長安(西安)・北京紀行その2 阿部仲麻呂記念碑(続編)
前回は李白の得意な七言絶句の詩のご紹介でした。今回は晁衡(阿部仲麻呂)の有名な詩のご紹介です。
阿部望郷詩
翹首望東天(首を翹げて東天を望めば)
神馳奈良邊(神(こころ)は馳す 奈良の辺)
三笠山頂上(三笠山頂の上)
想又皎月圓(思ふ 又た皎月=明月の円(まどか)なるを)
私達が馴染なのは百人一首の『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』ですよね。仲麻呂が残した漢詩では難しい漢字を多用した詩となっていますね。先ず、翹首という漢字は難しくて判りません。意味は首を延ばして待ち望む意味だそうで、呉音では(ぎょうしゅ)、漢音では(きょうしゅ)と発音するそうです。堯・舜の堯の漢字を見出せますね。
最後の皎月(こうげつ)という漢字も馴染が無いですね、名月の意味だそうです。ここで、李白の詩を考えると、李白が仲麻呂が帰国する前にこの詩を歌っていた事を知っていた可能性が有りますね。そうだとすると、李白は仲麻呂が残した詩を前提に彼が遭難して死亡したと勘違いして作成した詩として見直す必要がありますね。要は仲麻呂の詩を前提に歌を作成したかも知れない。
仲麻呂が使用した翹という漢字、神と奈良という漢字から道士である李白は蓬莱山・壺世界を連想した、そして、皎月(こうげつ)という漢字と同意味の明月という漢字を使用したとも考えられますね。私は漢詩の専門家ではないが、玄宗皇帝の側近文化人として酒を飲み語り合いお互いの文化レベルの高さを尊敬しあった仲間の死に対して、李白は最大限の仲麻呂の意識世界の根底に触れようとしたと考えられますね。
阿部氏はヤマト王権の成立当初から王権を支える氏族です、イワレ(磐余)の阿部氏の本拠地近くには道教の神仙思想の影響を受けた桜井茶臼山古墳や箸墓古墳や多くの三輪王朝以来の巨大な前方後円墳が存在し、道教の道士である李白とは話が深く出来たと思います。
李白からすれば、秦の始皇帝以来、当方海上に存在する不老不死の世界である蓬莱山が海に浮かんでいると信じている。日本はそんな道教の道士からみれば理想の世界に仲麻呂は帰ろうとしているのだ。李白は蜀の国の峨媚山や道教の発祥の地、山東半島で道士としての修業を行った経歴があるそうだ。だから、李白の詩の背景には道教の思想が存在する筈ですよね。
興慶宮は玄宗皇帝が楊貴妃とともに過ごした宮である。彼女は南方生まれですから、水の都で育った。長安で船に乗って遊びたいと言えば、玄宗皇帝は池を作り船を浮かべた。それが龍池です。この場所には唐の時代に沢山の皇帝が遊ぶ為の建物も建造されていたという。現在、続々と中国では再現して建造してるようだ。
西安で唐時代の建造物が残っているのは大雁塔だけだ、他は何も残っていないのが悲しい中国の歴史だ。それを、最近はどんどんと観光目的で建造している、多分、奈良の建造物を参考にしているのでしょうね。何か少し淋しい気持ちになるです。
中国では文化財の保存に関する考え方が日本とは異なるようですね。大慈恩寺周辺はまるでレジャーランドみたいになってました。
公園では近所の人々が集まり、幾つかの集団を作り健康体操をしている。西域風のグループもあれば、明るい音楽で体操しているグループもある。最近は太極拳は人気がないようでしたね。
しかし、近所の人々が朝早くから集まり、一緒に健康の為に体操をしたり、フォークダンスをしたりするのは日本でも中国に学ぶ所があるのではないだろうか。
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