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バンコク紀行その1 歴史について

 承前 バンコク紀行から帰国しました

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 タイ国の歴史を概観してみましょう。写真はアユタヤの日本人町跡にある博物館に掲載されていた航海図です。海のシルクロードの地図といってもいいでしょうね。

 東洋史の宮崎市定さんの『アジア史概説』をハンドブックとして今回の旅に持参していました。彼の説に依れば、古来、インドにアーリア人がインドに大移動を行った頃からインド東南部から船で交易を目的とする海人がマレー半島を南下し、インドネシア・シンガポールあたりにインド文化の植民地を築いたという。

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 そして、ジャワ方面にも伸び拠点をジャワに築き又、北上し現在のタイ国のチャオプラヤー川流域に国際貿易拠点を築いたという。そして、更に北上し現在のベトナム中部にチャンパ王国を貿易拠点とし、中国との交易を行ったという。このルートにてインドのバラモン教(ヒンドウー教)や仏教は伝播したという。

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 タイ国が世界史上登場するのは13世紀の頃からであり、アンコール王朝が衰退した頃にチャオプラヤー川上流に興ったスコータイ王朝(1238年~1448年)を起源とする。しかし、民族としてのタイ族は古く、長江下流域で稲作をしていた民族であり、漢民族の南下で追われ現在の雲南省あたりに移動した。

 現在も雲南省に存在する少数民族であるタイ族は更に南下しチャオプラヤー川流域で定着したのではないかと考えられているそうだ。どうやら、日本に稲作を持ち込んだ長江流域の稲作民とルーツが同じと言う事になる。

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 スコータイ王朝のあとアユタヤ王朝(1351年~1767年)が長期王朝として現在のバンコクの北70キロあたりのチャオプラヤー川流域で隆盛を極めた。冨の源泉は国際貿易の中継地点としての商業である。最盛期の頃に関が原の内戦で日本国内が統一に向かった頃、新天地を目指した駿府の籠かきの無頼漢である山田長政が同じく日本で活動の場を失ったキリスト教徒と、ともに移住したのがアユタヤである。当時の日本は戦国時代を経て世界最高の戦争技術を持っていたと言われるが、彼はそれをアユタヤ王朝の傭兵頭として発揮し一躍、最高位に昇りつめた。

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 アユタヤは運河で囲まれた都市であったが、ビルマにより滅ぼされ、南下しチャオプラヤー川の下流域であるバンコクのトンブリー王朝(1768年~1782年)を築く。これが三島由紀夫が描いた『暁の寺』の王朝の風景である。王朝は一代で終わり川の対岸でラーマ1世が築き現在まで続くバンコク王朝(ラーマ王朝)が興った。ラーマ1世から現在ラーマ9世まで続いている。ラーマ5世はミュージカル『王様と私』で有名ですが、開明的な人であったようです。

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 タイ国の仏教は海のシルクロードを経由して伝播したものであり、日本に伝播したガンダーラのヘレニズムの影響を受け又、中国や朝鮮半島を経由した大乗仏教とは区別される。所謂、小乗仏教である。インド古来のバラモン(ヒンドウー)教の宗教改革としての仏教であり色濃くバラモン教の神々も登場する。そういう意味では、アンコール・トムの遺跡群で観た仏教とも似ている印象だ。

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 同時に、マレー半島からインドネシア、ジャワ経由でインド文化・文明は伝播したので、音楽を始め建造物についてもインドネシア・ジャワの影響が多く見受けられる。踊りでも演奏される楽器がガムランであり、海のシルクロードの香りを感じた。

 参考 アンコール・ワット、トム遺跡の旅

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Comments

 Joさん

 お帰りなさい 無事にご帰還の様子にホツ!です 今回の騒動、デモ隊が武器のような物を装備?痛ましい事件になってしまいましたね

 タイ王国・・・アユタヤ遺跡、土色のチャオプラヤー川、ワット・アルン・・・1年以上もご無沙汰のバンコク、懐かしい景色です

Posted by: | 2010.04.14 09:09 PM

てっちゃん

 バンコクは38度で成田に早朝到着時は8度と30度も気温が違い驚いています。熱帯ですね、バンコクでは年々気温が上昇してるそうですよ。

 残念ながら、村上氏とは会えませんでした、入院していたようです。

 悲惨なデモ事件でしたね、赤シャツと黄色のシャツは着ないように言われました。基本的には優しい人々ばかりの国なんですが、どうしたんでしょうね。

 現地の案内人の人は本当に困惑していました、外国の観光客の人々に迷惑をかけて、又、親友の日本人を同朋が、殺した事を心底謝っていました。

 てっちゃんにとり、第二の故郷ですよね、何処か懐かしい気持ちにさせてくれるのは、何なんでしょうね。感想紀行文を掲載しますので、宜しく。
 

Posted by: jo | 2010.04.15 07:35 AM

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