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トルコ大紀行その3 トプカプ宮殿

 承前 トルコ大紀行その2 アヤソフィア(続編)

20101turky_023  アヤソフィアの隣に15世紀に東ローマ帝国を滅亡させたオスマントルコのスルタンの宮殿である『トプカプ宮殿』がウナギの寝床のような配置で存在します。写真は宮殿の入り口の門である『帝王の門』であります。

 マイフォトで私が歩いた順番で収録されていますので、参考にして下さい。

Photo_2

この見取り図では『帝王の門』がこの図の下方に存在します、そして第一の庭を経由して上記図の『挨拶の門』に至る訳です。そして、第二の庭を経由して、内廷の門である『幸福の門』を通過するとスルタンとの謁見の間の建物にたどり着きます。

 マイフォト トプカプ宮殿写真集

20101turky_044

 写真は挨拶の門ですね。ここから有料になります。

20101turky_052 これが内廷の門である『幸福の門』ですね。写真集の方で、色々と私が歩いた順序で解説をしてありますので参考にして下さい。

 15世紀からオスマントルコは20世紀初頭までこの場所で政治を取り仕切った訳です。日本との関係では、明治23年にトルコ海軍の軍艦が串本沖で遭難し、多くの犠牲者がでた事件がありました。村の人々は必死でトルコの軍人を助けたが587名が死亡した。沼田藩の家老の家に生まれた山田寅次郎は義援金1億円(現在の価値)を集め、当時国交の無かったトルコに渡り、亡くなった軍人への見舞金として渡した。

 私は、この山田寅次郎については詳しくは知らないが彼は、スルタンに謁見し家宝の鎧兜と刀を贈呈したという、それが今もトプカプ宮殿の武器庫で展示されている。トルコの国民は遥か東洋の果ての国から義理堅く、台風で遭難した軍艦の乗組員の遺族に義援金を運んできた山田寅次郎を心から感動し歓待した。

 寅次郎は請われ、トルコの士官学校の生徒に日本語を教え事業も起こし、日本とトルコの友好関係の基礎を築いた。そして、トルコが黒海を挟み大きな脅威であったロシアに対して日露戦争で勝利した事でトルコの人々は東洋のはずれの日本を同じアジア人として尊敬するようになった。

 『坂の上の雲』で司馬さんが記述したか忘れたが、山田寅次郎はバルチック艦隊の一部である黒海の艦隊が偽装してボスポラス海峡を通過した情報を日本に打電し日本海海戦に重要な情報を提供した事も事実だという。

 1914年に始まった第一次世界大戦で敗戦国となったトルコは新しく、トルコ共和国となり正式に日本と国交が結ばれたという。しかし、トルコでは、学校に於いて日本との国交は山田寅次郎がスルタンに謁見した時から始まったと教えているそうだ。

 100年後、イラクのフセインがイランを無差別攻撃をかける時、1時間前に在イラン日本人救出に向かって飛行機を飛ばしてくれたのがトルコでありました。勿論、伊藤忠の会長だったか社長か忘れたが彼がトルコとのチャネルで活躍した経過はあるが、100年前の恩返しをトルコは日本の国民に対して遂行したのだ。

このような事実を踏まえると、外交とは人と人の繋がりであると思いますね、官僚だけが外交をやるのではないですね。

20101turky_083 この部屋で山田寅次郎はスルタンと謁見したのだ。

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