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バンコク紀行その15 旅を終えて(最終章)

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 今回がバンコク紀行の最終章になります。初めてのタイ国の訪問でしたが、沢山の刺激を受け又、沢山の疑問も生まれた旅でした。タイの民族が独自に王国を築いたのはスコータイ王朝と考えると13世紀であり、日本で言えば鎌倉時代です。しかし、タイ民族の歴史は古く、柿崎一郎氏の著書『物語 タイの歴史』(中公新書)に従えば、長江下流域で稲作を行っていた民族であるという。

 黄河流域の畑作・遊牧民族が南下を行いタイ民族を長江下流域から追い出したという。タイ民族の一部は長江を遡り現在の雲南省の源流域まで追いやられたという。そして、タイ民族は雲南省あたりを源流とする長江以外の大河を下り稲作に適した場所を探し移動したという。メコン川、チャオプラヤー川、紅河、等々を下流域に南下したという。西に移動したグループはインドのアッサム地域まで移動した。

 現在タイ族はタイ国を始め、ラオスの主要民族であるラーオ、雲南省のルー、及び近隣の省、ベトナムの黒タイ、白タイ、カンボジア、ミャンマー、インドアッサム地域のアホーム、等々の少数民族として命脈を保ち約1億人以上ではないかと推定されるという。問題は日本に稲作を伝えた民族である、最新の歴博の放射性炭素14 AMS法による稲作の北九州への伝播は紀元前10世紀であり、従来の常識から500年遡るという衝撃的な研究成果が報告されている。(学会で議論中)

 もう一つ気になる説は大野晋氏の日本語の源流がインド東南部に生き残るタミル語を話す人々ではないかという説である。紀元前1500年頃にイラン高原からインダス川流域にアーリア人が侵入を行い、インドの原住民であったタミル語を話す人々(ドラヴィダ族)が駆逐されインド東南部に追いやられたという。そして、彼らは海に活路を見出し、ベンガル湾からアンダマン海に入り、マレー半島を横断し、シャム湾からボルネオ海を北上し、更に東シナ海を北上したという。

 考古学的に大野晋氏を支持する人々がどれだけ居られるか私は知らない。しかし、海のシルクロードを研究する事でタミル語を話す人々が大いなる航海をした軌跡を探る事が出来るかも知れないと思う。

 北九州に紀元前10世紀に稲作が伝播したとすれば、紀元前15世紀のアーリア人の大移動と移動を余儀なくされたタミル語を話す人々が海のシルクロードを経由し、南朝鮮半島や日本に到達し稲作を伝えたと仮定すると話は面白くなります。

 文字資料によれば、海のシルクロードが注目されるのは、前漢の武帝の南進政策により紀元前2世紀頃から中国南部からベトナム北部にかけて日南郡など9郡を設置したことから海上ルートの重要性が高まったという。しかし、実際にはもっと古くから海路は開けていたと考えられます。

 5世紀頃の海のシルクロードを柿崎氏の『物語 タイの歴史』より参考にさせて貰うと以下の通りである。

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 5世紀と言えば倭の五王の時代、河内王朝の時代であり長江流域の建康に都を置いた宋と交渉を持っていた時代です。ちなみに、時代は下るが関が原が終わった頃のアユタヤ王朝時代の海のシルクロードは以下の通りである。

20104bangkok_189  5世紀頃までの海のシルクロードでは、マラッカ海峡を通過するルートでは無かったのですね、航海技術と造船技術が進歩して初めてマラッカ海峡ルートが東アジアとインド・地中海文明とを繋ぐルートとなったようです。

 最近、雲南省やカンボジアやベトナム、タイを訪問し弥生時代の九州や南朝鮮半島(馬韓・弁韓・辰韓)の人々の生活と類似性が多い事に注目しています。数えるときりがないが、お歯黒、歯を抜く風習、入れ墨、もがり、ふな寿司、高床式住居、鳥居、蛇信仰、太陽信仰、竹の文化、母系家族制度、甕棺墓、・・・etc。

 今度は是非、ベトナム中部の海のシルクロードの中継拠点であった林邑、チャンパ王国の遺跡をじっくり見て回りたいと思います。

 しかし、何故東南アジアでは民族自立の国家建設が遅れたのか、これも疑問なんですね、中国という巨大な統一王朝の影響が大きいのでしょうか。しかし、日本では3世紀に既に邪馬台国を盟主とする国が発生していたのも、東アジアの常識では不思議な事かもしれない。

 今回の成果は、日本の鳥居のルーツがバラモン教(ヒンドゥー)の祭祀であるブランコの可能性があるのではないかという仮説。桃太郎の鬼退治の物語のルーツがインドの『ラーマヤーナ物語』ではないか。出雲のヤマタノオロチ退治は同じくヒンドゥーの蛇神『ナーガ』の5個の頭を持つ蛇神ではないだろうか。(スサノオが新羅から須佐経由、出雲に侵入し弥生時代より製鉄を伝えた南方の航海民を駆逐した物語と考えると面白い)。

 日本人が雲南省やタイやベトナムを訪問すると安らぎを覚えるのには、何か古代の記憶を共有しているからかも知れないと思った。

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