« January 2010 | Main | March 2010 »

トルコ大紀行その21 カッパドキア(洞窟ホテルと奇岩峰)

 承前 トルコ大紀行その20 カッパドキア(地下都市・ローズバレー)

20101turky_996  カッパドキアで人気の洞窟ホテルです。なかなか快適でした。裏庭からは鳩の谷を眺める事が出来ます。

20101turky_1016  カッパドキアでは一番人気のホテルです。ホテル全体が洞窟で部屋も洞窟です。面白いので是非カッパドキアでは宿泊されるのをお勧めですね。

 マイフォト カッパドキア(洞窟ホテルと奇岩峰群見学)

20101turky_998

Continue reading "トルコ大紀行その21 カッパドキア(洞窟ホテルと奇岩峰)"

| | Comments (0)

雲南省 昆明・羅平から帰国しました

20102konmei_334  雲南省の昆明・羅平の旅から帰国しました。羅平の菜の花は1週間前に満開を迎え最盛期ではありませんでした。しかし、この世とは思えない風景に出合えた事は幸せの限りです。司馬遼太郎がこよなく愛した菜の花であります。

20102konmei_126  石林にも出かけました、世界遺産に登録されたそうです。石灰岩が浸食され不思議な石の林が出来あがっていました。

20102konmei_172  雲南省は25の少数民族が暮らす地域です。青銅器文明で栄えた滇王国の故郷でもあります。

 

Continue reading "雲南省 昆明・羅平から帰国しました"

| | Comments (2)

雲南省 滇王国の故郷にでかけます

 明日から一週間ほど日本を離れます。中国南部、雲南省昆明にでかけます。此処は滇王国が存在した場所です。志賀島で江戸時代に志賀島で発見された金印の鈕(印を持つところ)が同じ蛇の模様の印が発見されたのが滇王国の石寨山遺跡があります。

 漢王朝からみれば、倭国も滇王国も同じく南に位置する国と考えられていたのです。中国人が倭国をどう見ていたのかこの金印で判ると思います。倭国は中国の東の国ではないのですね。

 雲南省は25以上の少数民族がすむ場所です、中華の文明から離れた場所なんですね。そこが、私には興味があります。琵琶湖の鮒寿司が今でも造られていますし、高床式の住居であるとか、蛇信仰であるとか、稲作に関わる文化の共通性が多いと思います。

 ベトナムのドンソン文明の故郷でもあり、青銅器文明の故郷でもあります。ハノイの博物館で観た巨大な銅鼓の故郷でもあります。今は雲南省の山の上に追いやれた少数民族は同時に長江を下った仲間が多くいました。彼らはその後、東シナ海を北上し日本列島に辿り着いたと思います。

 鳥居の原型や数えればきりがない雲南省の少数民族の末裔達、興味があります。

 と、いう訳で出かけてきます。一週間後に又、お会いしましょう。トルコ、エジプトの紀行文が未だできていないですが、帰国後、おいおい記録したいと思います。

| | Comments (2)

トルコ大紀行その20 カッパドキア(地下都市、ローズバレー)

 承前 トルコ大紀行その19 カッパドキア(鳩の谷篇)

20101turky_915  カッパドキアと言えば地下都市ですね、今回訪問出来たのはカイマクル地下都市で2万人程度が暮らしていたそうです。4世紀頃から本格的に迫害を逃れたキリスト教徒や修道士が凝灰岩で出来た岩山を刳り抜き洞窟人として暮らしていた。

 地下都市としては、紀元前400年頃から記録されているので、古くから洞窟が掘り始められていたようです。

20101turky_919  地下18階とかいう深い所まで掘られて都市が築かれていたようですが、見学は地下5階程度までです。ロバや羊たちも一緒に暮らしていたといいます。如何に宗教の戦いが命がけであったか、この岩に刻まれたノミの跡を観るだけで判りますね。

