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銅鏡について 

       銅鏡に関するメモ    

 『三輪山と日本古代史』鏡の考古学より抜粋(森浩一)  

(黒塚古墳の銅鏡の出土状況)

 ・ 黒塚古墳は地震か偶然か石室が壊れた為にもとの儘で残った貴重な例である。

 ・ 木棺の中の遺体の頭の近くに中型の画文帯神獣鏡が置かれていた。同時に刀剣類が置かれていた。

 ・ 木棺を閉じたあと蓋をして、頭部に近い部分に盤龍鏡が置かれていた。そして、棺と石室壁との間に三角縁神獣鏡が32面が頭部から北方向に西と東の石室と棺の隙間に置かれていた。

 ・ 和泉黄金塚古墳でも盤龍鏡はこのような位置に置かれていたのが参考になる。

 ・ 三角縁神獣鏡は全て棺の外である事に注目すべきである。即ち副葬品では無い。

・ 森浩一氏は、三角縁神獣鏡は葬具ないし、呪具ではないかと考える。葬式用に特別にこしらえた物という考えです。(森氏は、三角縁神獣鏡は中国で一枚も出土していないので、国内で製造されたと考える。)

 ・ 森氏の話では、大阪の紫金山古墳の出土状況でも、棺の中に置かれていたのは方格規矩鏡1枚であり、それ以外の鏡は棺の蓋を閉めたあと外に置かれた。10枚の三角縁神獣鏡も外であった。

参考 画文帯神獣鏡 奈良国立博物館

参考 奈良文化財研究所 三角縁神獣鏡のデジタルアーカイブ化

参考 三角縁神獣鏡を復元する 

 (平原古墳の超大型内行花文鏡)

 ・ 直径が46.5センチもある超大型の内行花文鏡の同型鏡が5面出土した。この鏡は中国では考えられない大型の鏡であり、伊都国で製造されたと考える。銅鐸を作る技術を応用して、同型鏡を製造したと考える。

 ・ 中型の方格規矩鏡が、一番数が多く出土している。中国では見られない陶氏作鏡の銘文を持つ鏡が存在。この 鏡も中国の学者(王士倫氏)の話では日本産であると結論している。その後、柳田康雄氏は研究を重ね日本製であると結論した。

 ・ 弥生時代の終わり頃に鏡作りの職人グループは古墳時代初期にヤマトに移動し大神神社の周辺に定着した。(唐古・鍵遺跡の近くに鏡作神社が沢山あります)

 ・ 超大型鏡である内行花文鏡のテクノロジーは受け継がれ、柳本大塚古墳の40センチ、桜井の外山茶臼山古墳の鏡は破片になっていたが復元すると39センチと想定される、天理の下池山古墳の37.6センチである。

 参考 内行花文鏡 伊都国歴史博物館

 (中国人と越人)

 ・ 一人の墓に10枚以上の鏡を埋納する風習は中国では殆どみられない。

 ・ 稀に中国で確認されるのは、広州の南越王(文帝)の紀元前2世紀、弥生中期の初め位の時代の墓から出土する。

 ・ 漢民族ではない越人の地帯である。古い周の時代から倭人と越人はペアを組んで都に出かけたという。金印にも二人の民族は蛇の鈕のデザインであり、分身鯨面も同じである。

 参考 南越王金印

 (疑問)

 ・唐子・鍵遺跡の周辺の石見鏡作神社を訪問したが、JR石見駅周辺は出雲そのものではないかと感想を持った。本当に伊都国の鏡職人が此処に来たのだろうか、疑問ですね。しかし、弥生時代には圧倒的に鏡は北九州から出土する。先進国だった訳だ。技術者も北九州特に伊都国には存在したのでしょうね。しかし、唐子・鍵や鏡神社の付近からは出雲の影響を強く感じた。

 ・出雲からは沢山の銅鐸や銅剣が出土していますね。銅鏡を作る技術者集団は沢山存在していたと思います。彼らが、ヤマトに移住したと考える方が素直な気がします。むしろ、出雲の本拠地は奈良盆地であったかも知れませんね。

 ・銅鐸も日本では巨大化し、銅矛も巨大化し、漢式鏡も巨大化した。ホンマ、日本人は技術の限界まで挑戦する気風がこの頃から存在したのですね。最初は物まねでも、独自の技術を開発しトコトン追求する精神は今に継がっていますね。

 ・華北の地では単なる化粧道具の小さな鏡が、長江流域の越の国の人々、そして倭人のルーツである越と関係が深い海洋民の倭人は鏡を特別に神宝とした。その理由は何だったのでしょうね。海洋航海と鏡の関係が深いのか、稲作での太陽の重要性から来ているのか未だ私は判っていません。

 ・越人と倭人は分身鯨面という入れ墨の風習も同じですし、同じ呉音を発音する。同じ文化圏であったと私も思います。蛇信仰、太陽信仰、鳳凰信仰、全て長江流域の文化です。

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