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バンコク紀行その6 ラーマーヤナ物語

 承前 バンコク紀行その5 ヒンドゥー教寺院(スリ・アリアマン)

 ラーマーヤナ物語の壁画はアンコール・ワットでもタイの寺院でもベトナムでも雲南の寺院でもおめにかかる有名なインド原産の叙事詩である。私はインドがアーリア人に何度も侵入され原住民(ドラヴィダ人)が奴隷もしくは海外に移住を余儀なくされた人々(タミル語を喋る人々)がラーマーヤナ物語やヒンドゥー教や言語を伝えたと考えています。

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 インド南東部はタミル語を今でも喋る人々であり、スリランカ、マレーシア、シンガポール、チャンパとタミル語を喋る人々の拠点と海のシルクロードが重なるのです。言語学者の大野晋は日本語祖形はタミル語であると述べていて、未だ学会では決着がついていない話は有名ですが、私は言語が伝播したならそれ以外の文化遺産も伝播したと考えます。

 参考 日本語の起源(大野晋 岩波)

 現在でも8千万人も喋るタミル語が日本語の祖形であるならば、この海のシルクロードを調べなければ立証出来ないと思います。インド原産の叙事詩『ラーマーヤナ』も必ずタミル語と伴に伝播したと考えました。勿論、近世に於いて英国が植民地経営の為に多くのタミル語を話す民族をマレー半島からシンガポールに移住させた事実もあると思いますが、それより遥か昔に海のシルクロードで移住したタミル語を話すドラヴィダ人が存在したと考える。

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 ラーマ皇子と妃のシーターは陰謀で宮廷を出る、そして、森でラーマ皇子は鳥王と親交を得る。しかし、妃のシーターは魔王の手先に誘拐され、スリランカ島に連れ去られた。

 猿王の軍団の援軍を得て、ともに魔王に誘拐されスリランカ島に連れされた、妃シーターを助け出す為に島に乗り込むラーマ皇子と猿軍団。

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 遂にラーマ皇子は魔王を倒し奥さんの奪還に成功する。

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 随分と美人のシーターさんですね。物語が『もも太郎の鬼退治』とストーリが似てませんか。桃太郎が何故、キジや猿といった動物の助けで鬼が島に乗り込むのか理由がよく判らなかったからです。

 話は飛ぶが、昔、コンテンツの仕事をしていた頃に私の故郷の近くに『かぐや姫』伝説の場所があり、子供の頃から実在したカグヤ姫の説話のルーツを求めて旅をした事があり、遂にルソン島(フィリピン)まで辿りついた経験がありました。薩摩隼人・大隅隼人が持ち込んだ説話だった事が判明した事があります。(木津川流域の隼人庄)

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 海のシルクロードを人と物と文化・文明が行き来したとなると紀元前千年あたりから、活発な交易が存在した事になります。ヤマト王権が成立する以前から古代の日本列島には海のシルクロードを通じてインドや西アジア、ナイル文明も伝播していても不思議ではない。ヒンドゥーのガルーダも明らかに天狗に似ている。鳥居のルーツがヒンドゥーの神であるシバ神への祭祀儀礼のブランコであったとすれば、これも古神道が成立する頃には伝播していたと考えて不思議ではない。

 私は三島由紀夫がアンコール・ワットの『ライ王のテラス』やバンコクでの『暁の寺』で目の当たりにした衝撃がこの海のシルクロードであったのではないかと考えるようになった。脈絡もなく、小説で突然に三輪山の光景が描写される場面は、私には少し判るような気がする。

 西洋人の視点では遥か東の果てと見られた日本、ファーイーストの地は実は海のハイウエイでナイル・メソポタミア・インド文明・東南アジア文明・長江文明と繋がっていた驚愕の事実だ。

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