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大和(おおやまと)古墳群を歩く その8(黒塚古墳)

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200912nara_205  黒塚古墳です、1997年に橿原考古学研究所が発掘し、三角縁神獣鏡33面及び画文帯神獣鏡1面が出土した古墳として有名です。

 墳丘長130メータの前方後円墳で古墳時代初期の古墳です。先日、橿考研が折しも桜井茶臼山古墳の副葬銅鏡81面についての発表がありました。

 柳本古墳群としては古墳時代初期の古墳として知られていました。この古墳の特徴は後円部墳頂に巨大な竪穴石室が存在した事です。

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200912nara_213_2 後円部の大きさの割には巨大な南北8.3メータ×東西1メータ×高さ1.7メータの石室です。解説を読みましょう。

200912nara_208 200912nara_206 200912nara_211 200912nara_212  石室は三~四段程度は頭大の大きさの石を積み上げその上は板状石を持ち送りながら重ねて三角形の天井を作る。水銀朱を床面に施し割竹式の刳り抜き式木棺を据えていた。頭の近くに画文帯神獣鏡を縦に置き、刀剣を置き、棺の外には33面の三角縁神獣鏡が副葬されていた。

200912nara_207 200912nara_209  三角縁神獣鏡と言えば山背の木津川流域の椿井大塚山古墳も有名です。

 1953年に32面の三角縁神獣鏡が出土し、当時は驚きであった。椿井大塚山古墳も古墳時代初期の全長175メータの前方後円墳でありヤマト王権と対抗できる勢力が存在していた事を示しています。

 参考 橿考研1998年現地説明会資料(黒塚古墳)

200912nara_228 200912nara_227  発掘当時の橿考研の見解では中山大塚古墳よりは新しいという考えでした。

いずれにせよ、三角縁神獣鏡を祭祀対象か威信財とする各地の王を束ねていた大王(みこさん)の墓ではないでしょうか。

今は綺麗に公園として整備され、傍には展示館が常設されています、私が訪問した時は残念ながら、休館日でした。200912nara_223 200912nara_224  200912nara_214 200912nara_215_2 200912nara_216 200912nara_217

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