 マイフォト カッパドキア(地下都市、ローズバレー)写真集

20101turky_947  カッパドキアには奇岩が多く存在します。これは、3姉妹(スリーシスターズ)と呼ばれる岩です。火山灰と溶岩が何層にも重なりそれが浸食された結果生まれた自然の景観です。帽子が落ちそうですね。

20101turky_950

Continue reading "トルコ大紀行その20 カッパドキア(地下都市、ローズバレー)"

| | Comments (1)

トルコ大紀行その19 カッパドキア(鳩の谷篇)

 承前 トルコ大紀行その18 キャラバンサライ(隊商宿)

20101turky_860_2  カッパドキアです、キリスト教徒達が逃れ岩山を穿ち、地下都市を造りかたくなに信仰を守った場所です。4世紀の頃から修道士達が集まり大きなキリスト教徒の地下都市を建設した。写真の場所は『鳩の谷』と呼ばれています、鳩の糞は貴重な肥料としてブドウ畑や畑の肥料として利用された。

 此処は標高千メータを超える火山により形成された痩せた土地です。凝灰岩の岩を刳り抜き地下都市を造り上げたのには驚嘆です。

20101turky_874  尖る山はウチヒサル『尖った砦』と呼ばれる場所です。沢山の穴が開いているが鳩の家と呼ばれる、鳩の糞を集める為に造られたという。勿論、鳩料理は貴重な蛋白源だった思います。

20101turky_855  

 マイフォト カッパドキア篇写真集 

20101turky_866

Continue reading "トルコ大紀行その19 カッパドキア(鳩の谷篇)"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その18 キャラバンサライ(隊商宿)

 承前 トルコ大紀行その17 メヴラーナ博物館(コンヤ)

20101turky_837  キャラバンサライという言葉をご存じでしょうか、隊商宿の事です。セルジューク朝ではシルクロードやスパイスロードの行き交う商人を保護する為に城塞のような建物を街道に建設した。建物の中は中庭がありラクダやロバを休ませる場所や商人が商売が出来る環境を整えた。

20101turky_843

 アナトリア半島は文明の十字路であり、東西交易を活発化する事で国家の富を増やそうとした。グーグル衛星写真でコンヤからカッパドキアの間のキャラバンサライを拾ってみました、参考にして下さい。ガイドさんの話では80キロ程度の間隔だと説明がありましたが、もっと近い距離かも知れない。

Photo

Continue reading "トルコ大紀行その18 キャラバンサライ(隊商宿)"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その17 メヴラーナ博物館(コンヤにて)

 承前 トルコ大紀行その16 パムッカレからコンヤへ410キロの旅

20101turky_1884  バスでパムッカレから410キロ内陸部に走ると古都、コンヤに到着です。この古都はセルジューク朝の王都として栄えた場所だそうです。歴史は古く、アナトリア最古の集落跡と考えられる紀元前7千年に遡るチャタル・ホユック遺跡があるという。農耕・牧畜など高度な文明を持っていたそうですが、1958年から発掘を英国・米国の考古学者が発掘を続けている。

20101turky_804  写真はメヴラーナ博物館です。私はイスラムに詳しくは有りませんが、旋舞教団というイスラム神秘主義という一派があるそうだ。創始者はメヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーというイスラムの坊さんらしい。彼の霊廟が今は博物館となり、かれの柩や偉い坊さんの柩も一緒に祭られています。トルコ共和国となってからは、修業場も閉鎖、教団は解散となり現在は博物館である。

 マイフォト メヴラーナ博物館写真集 コンヤにて

Continue reading "トルコ大紀行その17 メヴラーナ博物館(コンヤにて)"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その16 パムッカレからコンヤへ410キロの旅

 承前 トルコ大紀行その15 パムッカレ後篇 絶景なり

20101turky_787  パムッカレからコンヤまで410キロの旅です。エーゲ海から内陸部にどんどんと入り、高原地帯に入ります。ところで、今までの紀行ではエーゲ海沿岸のギリシャ・ローマ文明の遺跡を中心とする旅でした。ここで、少しトルコ全体について把握してみましょう。

