桜井茶臼山古墳 副葬銅鏡81面(続報)
新聞各社では先日の橿原考古学研究所が発表した桜井(外山)茶臼山古墳の副葬銅鏡81面について、再度報道を行っている。
この記事に出てくる平原1号墳というのは魏志倭人伝に登場する伊都国と考えられ40面の銅鏡は方形周溝墓から出土している。有名な原田大六氏が発掘を担当されたと記憶します。発掘時にことごとく銅鏡は割られていたので、葬送儀礼に於いて鏡を割る風習が存在したのでしょうか。椿井大塚山古墳37面については私は崇紙天皇と激しい国内戦を戦った山背の武埴安(たけはにやす)の墳墓ではないかと考えています。黒塚古墳34面銅鏡については、現在紀行文を載せている『大和(おおやまと)古墳群を歩く』で記事を書く予定です。
クローズアップ2010 国内最多 銅鏡確認 権力映す数と種類(毎日新聞)
記事で13種の銅鏡に注目していますね、大王に相応しい人はあらゆる鏡を保持していたと考える。三角縁神獣鏡だけではなく、数多くの種類の鏡を持つ事は連合国の多さを誇示しているのかもしれない。
橿考研の奥山誠義氏の3D画像分析が今回の立役者ですね。既に700面以上の銅鏡の3D画像データベースを蓄積しているようだ。指紋分析のように銅鏡破片からその銅鏡の仲間を探る科学的分析手法である。300を超える銅鏡の破片から81種を特定したのに3ヶ月必要だったそうだ。
新聞各社も速報とは別に、今回の桜井茶臼山古墳出土81面の銅鏡に関して記事を掲載するのはこのニュースの重要性に着目している証拠です。未だ、解明されていない鏡の破片が存在し100面を越える可能性が高いと思います。如何にヤマト王権の大王クラスは権力を保持していたか想像されます。
鏡というのは倭国では神宝でした、中国の史書がその事を述べています。現在も皇室では三種の神器の一つとして鏡が皇位継承の証として存在しています。発掘された鏡の表面に絹の痕跡が存在していたと報道されている。平絹に大事に包まれて副葬されていたといいます。しかし、多くの鏡が粉々になっているのは平原1号墳の鏡のように副葬時に破壊して副葬する風習が存在したのではないでしょうか。
大王(巫女)から下賜された銅鏡は、大王(巫女)が死ぬと王達は持ちより葬送儀礼の時に破壊して副葬したのではないでしょうか。盗掘時に銅鏡が割られただけでは説明が出来ないと思います。
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