西安・北京紀行から無事帰国しました
昨夜、無事に古都、長安(西安)と北京の旅から帰国しました。昨日、西安から北京空港経由で帰国しましたが、あの何時もは黄砂まみれの北京に青空が広がり驚きました。今回の旅で最初に北京に入りましたが、黄砂がひどく殆ど霞みがかかるような按配で、案の定、納得できる写真は一枚も撮影出来ませんでした。
しかし、紫禁城(故宮博物館)や万里の長城も久しぶりに訪問し、懐かしくはありましたが、随分と観光地化され、皮肉にも整備されればされる程、何処かむなしい気持ちになりました。文化遺産をどのように扱うかは時代の世相が反映します、中華文明を自慢し、国威発揚に利用し、観光客から金をせしめる商魂には辟易な旅だった。
北京五輪を契機に長安の大雁塔の大慈恩寺も整備に巨額が投入されたそうだが、唐の時代を偲んで多くの建造物が新規に建造されていた。金ぴかの仏像と紫檀の高価な材木で本堂が建立されていたが、何処か見当違いに思えたのは私だけでしょうか。そして、日本からの観光客には文化という名の商品を買わせる商魂には辟易だった。
兵馬俑坑の発掘は未だ継続されているし、唐の第三代皇帝である景帝の陵墓も博物館として公開されており、兵馬俑坑程の規模では無いが地下に多くの人馬の佣の発掘状況をそのまま展示していた。(漢陽陵地下遺跡博物館)
陝西歴史博物館も二度目の訪問でしたが、この博物館は世界に誇る規模と内容だと思います。何度来ても楽しい博物館だと思います。
今回はどういう訳か西安ではハイアットに泊まり北京ではキングウィングという豪華な5つ星のホテルで滞在となりもったいない気持ちでした。(貧乏性)
阿部仲麻呂の記念碑も訪問し、彼が一度日本に帰国しようとしたが船が難破し長安には彼が死亡したと誤報があったそうだ。その時に友人の李白は仲麻呂を偲び詠んだ詩が石碑に刻まれていました。吉備真備、眩坊、仲麻呂は17年間世界の文化文明の中心である長安で過ごした。仲麻呂は唐に残り高級官僚として唐の為に尽くした訳です。しかし、真備や眩坊が帰国する3カ月前に同じ遣唐使だった井真成は病死し平城京に帰国できなかった。数年前に彼の墓誌が発見され事実が判明したのでしたね。
そして、過去にも何回も記事を書いたが渤海と唐が戦争状態になろうとした時に派遣された遣唐使の平群広成が帰国時、難破しベトナム中部のチャンパ王国に捕われの身となった時にも仲麻呂は彼を救出し渤海国経由で無事に新潟へ帰国させている。
長安城壁や朱雀大路を眺めながら、仲麻呂や真備や李白を代表とする詩人達と毎晩、胡姫のお酌で飲んでいた文化人の夜の世界はどんな世界だったのか、ワープして覗いてみたいと思った。昔の祇園や銀座のクラブは唐時代のインテリの社交場の香りを伝えているんでしょうかね。
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