Photo 地図を観ていただければ判りますが日本の国土の二倍あるアナトリア半島とヨーロッパ側のバルカン半島の一部を領有する7500万人の国です。首都はイスタンブールではなく、アンカラです。昔はアンゴラと呼ばれていました。

20101turky_797

 北は黒海に面し古来、ロシアと国境を接しています。西はエーゲ海に面しギリシャ・ローマ文明の影響を受けていました。紀元前1600年頃、世界初の鉄器を発明したヒッタイトはアンカラの東にあるハットゥシャ(ボアズキョイ遺跡)を拠点にしていました。どうやら、沙漠では隕石を見つける事が容易だそうで、彼らは隕石を高熱で加工し武器を製造したそうで、鉄1グラム金一グラムだったそうです。エジプトのラムセス2世と戦った壁画が残っていますね。エジプトはヒッタイトに苦労したようです。

 東の方を眺めると旧約聖書のノアの箱舟で有名なアララト山5137メータが聳えています。チグリス川、ユーフラテス川の源流が流れています。今、手元に資料が有りませんが確かノアの箱舟の神話はユダヤの人々がバビロン捕囚の時にメソポタミアの現地に残る神話を取り込こみ旧約聖書の創世記に入れたという話を思い出しました。

 これは、縄文海進の時代の話ではないかと思います、世界的に気候が変動したのではないかと思います。ともあれ、トルコの東はチグリス・ユーフラテス文明の影響を受けた訳です。北方からは遊牧民の影響を受けています。

Continue reading "トルコ大紀行その16 パムッカレからコンヤへ410キロの旅"

| | Comments (0)

41年前の寮の仲間

20102kichinokai_004  年に一度の集まり、今回は12名という少なさでした。

 1969年(昭和44年)市ガ尾丘陵のバラック造りの会社の寮で過ごした仲間です。特に三階の東側で暮らしていた仲間が、浦川・蔵田・和田浜・浅野・杉本・藤田・筒井と7名も参加していました。

Continue reading "41年前の寮の仲間"

| | Comments (2)

トルコ大紀行その15 パムッカレ後篇 絶景なり

 承前 トルコ大紀行その14 パムッカレ前篇 暮色

20101turky_654 パムッカレ遺跡の復元図です。石灰棚の山の上に巨大な都市が紀元前2世紀から建設されていました。ローマ時代、ビザンツ時代と繁栄しましたが、セルジューク朝により破壊されてしまいました。

20101turky_665 ヒエラポリス遺跡と朝日の中の雪山の風景です。

20101turky_673 石灰棚と眼下の町と遠景の雪山は素晴らしい眺めです。

20101turky_690 天空のパムッカレ、石灰棚と雪山の絶景です。こんな美しい風景に出合ったのは初めてです。

20101turky_692  

マイフォト パムッカレ・ヒエラポリス遺跡絶景の写真集

Continue reading "トルコ大紀行その15 パムッカレ後篇 絶景なり"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その14 パムッカレ前篇(暮色)

 承前 トルコ大紀行その13 聖母マリアの家(エフェソス)

20101turky_624 エーゲ海沿岸から内陸部に入った山の上にローマ時代からの温泉保養都市パムッカレという場所があり、世界遺産に登録されています。複合遺産であり、美しい石灰棚の自然環境とヒエロポリス遺跡があります。パムッカレという言葉は『綿の宮殿』という意味だとか。

Photoギリシャ・ローマ遺跡としてはエーゲ海より随分と陸地に入った場所がお判りと思います。グーグルアース パムッカレ位置情報

「Pamukkale.kmz」をダウンロード

20101turky_626

Continue reading "トルコ大紀行その14 パムッカレ前篇(暮色)"

| | Comments (2)

