概略、琵琶湖東岸で湖底に沈んでいるのが有名でした。地震で古代の多くの遺跡は湖底に沈んでいるのです。弥生時代の遺跡では守山の遺跡で発掘された日本最大の巨大な銅鐸で有名です、今は銅鐸博物館が設置されています。野洲川流域が弥生時代の遺跡として有名です。

 今回の遺跡は随分と山奥で驚いています。しかし、西日本にも縄文時代の古い遺跡が存在する事を認識した次第です。

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