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旧友 鴫沢隆成さんとの書簡

 立春とはいえ 寒さ厳しき折柄 お見舞い申し上げます。

 と季節の挨拶の葉書が旧友から届いた。彼とは寝屋川高校時代からの友人で3浪して関西大学の文学部歴史学科に進んだユニークな御仁です。高校時代彼と日本史の試験では互角の成績を収めあった仲でありました。

 一緒に奈良の法隆寺や古寺を廻ったり山を登り、利尻富士やトムラウシまで登った仲でした。お互い、歳をとり昨年秋には久しぶりに嵐山の松尾大社を一緒に歩いた。

 彼の挨拶文を紹介すると・・・・

 水の音をたて 元気だった 蛙も今や

  『古池の蛙老いゆく 落ち葉かな 蕪村』

 になっていきつつあるのが現実。しかし、今年は

 『これからは 丸儲けぞよ 娑婆あそび 一茶』

  でゆこうと思います。と季節の挨拶が届いた。

 

 返信をこの数日考えていたが、俳句に暗い私としては蕪村と一茶の句を調べ、今の自分に似ているものを探していた。(暇だね~~笑)

 ようやく、次の句で返そうと思っている。

 『うづみ火や 終(つひ)には煮ゆる 鍋のもの 蕪村』

 火鉢の中の炭は灰にうずもれている、何時になったか煮えるか判らん鍋だけど そのうち煮えるだろう。我が家では昭和の伝統を受け継ぎ、石油ストーブの上に土鍋を載せて煮物をしている。江戸時代から変わらない生活をしている。石油ストーブの火は弱く、何時まで経っても煮えない、蕪村の句が沁みる。

 『悠然(いうぜん)として 山を観る 蛙かな 一茶』

 一匹の蛙が悠然として 遥か彼方の山を眺めている。老いたとはいえ、志は何時までも山のように高く有りたいと思う。

 高校生の頃はお互いに、巻紙に筆で書簡を送りあったものでした。青春時代の思い出と気持ちは何時までも忘れないでおきたいと思う。

 

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