トルコ大紀行その13 聖母マリアの家(エフェソス)

 承前 トルコ大紀行その12 エフェソス(エフェス)遺跡面白篇

20101turky_444  エフェソス遺跡の近くの山の上に聖母マリアの家が在ります。キリストが受難のあとマリアはパウロとともにこのエフェソスに避難しエーゲ海を見下ろす山の上で晩年を過ごしたそうです。18世紀後半にドイツの修道女で神秘家のアンナ・カタリナ・エンメリック(1774年~1824年)という女性にお告げがあり、この場所を示唆したそうです。そして、彼女が啓示を受けた場所に1世紀、4世紀の建物の跡があり7世紀には聖堂が存在した事実が判明した。

20101turky_439 その後、バチカンは認める事となり1967年には聖パウロ6世も参拝し、今では毎年バチカンから参拝に来るそうです。

20101turky_431 聖なる泉です。

Continue reading "トルコ大紀行その13 聖母マリアの家(エフェソス)"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その12 エフェソス(エフェス)遺跡面白篇

 承前 トルコ大紀行その11 エフェソス(エフェス)遺跡後篇

20101turky_578 大劇場前の大通りであるマーブル通りにあった娼館の案内図が大理石の道路に刻まれていました。右下に女性の姿、真中上にお金の丸い窪み、真中下に左足、館は左手にある事を示し、左上の転々は場所を示すそうです。その下のハート形は心をこめてサービスします、この足より小さい人は未成年で入館は不可だとか。あくまで後世の人が考えた推論ですが・・・・。

20101turky_559  娼館跡です、二階建てだったそうです。

兜売ってます(商店の看板だそうです)これは、兜やすね当てや剣を売る、武器を売る武器屋さんの看板だそうです。

20101turky_546 これは公衆水洗トイレです。ローマの遺跡ではよく見かけますね。男性と女性は一緒だったのだろうか、どうなんでしょうか。

Continue reading "トルコ大紀行その12 エフェソス(エフェス)遺跡面白篇"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その11 エフェソス(エフェス)遺跡後篇

 承前 トルコ大紀行その10 エフェソス(エフェス)遺跡前篇

20101turky_549  クレテス通りからケルスス図書館を眺めました。

20101turky_512 ヘラクレスの門です。ヘラクレスの彫刻を施した左右対称の門ですね。英語読みではハーキュリーズです。ところで、都市に入るには身体検査がなされたそうですね、伝染病を一番恐れたのではないでしょうか。

20101turky_5402世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた神殿です。手前のアーチには女神ティケ、奥の門には両手を拡げたメドゥーサが彫刻されています。

女神ティケ女神ティケ
ハドリアヌス神殿 両手を拡げるメドゥーサメドゥーサ

20101turky_521

Continue reading "トルコ大紀行その11 エフェソス(エフェス)遺跡後篇"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その10 エフェソス(エフェス)遺跡前篇

 トルコ大紀行その9 ベルガマのアスクレピオン

20101turky_595 エフェソス(エフェス)遺跡の案内となります。エフェソスが有名になったのは、世界七不思議の一つに数えられた『アルテミス神殿』が存在した事でしょうね。現在は廃墟となり当時の雲をつく神殿は残されていない。エフェソスはアルテミス信仰の中心として栄えたそうだ。アルテミスはゼウスの娘でアポロンと双子の妹の方であり、狩猟・純潔の女神であり月の神でもあります。『アルテミス神殿』跡から発掘されたアルテミス女神像は胸に乳房のようなものが沢山飾れた像でしたが、博物館で観れます。

 さて、写真はエーゲ海の港から上陸し大理石で出来たアルカデイアン通りの突き当たりに存在する2万4千人収容の大劇場であります。BC30年代にクレオパトラとアントニウスは船から上陸し戦車に乗りこの大理石の道をバージンロードとして進み、2万5千の大歓迎が待ちうけるエフェソスに迎え入れられ長く滞在したという。

