中国雲南紀行その3 布依(プイ)族
雲南省には少数民族が多く存在しています、その中で羅平のガイドをして頂いた女性が布依族の人であり、羅平の九龍瀑布の近くの村落の家庭を訪問出来ました。少し、布依族について触れますと、172万人中国には存在し、雲南省と北部の貴州省南部、西南部に居住しているそうだ。
布依族とチワン族は同祖と考えられ、昔は長江下流域に住み稲作を行っていた越人であるという。中国では古来、西南夷と呼ばれる雲南地方に戦国時代の楚や、秦、漢の武帝等々が攻め込んでいます。漢の武帝の遠征の時は司馬遷も従軍しておりました。従い、『史記』でもこの地方の事については詳しく書かれている。
雲南省にはメコン河やベトナムハノイに注ぐ大河である紅河、そして文明のゆりかごである長江の源流が流れています。即ち、川というハイウエイでシャム国、ベトナム、中国江南の地と密接なつながりがあったのです。
鶴間和幸氏の『中国の歴史 ファーストエンペラーの遺産』を読んでいると、武帝が滅ぼした野郎国と布依族の深い関係を指摘されていました。古代日本と越との深い関係については何度も記事を書きて来ました、今回の家庭訪問で判った事を述べます。
歌垣の風習と通い婚の風習です。旧正月の期間でしたが訪問した家庭の結婚した娘さんが旧正月で夫の実家が忙しいので手伝いに出かけているという言葉でした。結婚しても実家で生活しているのですね。色々とその後調べてみると、娘が結婚して何年か経過すると娘は夫の実家で暮らすようになるそうです。母系社会の伝統が綿々と残っているのですね。
布依族の娘さんは刺繍と、ろうけつ染が得意だそうです。美しい、衣装です。
世界遺産の石林で見かけた少数民族の衣装を着た女性です。帽子に注目して下さい、角が二本立っていますね、これは未婚である事を示しているそうです。
という事は、結婚式で『つのかくし』という言葉はもう娘ではなくなるという意味がこの雲南地方の少数民族から我々日本に伝播したんでしょうか。子供の頃から、お嫁さんの『つのかくし』という言葉の謎がこの雲南訪問で解を得たのかも知れない。
追伸: 1枚目の写真で右側の日本人ぽい人は現地ガイドの満州族の女性、中央後ろ向きが羅平の現地案内人の布依族の女性です。
2枚目の写真は息子達が畑から我々の為にサトウキビを刈って、わざわざ運んでくれました。私は5個も貰いました。本当に有難う。3枚目は我々を見送る布依族の一家です、名残惜しい、ウルルン滞在記みたいでした。最後は、見返らない美人です、素晴らしい衣装ではないですか。顔を見たいですよね。
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