バンコク紀行その12 エメラルド寺院と王宮(後篇)
エメラルド寺院本堂の回廊を埋め尽くすヤックもしくはガルーダです。仏教そのものは、お釈迦さまがヒンドゥー教の宗教改革として生まれたものですから、仏教の基底にはヒンドゥーの宗教観が存在するのは当たり前なんですね。我々日本人はガンダーラからシルクロード経由中国、朝鮮半島と経由した仏教に馴染があるだけで、それが全てでは無い事を認識すべきでしょうね。
エメラルド寺院の回廊には延々とラーマキエン物語の絵巻物が描かれています。この物語の原型はインドの『ラーマヤーナ物語』です。アンコール王朝時代のアンコール・ワットの寺院の回廊にもこの『ラーマヤーナ物語』の絵巻物が延々とレリーフとして彫刻されています。アンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院ですから当たり前の事かもしれないが、タイのバンコク王朝の仏教の考えにも大きな影響を与えているのですね。写真では猿軍団が味方してくれて悪魔軍団と戦っている場面です。
プラ・ウィハーン・ヨットの前に佇む像です、最初は半人半鳥のキンナラかと思ったが、これもガルーダではないでしょうか。不明ですね。
ボロマビマン宮殿ですね、ラーマ1世から8世までが住んでいた宮殿です。ラーマ8世が暗殺されて以降、現在のラーマ9世は使用されていません。やはり縁起がわるいのでしょうか。
マイフォト エメラルド寺院と王宮写真集
チャクリ・マハ・プラサート宮殿です。ビクトリア風の建物のようで、屋根はタイ風ですよね、折衷の様式のようです。この王宮は『王様と私』というミュージカルで登場するラーマ4世の皇太子(後にラーマ5世となりこの王宮を建設する。)が建立したそうですが、彼は全てビクトリア風に建設しようとしたそうですが、タイ国民の反発により折衷建築となったようです。彼は、皇太子時代に教育を受けたイギリス人家庭教師のアンナ・レオノーウェンズの影響を強く受けたのですね。タイ王国の近代化・西欧化に努力したようです。
宮殿の隣にある別の宮殿でドゥシット・マハ・プラサートと呼ばれる最初にラーマ1世により建立された王宮だそうです。純タイ風の王宮ですね、戴冠式が行われるそうです。
エメラルド寺院と王宮は同じ場所であり、タイ王室とは切っても切れない関係のようですね。ですから、服装も厳しくて女性は特に注意して下さい、肌が露出したり素足が出てると入場出来ませんし、常に監視されていますので、くれぐれもご注意下さい。当たり前の事ですが・・・・。
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