20101turky_594 この道路はアルカデイアン通りと呼ばれ大理石で出来ており大劇場とエーゲ海に面する港との間を繋いでいた。列柱の上には火が灯されこのエフェソスの都市の豊かさの文明の高さに驚嘆したという。クレオパトラ7世も驚いたと思う。

ギリシャ文明のゆりかご エーゲ海沿岸文明圏
エフェソス(エフェス)遺跡群 世界七不思議の里 エフェソスのエーゲ海における位置関係(昔は海が近くまで接近していた)と遺跡群をグーグルアースより引用した。位置関係を確かめて下さい。
 
 マイフォト エフェソス(エフェス)遺跡写真集(140枚) 未完成ですが、おいおい完成させます。
        

Continue reading "トルコ大紀行その10 エフェソス(エフェス)遺跡前篇"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その9 ベルガマのアスクレピオン

 承前 トルコ大紀行その8 ベルガマのアクロポリス遺跡

20101turky_381 ベルガマ遺跡観光の続編です、山を下るとBC4世紀から開設された当時の医療センターであるアスクレピオン遺構がありました。当時ギリシャ文明では各地に医療センターが存在していたようです。医学の神はギリシャ神話ではアスクレピオスです、医学に秀でた神で杖に蛇が巻きついた格好をしています。

20101turky_387

 神話では、死者まで蘇らせたという事でゼウスの怒りに触れ殺され、星空で蛇使い座にされてしまいました。WHO(世界保健機構)や米国の病院のマークは杖に蛇が巻きついた図案が多いですね。ちなみに、東京商大(現 一橋大学)の校章はヘルメスの杖(ローマ神話ではメリクリウス=英語ではマーキュリーの杖と呼ばれ、蛇が二匹で商業の神です。

20101turky_367  患者は麻薬を投与され精神療法で治療されたようで、こんな地下の道を歩かされ天井の穴から医者が話しかけたて暗示にかけて病気を治療したとガイドさんは説明していました。

 マイフォト ベルガマのアスクレピオン写真集

 詳細に興味ある人はマイフォトの写真集を眺めて下さい。

Continue reading "トルコ大紀行その9 ベルガマのアスクレピオン"

| | Comments (2)

旧友 鴫沢隆成さんとの書簡

 立春とはいえ 寒さ厳しき折柄 お見舞い申し上げます。

 と季節の挨拶の葉書が旧友から届いた。彼とは寝屋川高校時代からの友人で3浪して関西大学の文学部歴史学科に進んだユニークな御仁です。高校時代彼と日本史の試験では互角の成績を収めあった仲でありました。

 一緒に奈良の法隆寺や古寺を廻ったり山を登り、利尻富士やトムラウシまで登った仲でした。お互い、歳をとり昨年秋には久しぶりに嵐山の松尾大社を一緒に歩いた。

 彼の挨拶文を紹介すると・・・・

 水の音をたて 元気だった 蛙も今や

  『古池の蛙老いゆく 落ち葉かな 蕪村』

 になっていきつつあるのが現実。しかし、今年は

 『これからは 丸儲けぞよ 娑婆あそび 一茶』

  でゆこうと思います。と季節の挨拶が届いた。

 

Continue reading "旧友 鴫沢隆成さんとの書簡"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その8 ベルガマのアクロポリス遺跡

 承前 トルコ大紀行その7 トロイ(トロイア)遺跡

20101turky_339 ヘレニズム時代を代表する王国であったベルガマのアクロポリスの訪問です。アレキサンダー大王の死後、小アジアに睨みを利かす拠点として築かれた国がベルガマであり山全体に巨大なアクロポリスが建造された。BC4世紀からBC2世紀の頃である。

Photo ベルガマ遺跡群の衛星写真ですが、グーグルで調べたい方は以下ダウンロードされたし。(予めグーグルアースがインストール必要です) グーグルアース ベルガマ遺跡群

