« 中国雲南紀行その13 多依河筏下り | Main | エジプト紀行 目次編 »

トルコ大紀行 目次編 3千キロの旅

 2010年1月22日~30日の期間、イスタンブールを基点にエーゲ海、地中海沿岸地域から、中央部のパムッカレ、古都コンヤを廻りカッパドキア、そして首都アンカラまでをバスで移動した。アンカラからは汽車にてイスタンブールに向い総キロ数3千キロに及ぶ大紀行でした。

 ギリシャ・ローマ文明とナイル・チグリス・ユーフラテス文明、ガンジス文明、長江・黄河文明そして、ユーラシアの草原地帯の遊牧文明が十字にクロスする『文明の交差路』として、トルコは位置していました。世界最大の遺跡群を誇り、且つ、現代ではキリスト教文明とイスラム文明の橋渡しとして重要な立場にあります。

 トルコ国民は明治時代より日本人を友好国民として考えている。明治時代、オスマントルコ時代に軍艦が串本沖で座礁した事件で、国交も無い国の日本の漁民が献身的な救助活動をし、そして1年間も遭難したトルコの船乗りの面倒をみた事実。そして、日本国民が当時の金で二億円も義援金を集め遺族に送付した事件は決定的な友好国民であると認識させた。

 帰国した軍艦の乗組員は多くは地方出身者だったそうだ、彼らは故郷に帰り、日本人から受けた好意を故郷の人々に伝えたのだ。そして、トルコの脅威であったロシアを日露戦争で破り尊敬する国民が遥か東アジアの果てに存在する事を認識した。

 この歴史的な事実は外交とは政治家や官僚だけがやるものではなく、一般的な庶民が草の根のように行う事の積み重ねである事を語っている。歴史を振り返ると、トルコだけでなく、日本の先輩諸氏はイスラエル国民に対しても、タイ、ベトナム、カンボジア、色んな国々の国民に対して草の根の友好活動をして来た。

  トルコ大紀行計画

  トルコ・エジプトから帰国しました

  トルコ大紀行その1 アヤソフィア(アギャ・ソフィア)大聖堂

  トルコ大紀行その2 アヤソフィア(アギャ・ソフィア)大聖堂 続編

  トルコ大紀行その3 トプカプ宮殿

  トルコ大紀行その4 オリエント急行イスタンブール駅

  トルコ大紀行その5 地下宮殿(地下貯水槽)

  トルコ大紀行その6 ダーダネルス海峡を渡りチャナッカレへ

  トルコ大紀行その7 トロイ(トロイア)遺跡

  トルコ大紀行その8 ベルガマのアクロポリス遺跡

  トルコ大紀行その9 ベルガマのアスクレピオン

    トルコ大紀行その10 エフェソス(エフェス)遺跡前篇

  トルコ大紀行その11 エフェソス(エフェス)遺跡後篇

  トルコ大紀行その12 エフェソス(エフェス)遺跡面白編

  トルコ大紀行その13 聖母マリアの家(エフェソス)

  トルコ大紀行その14 パムッカレ前篇(暮色)

  トルコ大紀行その15 パムッカレ後篇(絶景なり)

  トルコ大紀行その16 パムッカレからコンヤへ410キロの旅

  トルコ大紀行その17 メヴラーナ博物館(コンヤにて)

  トルコ大紀行その18 キャラバンサライ(隊商宿)

  トルコ大紀行その19 カッパドキア(鳩の谷編)

  トルコ大紀行その20 カッパドキア(地下都市、ローズバレー)

  トルコ大紀行その21 カッパドキア(洞窟ホテルと奇岩峰)

  トルコ大紀行その22 カッパドキア(ギョレメ野外博物館)

  トルコ大紀行その23 アンカラエクスプレス(アンカラ→イスタンブール)

  トルコ大紀行その24 旅を終えて

|

« 中国雲南紀行その13 多依河筏下り | Main | エジプト紀行 目次編 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 中国雲南紀行その13 多依河筏下り | Main | エジプト紀行 目次編 »