エジプト紀行その3 ダハシュールの『屈折ピラミッド』、『赤ピラミッド』
サッカーラの『階段ピラミッド』の次に登場したのが、少し南に位置するダハシュールの『屈折ピラミッド』です。第3王朝最後の王であるフ二王の息子で第4王朝を築いたスネフェル王が父親の後を継いで建造したと考えられています。
何故、下部の傾斜角度と上部の傾斜角度が異なるのか不思議ですね。詳細はIndie Historyを参照して下さい。
Indie History ダハシュール 『屈折ピラミッド』 謎その1
Indie History ダハシュール 『屈折ピラミッド』 謎その2
位置関係はグーグルアースの写真から概略把握されたと思います。
エジプトの初期の王朝は北から移動してきた民族が建設し、北極星を信仰する『星辰信仰』だった訳ですが、地元のエジプトの人々はナイル川で農耕をする『太陽信仰』の人々だった。スネフェル王が妃にしたヘテプルスが『太陽信仰』の大神官の娘だった時に遂に地元の勢力が表舞台に登場出来たのでしょうね。
こんな話を聞けば、ついつい日本の崇神天皇の時代の事を思い出させます。アマテラスを信仰する外部から侵入した崇神さんは、疫病の蔓延を契機に遂にアマテラスを放逐し、地元民の神である三輪山の大物主を祭らざるを得なかった話を思い出しました。
『屈折ピラミッド』のすぐ北の位置にある、花崗岩の切石で建造された『赤ピラミッド』です。これも、スネフェル王が建設しました。
Indie History ダハシュールの『赤ピラミッド』
化粧石版は全てはぎ取られており、花崗岩の赤い色が目立つのでこのような呼び名で呼ばれているようです。傾斜角は『屈折ピラミッド』の上部と同じスネフェル王の角度だそうです。どっしりとした印象を受けますね。
これは『屈折ピラミッド』の南にある『ブラック ピラミッド』です。
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