「bergama_akropolis.kmz」をダウンロード

20101turky_332 ベルガマ アクロポリス遺跡の詳細はマイフォトに掲載しましたので、詳しく知りたい方はそちらのアルバムを参照下さい。

 マイフォト ベルガマ アクロポリス遺跡写真集

Continue reading "トルコ大紀行その8 ベルガマのアクロポリス遺跡"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その7 トロイ(トロイア)遺跡

 承前 トルコ大紀行その6 ダーダネルス海峡を渡りチャナッカレへ

20101turky_184  トロイ(トロイア)遺跡の訪問です。

Photo  グーグルアース検索 トロイ遺跡

「Toroi.kmz」をダウンロード

20101turky_188 

マイフォト トロイ(トロイア)遺跡写真集 トロイ遺跡は雪で覆われていましたが、是非、写真集を参照して下さい。判る範囲で解説をつけておきましたので参考になると思います。

Continue reading "トルコ大紀行その7 トロイ(トロイア)遺跡"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その6 ダーダネルス海峡を渡りチャナッカレへ

 承前 トルコ大紀行その5 地下宮殿(地下貯水槽)

20101turky_157 イスタンブールからバスでマルマラ海の北側、即ちヨーロッパ大陸側を西に向かい325キロ走行した。夜になりましたね、これからダーダネルス海峡を渡りアジア大陸側のチャナッカレに向かいます。

Photo

 この海峡はチャナッカレ海峡とも呼ばれるそうだが、北の黒海からボスポラス海峡を通過しマルマラ海を経由しそしてこの狭い幅1キロ程度しかない海峡を抜けるとエーゲ海、地中海である。古来、軍事的に重要な海峡だった言う。地中海方面からイスタンブールを攻めるにはこの海峡を通過しなければならない。

 又、アレキサンダー大王もこの海峡を越えてアジア、エジプトへと向かったという。

20101turky_160

20101turky_161

この日は雪がちらつく天気であり、非常に寒かった。1/2トルコリラで温かいチャイを注文して身体を温めて渡峡した。

Continue reading "トルコ大紀行その6 ダーダネルス海峡を渡りチャナッカレへ"

| | Comments (2)

トルコ大紀行その5 地下宮殿(地下貯水槽)

 承前 トルコ大紀行その4 オリエント急行イスタンブール駅

20101turky_1409 写真はイスタンブールにある東ローマ帝国時代にユスティニアヌス帝が地階に建造した貯水槽であります。5世紀末から6世紀になりますね。長さ138メータ、幅65メータ、高さ9メータの巨大な78000m²の水を蓄える容量です。

20101turky_1413 天井は1列12本、28列合計336本の大理石の石柱で支えています。高度なローマの土木技術を観ることが出来ますね。確かローマにもこのような地下の貯水槽が存在したと思います。

Continue reading "トルコ大紀行その5 地下宮殿(地下貯水槽)"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その4 オリエント急行イスタンブール駅

 承前 トルコ大紀行その3 トプカプ宮殿

20101turky_136アガサ クリスティーの小説で有名な『オリエント急行』の終着駅イスタンブール駅です。

オリエント急行路線図オリエント急行の路線図です。ロンドンを出発し、ドーバー海峡を船で渡りフランス北部カレーの駅からパリを経由して終点、イスタンブールに到着します。パリからは80時間以上ですから1週間程度は汽車に乗る事になりますね。ヨーロッパとアジアを結ぶ鉄道でした。
オリエント急行イスタンブール駅 イスタンブール駅の場所をグーグルから引用しています、金角湾に面した場所です。詳しく知りたい方はグーグルを検索下さい。イスタンブール駅

「istanbul_train_station.kmz」をダウンロード

20101turky_128

 マイフォト オリエント急行終点 イスタンブール駅写真集 写真集を掲載していますので、興味のある方は覗いて下さい。

Continue reading "トルコ大紀行その4 オリエント急行イスタンブール駅"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その3 トプカプ宮殿

