エジプト紀行その1 序章
イスタンブールからカイロに飛びました。今回はナイル川下流域の世界遺産『メンフィスとその墓地遺跡』とカイロ市内の遺跡だけの訪問です。ナイル川上流域については次回の旅に譲りたいと思います。
今回の訪問する主な遺跡は、世界最古のピラミッドである『階段ピラミッド』、謎の『屈折ピラミッド』、『赤のピラミッド』、メンフィスの『ラムセス2世像』、そして、アル=ギーザの3大ピラミッド、そしてカイロの『モハメッド・アリ モスク』とエジプト考古学博物館となります。
主な場所関係をグーグルアースで眺めてみました。概略の位置関係がお判りになると思います。
エジプト紀行については、昨年、考古調査士の資格を得る為に早稲田の考古学教室のお世話になりましたが、エジプト考古学の近藤二郎教授の講義テキストをベースに各遺跡をご紹介出来ると思います。
ナイル川は全長6700キロの大河で、ウガンダのヴィクトリア湖を水源としてスーダン南部を流れる白ナイルとエチオピアのアビシニア高原にあるタナ湖を水源とする青ナイルが合流してアフリカ大陸を縦断し地中海に注ぐ。
ナイル川は毎年夏(7月半ば~11月)に増水し川幅を広げ農民は農作業が出来ない時期があります。この時期に公共事業としてピラミッドが築かれたというのが最新の学説となりました。増水しているので、容易にナイル川を利用し石材を運ぶ事が出来たという。
ナイル川は常に北から南に風が吹くそうで、帆を張ればナイル川を遡上出来ます。逆に下りはナイルの流れに乗ればいいわけです。地中海から700キロ離れたルクソールまでの標高差はたったの75メータ、アスワンまでは千キロで標高差100メータという殆ど標高差のない河なんですね。だから、ひねもすのたりのたりの河なんです。
(エジプトはナイルの賜物)
ヘロドトスの言葉に『エジプトはナイルの賜物』という有名な言葉は誰でも御存知ですね。私も高校の教科書で学んだのはナイルが毎年氾濫し上流から栄養豊富なナイル・シルト(黒色沃土)を下流域に運び豊かな農耕環境を与えた。と、理解していた。
近藤氏の説明では、ヘロドトスの『歴史』巻2-5を読むと「今日ギリシャ人が通行しているエジプトの地域は、いわば河の賜物ともいうべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。」ヘロドトスが述べたのはナイル川が土砂を三角州に堆積し土地がどんどん増えている現象を述べていたのですね。
(ナイル川の氾濫サイクルと死生観)
毎年夏季の氾濫の時期が終わると、上流から運ばれたナイル・シルトが農地を覆っている。そこから、最初に顔を出すのがスカラベ(甲虫で糞ころがし)である。その為に、古代のエジプト人はスカラベを創造神と考え、又、丸い糞を転がす姿から天空で太陽を運行させているのは巨大なスカラベがを想定した。このようにして、スカラベは太陽神として崇められるようになり装身具が多くのデザインに好んで使用される事となった。
何もない真黒な大地から緑の芽を出す植物は再生を象徴し、オシリス神など再生に関わる神の肌の色は全て緑色をしているのだ。
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