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朱色5千基鳥居 伏見稲荷大社 その2(石清水八幡宮)

Photo  秦氏関連でもう一つ重要な場所が有ります、石清水八幡宮です。桂川、宇治川、木津川が合流し淀川になる場所です。そして、天王山と男山に挟まれたクビレの場所であり京都盆地はこの狭い場所を通過しなければ難波や摂津には出れません。平安京を守る軍事的に大事な場所です。

 この場所を制圧するには男山に陣を張るのが最高です。ここに宇佐神宮から勧進された石清水八幡宮があります。建立は9世紀ですが由緒ある神社ですね。子供の頃、牧野の豪族で同級生の笠井一族の正義君がこの神社で笛を吹いていましたので、馴染の神社でした。『やわたの はちまんさん』と呼んでいました。 参考 石清水八幡宮公式ホームページ

 ともあれ、この神社の麓に聖水が存在したのではないかと森浩一氏は考えておられるようです。現在の高良社の場所です。

 参考 聖水信仰

 宇佐神宮と言えば豊前の国、秦王国が存在した秦氏の故郷です。偶然かも知れないが、石清水八幡宮から真北に線を延ばせば木嶋坐天照御魂神社に至りますね。聖なる南北ラインで結ばれています。グーグルの地図で見ていただければ判ると思います。

 このように秦氏の関連する場所をプロットすると、平安京は元糺の杜を中心に太陽信仰と聖水信仰を根幹とするグランドデザインが完璧であると考えられます。その後、仏教の影響で鬼門にあたる日枝山は比叡山と改名され、延暦寺が建立された。

 恒武天皇は平城京を捨て、長岡京に強引に遷都しました。難波の宮の建物を解体し淀川水系を使い建物の部材を長岡に運ばれ、短期間に長岡京を建設した。長岡京の建設も秦足長や大秦宅守らの秦氏の協力で敢行された。長岡京については、長年発掘を担当された三重大学の山中章氏が詳しいと聞いています。

 しかし、藤原種継の暗殺や洪水に遭遇し平安京に遷都となりました。

 平安京のグランドデザインは遷都前に既に秦氏によりなされていたという事になります。

 さて、伏見稲荷大社に戻りますが、伏見人形について過去にも記事を書きましたが、森浩一氏の話を再度、紹介しておきます。

 参考 伏見人形と甲子園球児

 しかし、聖なる場所の土を呪力あるものとして信仰する考えは確か天香具山にも伝承があります。神武天皇が天香具山の土から瓦と酒瓶を作り呪いをかけて大和を平定したという話や、崇神天皇と古代最大の内戦と呼ばれる戦いをした山背の武埴安・吾田媛が香具山の土を採取し、ヒレで包み国の宝と言った話が残っています。

 稲荷山の土は陶土として秦氏は重要と考えていたんでしょうね。

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