 承前 トルコ大紀行その2 アヤソフィア(続編)

20101turky_023  アヤソフィアの隣に15世紀に東ローマ帝国を滅亡させたオスマントルコのスルタンの宮殿である『トプカプ宮殿』がウナギの寝床のような配置で存在します。写真は宮殿の入り口の門である『帝王の門』であります。

 マイフォトで私が歩いた順番で収録されていますので、参考にして下さい。

Photo_2

この見取り図では『帝王の門』がこの図の下方に存在します、そして第一の庭を経由して上記図の『挨拶の門』に至る訳です。そして、第二の庭を経由して、内廷の門である『幸福の門』を通過するとスルタンとの謁見の間の建物にたどり着きます。

 マイフォト トプカプ宮殿写真集

20101turky_044

Continue reading "トルコ大紀行その3 トプカプ宮殿"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その2 アヤソフィア(アギア・ソフィア)続編

 承前 トルコ大紀行その1 アヤソフィア(アギア・ソフィア)

20101turky_028 前回のアヤソフィアの記事では外観が不明でしたので、外から観た景色をご紹介します。まるで要塞のような外観をしているのは、東ローマ帝国の教会からオスマントルコのモスクに改造されていった歴史があるからでしょうか。

20101turky_106

Continue reading "トルコ大紀行その2 アヤソフィア(アギア・ソフィア)続編"

| | Comments (0)

トルコ大紀行その1 アヤソフィア(アギヤ・ソフィア大聖堂)

 承前 トルコ大紀行計画

20101turky_1368_3  トルコと言えば、イスタンブールですね、15世紀にオスマントルコのメフメット2世に滅ぼされるまでは、4世紀から千年間東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の首都として栄えた都市でした。その頃は建国の皇帝であるコンスタンティヌス大帝の名前からコンスタンティノープル(コンスタンティーノポリス)と呼ばれていた事は皆さんご存知と思います。その聖地がこのアヤソフィア=トルコ語読み(アギヤ・ソフィア大聖堂=ギリシャ語読み)です。

Photo 大聖堂に入る前に、場所を確認しましょう。グーグルの写真を掲載しましたが、アジア大陸と向かい合うヨーロッパ側のバルカン半島の先端に位置し、アジアとはボスポラス海峡で隔たれています。そして、良港である金角湾を北に南にマルマラ海に開ける場所となります。詳しく知りたい方はグーグル・アースを検索下さい。グーグル・アース アヤソフィア

「ayia_sofia.kmz」をダウンロード

 ところで、現在大成建設が海底トンネルを掘削中と聞いています。ボスポラスの橋も確か大成建設さんが建設されたのではないでしょうか。日本とトルコは仲良しなんですね。(笑)

高校生の時代に世界史を勉強しましたが、コンスタンティノープル陥落の話は特に印象深く残っています。東ローマは金角湾に鉄の鎖で封鎖し、オスマントルコの軍艦が航行出来ないようにした、しかし、オスマントルコは船を脂を塗った板の上を運ばせ、山を越え金角湾に侵入した奇想天外な作戦が印象深いです。

20101turky_1346

Continue reading "トルコ大紀行その1 アヤソフィア(アギヤ・ソフィア大聖堂)"

| | Comments (0)

トルコ・エジプトから帰国しました

20101turky_690 昨日、トルコ・エジプトの旅から帰国しました。12日間という長い旅程でしたが、無事に楽しい旅をする事が出来て幸せでした。

20101turky_293 トルコは列車の旅を含め3000キロに及ぶ長い旅程でしたが、風邪もひかず体調も崩さず無事に乗り切りました。同行の人々の中には風邪を引かれたり体調を崩された人々が多くおられましたが、私たち夫婦は無事でした。

20101turky_327

Continue reading "トルコ・エジプトから帰国しました"

| | Comments (4)

« January 2010 | Main | March 2010 »