大和(おおやまと)古墳群を歩く その6(中山大塚古墳)
中山大塚古墳です、箸墓の次に古いと考えられている全長120メータの古墳時代初期の前方後円墳です。
泉武氏の解説による復元案では墳丘全長132メータ、後円部径73メータ、前方部幅68メータである。前方部には大和神社の末社が作られた時に削平を受けている。
この古墳は大和神社の祭主と関係が深いと思われます。倭直(やまとのあたい)の祖である長尾市との関係です。この古墳について少し触れてみましょう。
円筒埴輪の出現以前の古墳であり、墳丘を覆う葺石は分厚く木が繁らない頃は遠方から見ると凄い石塚であったと考えられる。後円部には、盗掘は受けていたが大きな墓壙の中に壮大な竪穴式石室が存在した。内部に刳り抜き式の木棺(船形)が置いてあった。石室は、近畿地方の前期の大型古墳に見かける石室とは石室上部の構造が異なり、森浩一氏は『亀甲形魚鱗状天井の竪穴式石室』と定義されている。
彼の印象は、南九州の隼人が残した地下式板石積石室を巨大化したものではないか』と述べておられます。このような石室は、年代は中山大塚古墳よりは下るが、福岡県二丈町の一貴山銚子塚など北部にあるようです。
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