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石見鏡作神社、唐古・鍵遺跡を歩く その2(唐古・鍵遺跡)

200912nara_090  唐古・鍵遺跡の中心地点です。近鉄線の石見駅から石見鏡作神社を経由して寺川を渡り磯城郡 八坂神社の交差点を南下すれば到着します。

Photo 石見駅からの概略ルートを示しています。唐古・鍵遺跡は寺川と大和川に囲まれた中洲のような場所に展開しています。

200912nara_073 遺跡群は写真の通り唐古・鍵遺跡を中心に沢山の環濠集落が点在しています。

 近畿地域では最大の弥生時代の遺跡ではないでしょうか。そして、我々を驚かせたのが弥生土器の破片に描かれていた楼閣の絵でした。それは、先進地域である北九州や朝鮮半島をとび越え、中国漢時代の文明的な建物が描かれていた。今までの弥生時代の概念を打ち砕き素晴らしい文明を読み取れる建物でした。

 参考 唐古・鍵遺跡出土土器片絵画

200912nara_067  47回を越える田原本町(たわらもと)教育委員会の唐古・鍵遺跡の執念の発掘成果であります。この遺跡は故末永雅夫さんが1937年に発掘を始められたのが最初です。東西600メータ、南北500メータの円形の大集落であり、周囲に濠をめぐらせた環濠集落です。

200912nara_069  考古学者の森浩一さんは『古代史の窓』(唐古・鍵遺跡の楼閣の土器絵画)に於いて、語られているのは、以下引用『環濠集落は日本列島の弥生社会に多いだけでなく、タイ、ヴェトナム、中国に広く分布している。その多くは、単なる農村ではなく、金属器、木製品、織物などの生産を行い、交易や水陸交通の盛んな都市的性格を持っている。』と語っています。200912nara_070 200912nara_071

200912nara_072 200912nara_074 200912nara_075  森浩一さんも語られているが、中国でこのような建物を観ていない限り描けないし、実際に写真のような建物が建っていた可能性がある。弥生時代の年代を示す土器の突帯部分が絵とともについていたので、年代が考古学的に確定したのだ。従い、魏志倭人伝で述べる邪馬台国の楼閣の記述の時代が合わない訳ですが、明らかにこの地域に中華文明の最先端の建物が存在した事は事実である。

200912nara_086  同じ弥生時代の九州の吉野ヶ里遺跡の楼閣も本当はこのような中華風の楼閣であったのだろうか。そして、3世紀に突如奈良盆地の龍王山塊、三輪山の山麓に出現した巨大な前方後円墳の序章として既に高度なインターナショナルな文明がこの多神社や秦庄や唐古・鍵遺跡の環濠集落で形成されていた可能性が考えられますね。200912nara_087

  

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