« 銅鏡について  | Main | 朱色5千基鳥居 伏見稲荷大社 その2(石清水八幡宮) »

朱色5千基鳥居 伏見稲荷大社 その1(秦氏の聖なるライン)

200912nara_268  日本の稲荷神社の元締め伏見稲荷大社を訪れてみましょう。

 京都伏見の稲荷山を覆うように5千基の朱の鳥居が立ち並ぶ光景は壮観であります。

711年(和銅4年)に秦伊呂臣(具)が創建したと言われています。

子供の頃から、馴染の神社でして、参道で売られる雀のピン焼きと伏見人形が有名でした。

 五穀豊穣の神様ですから、雀は天敵だったのでしょうか。

先ず、伏見稲荷大社と秦氏と平安京について概要を説明したいと思います。

Photo  (秦氏の聖なるライン)

秦氏の中心地点は元糺の杜、即ち木嶋坐天照御魂神社(きじまに います あまてる みたまじんじゃ)の三角鳥居で囲まれた聖なる泉であります。秦氏が一番大事にした聖なる祭祀の場所です。恒武天皇を平安京に招聘したのは秦氏であり、秦氏の住居を皇居に提供しました、それが御所ですね。

200912nara_243  太陽が昇る比叡山(日枝山、日吉山)と元糺の杜を繋ぐライン上に下賀茂神社(糺の杜)、御所が位置しています。そして、松尾山には秦氏の神社である松尾大社があります。ここにも聖なる泉が存在しています。現在は酒の神ですね、今でも酒造家は松尾大社の泉の水で酒の仕込みを始めます。

 そして、冬至の太陽が昇る稲荷山に秦氏の伏見稲荷大社が存在しています。秦氏の平安京の聖なるグランドデザインが恒武天皇が遷都される以前に出来上がっていました。

200911kyoto_022  私は秦氏の歴史に興味があり調査を続けています。纏向遺跡の他田坐天照御魂神社(おさだに います あまてる みたまじんじゃ)も三輪山や巻向山との関係、二上山と太陽との関係で注目しています。五穀豊穣を願う祭祀には聖なる泉と太陽が昇り沈む山との配置が重要であったと考えます。(写真は他田坐天照御魂神社)

 古代の聖水信仰については辰巳和弘氏が詳しく、例えば『三輪山と日本古代史』の中の『水と古代王権』でも詳しく述べておられますので参考にして下さい。勿論、多くの考古学者や歴史家も沢山発言されています。

 秦氏の拠点は豊前の宇佐だと考えられますが、大陸の文化、技術を日本列島にもたらせた重要な役目を担っていました。笠縫の多神社の近くの秦庄環濠集落も弥生時代から入植していた可能性があるのではないかと思います。

 秦氏は政権に直接入るのではなく、現在でいう財界や産業界の雄として立場を守って来たのではないかと考えています。これは、世界的に観ても華僑の姿ではないでしょうか。伏見稲荷さんは今年の正月でも270万人の参拝客を呼び寄せる現世御利益の神さんの姿にも何処か秦氏の伝統を感じます。

 参考 元糺の杜

 参考 笠縫の秦庄

 参考 松尾大社

  参考 他田坐天照御魂神社

 参考 マイフォト 『伏見稲荷大社写真集』

|

« 銅鏡について  | Main | 朱色5千基鳥居 伏見稲荷大社 その2(石清水八幡宮) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 銅鏡について  | Main | 朱色5千基鳥居 伏見稲荷大社 その2(石清水八幡宮) »